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創業からの11年間を社長が振り返る① 1~3期

こんにちは!日本ユニスト代表の今村亙忠(いまむらのぶただ)です。
以前公開した自己紹介の続きとして、今回は創業してからの11年を振り返るnoteを書きます。内容は主に3つです。

・これまでどういう事業に取り組んできたのか
・印象的だった出来事 or 失敗談
・メンバーとの思い出

日本ユニストは現在40人の従業員がいますが、2021年以降に入社した人が32人と会社の大半を占めています。そのため、社員をはじめとしたステークホルダーに日本ユニストのことをもっと知ってもらおうと、今回このnoteを書きました。
11年間の振り返りはかなりボリュームがあるので、3年ごとにわけて公開していきます。お時間ありましたら、前段となる自己紹介(半生~学生時代~独立まで)も目を通してもらえれば幸いです。


日本ユニスト創業からの3年間について(2011~2013)

日本ユニストは2011年5月新大阪近くに事務所をかまえ、創業しました。当初は不動産企画コンサルティング事業を行っていました。ちなみに「ユニスト」は造語であり、「結束=unit」と「信頼=trust」を意味しています。「信頼できる仲間と結束して日本を元気にする」という思いを込めて名前を決めました。

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初代社長であり、私の親友の木村くん

創業当時サラリーマンとして働いていた私には、事業家である親友・木村くんがいました。彼は飲食店や人材派遣の会社を興し、29歳にして自由を手に入れていたのです。私はサラリーマンという立場であったため、不動産に興味を持っていた彼に「日本ユニストの社長に1年間なってほしい」とお願いし、社長に就任してもらいました。
役割としては、私が不動産コンサルの知識を教える。その代わり、彼の役割は日本ユニストを前に進めること。社長を引き受けてくれた彼には感謝しかないです。彼がいなければ、今の日本ユニストは無いといっても過言ではありません。

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木村くんは現在、名古屋で人材派遣や不動産コンサルを行っています。今回noteを書くため久々に電話したところ、「無茶苦茶やったけど楽しかったし、今思えばその時の経験が生きていて感謝しているよ」と言ってもらえました。

木村くんが一番印象に残っていること

日本ユニストで働いて一番印象に残っていることを聞いてみたところ、以下のような答えが返ってきました。

作ったこともない資料を徹夜で作ってたら、窓の外に朝陽が出てきて涙を流したことですね。やったことないことにチャレンジしていくプレッシャーが半端なく苦しかった。不動産の知識ゼロでコンサルをしていたので、事業を行いながら勉強していて、知識を付けないとお客様に申し訳ないという気持ちでした。なので資料作りはとても時間がかかったし、苦労しました。プレッシャーと焦りから「不動産をやりたいと言わなけれなよかった」と何回も思ったこともあります。
「これで合っているのか」と不安になったり、「この先大丈夫だろうか」と恐怖に押しつぶされたりすることも多々ありました。ただ、そんな中でも「今村が言っていることだから絶対に合っている」と、常に今村のことを信じて行動していました。

社長が今村に交代

創業2年目となる2012には全株を取得し、今村が日本ユニストの代表取締役に就任しました。

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この頃は、遊休地の有効活用のコンサルを行っていました。
朝から晩まで外を歩き、地図に遊休地の印をつけ、役所に行って所有者を調べる。後はひたすら所有者さんの自宅に飛び込み営業を行い、有効活用の提案を行う日々でした。ある地主さんは私が信頼できる人物か確かめるために、真夏の屋外でわざと私を3時間待たせたこともありました...

そんなことがありながらも、1年で1件の仕事を受注できました。ただ、この経験がきっかけで個人向けの土地有効活用の限界を感じ、プロ向けの土地有効活用にシフトしていきました。私の前職は分譲マンションや商業施設、ホテル開発をしていたデベロッパーだったので、土地購入→建設→販売までの流れは把握していました。そこで有効活用のコンサルをやりながら、レインズ(宅地建物取引業法にもとづき、国土交通大臣の指定を受けた指定流通機構のサイト)にのっている物件情報に半値ほどの購入金額で買付を入れる毎日を過ごしていました

そのころの話で思い出深いのは、訳あり物件の向かいの土地が半値ほどで交渉できて購入したことです。自社で資金調達が出来なかったので、事業会社へプロ向けの土地有効活用案件として持ち込みました。土地を購入してもらい、設計・建築は日本ユニスト監修で進め、木造アパートを建築して満室にし、売却までを総合プロデュースする。事業領域を拡大していき、買取事業の準備を進めていくきっかけとなったできごとでした。

この頃は総じて、仕事をすれば8割方怒られていましたが、あまり気にせず粛々と働き続けていました。

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辻産業の辻社長(左)。学生時代からの親友で、不動産オーナー会社の3代目。創業当初からずっと応援してくれてます。

現・企画開発部長の田中さんと再会

3期目に入ってからは売り上げも安定し、大阪市西区立売堀にある現在の事務所へと移転。そして同年から不動産の総合デベロッパーとして買取事業を開始しました。
3期目に入ったある日。ふと、前職の後輩である田中さんを思い出して電話をかけました。彼は私と同じ会社で働いた後、大手の不動産仲介会社に転職していました。私が独立する時に「次に大手行くなら、俺の会社が大きくなった頃に誘うわ!だから頑張れ」と別れていて、彼は私が言ったことを有言実行していたのです。そんな縁もあり、田中さんが日本ユニストに加わり、4期目へと突入していく。

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一緒に熊野古道を歩いた時の一枚。左が今村、右が田中

次回は田中さん入社後の拡大フェーズについてお話しするので、ぜひお楽しみに!最後まで読んでくださり、ありがとうございました!✨

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