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あのマンガと「家族」の話 第2回 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』

 こんにちは、営業部のHです。
 人と人が共に暮らす、そのあり様はさまざまで、一つとして同じものはありません。古今東西、多くのフィクションがその妙味を描いてきました。マンガもそのうちの一つです。
 決まった形のない人と人との関係性と、その関係性を規定する「家族」という仕組みを並べて見ることで、何か見えてくるものがあるかもしれません。
 そんな思いつきではじめたのが本企画「あのマンガと「家族」の話」です。
 第2回は吾峠呼世晴『鬼滅の刃』から、「家族」にスポットを当ててみたいと思います。

あらすじ

 この作品は人を襲って喰らう「鬼」と、彼らを討伐する戦士「鬼殺隊」との戦いを描いている。
 主人公の竈門炭治郎(かまど たんじろう)は、山の中で代々炭売りを営んできた一家の長男。まだ少年だが、父の亡きあと家業を継ぎ、生活を支えてきた。
 ところがある日、炭を売りに行っている間に、何者かに家を襲われ母と兄弟たちを殺されてしまう。かろうじて息のあった妹・禰󠄀豆子(ねずこ)を連れて山を下りようとするが、禰󠄀豆子は炭治郎に襲い掛かる。家を襲ったのは「鬼」と呼ばれる生き物であり、その血を浴びた禰󠄀豆子も「鬼」になってしまったのだ。
 妹を元に戻すため、家族の仇を討つため、炭治郎は鬼殺隊(=「鬼」の討伐隊)の一員として「鬼」に立ち向かう。

 作中には多くの人物、そして多くの「家族」「家族のような、強く結びついた関係性の人々(師弟・流派・同僚・養子・血を分けた生き物)」が出てくる。本作品の魅力について、作中年代である「大正期」の家族にまつわる制度を補助線に、少し想像の翼を広げながら考察してみたい。

大正時代の「家族」像

 さて、大正といえば西暦1912年に始まり1926年まで続いた元号である。
 「鬼滅の刃」1巻の作中時間はおそらく大正元〜4年ごろと推定される。この間、家族を考える上でベースとなるのが、明治31年(1898年)に施行された明治民法により規定された「家」制度である。
 『最新 体系・戸籍用語事典』(南敏文/監修 髙妻新/著 青木惺/補訂 2014年10月刊 日本加除出版)によれば、「家」制度とは「家」「戸主」「家督相続」の三つを柱とする法律制度である※注1
 まず、明治5年に全国統一の戸籍が初めて作成された。その際、各家ごとに「戸主」の名前を明示する決まりになっていた。国民の動態把握を主な目的として作られた制度であったため、戸籍に明記される「戸主」とは「現実の生活共同体の主宰者」=「世帯主」的な意義をもっていた。
 しかし、明治31年施行の民法で「戸主」は法制上で「強大な権限」を付与された。それは「一つの「戸籍」のうえに、その家長たる身分を「戸主」として表現させ」るものであった。※注2

……と説明すると少し言い回しが難解なので、今回は無理やり話を簡単にしてみたい。

「箱」でイメージする「戸主」と「家督相続」

 まずは「箱」をイメージしていただきたい。それは地図などでよく目にする、上から見ると四角い「箱」のように見える「家」で、そこに炭治郎をはじめ、竈門家の全員が住んでいる。この箱の内側にいる人が家族であり、外側にいる人はそれ以外の人間である。
 人が出入りできるようその箱には玄関がある。鍵はひとつしかなくて、それを持っているのは炭治郎だ。鍵の所持者のみが、誰が箱の外に出るのか、誰を箱の中に入れるのかを決めることができる。
 この鍵を所持している人は、箱の中の「家産」、さらに箱そのものの持ち主でもある。
 かなり乱暴な説明になるが、この権利を持つ人が「戸主」と呼ばれる。

 「戸主」は、主に前の戸主が死亡・隠居した場合に交代する。その際「その戸主権を有する地位とともに「家」の財産(=家産)全部を当然に新戸主に引き継ぐべきものとされていた」※注3
 先ほどの例えでいうと、炭治郎の前にはお父さんが鍵を持っていて、亡くなったのち自動的にそれを引き継いだということになる。家督相続の場合、妻・女性は当然に法律上「無能力」とされていたため、妻(炭治郎の母)には引き継ぐ権利がなかった。また、箱の中にある財産すべての管理を炭治郎が一手に引き受けなくてはならない。その義務は財産だけでなく、箱のなかの家族全員の生活についても及ぶ。

 まとめると、「戸主」は家族の結婚・住所に口を出す権利を持つ代わりに、家族の扶養の義務を一手に引き受け、「家」の財産をただ1人で所有・管理するべきとされていた。このような「戸主」の権利を相続する制度が「家督相続」である。
 現代の民法なら財産は、配偶者にまず1/2が分配され、残りの1/2を子どもの数(竈門家は6人)で分けることになるので、炭治郎の相続分は1/12だ。また妻が相続人から当然のように排除され、長男にだけ特権が与えられるだなんて、ずいぶん不平等な制度だ。もっとも、権利を取り上げられる側もたまったものではないが、義務を背負わされる側もまた一苦労だっただろう。
 作中には、炭治郎が「俺は長男だから我慢できたけど、次男だったら(筆者注:怪我の痛みに)耐えられなかった」と内心つぶやく場面もある。家長として他の家族を食べさせていく「役割」を背負った立場上、そう簡単に弱音を吐くことは許されない、という価値観を持っていることが伺える台詞だ。

「家族」が欲しい鬼VS.大正の長男

 ところで「鬼」となった者もまた、「役割」をよりどころにして擬似的に家族を作ろうとしていた。それが那田蜘蛛山(なたぐもやま)のエピソードである※注4。単行本ほぼ2巻分を費やす長編回、しかも最初のボス戦にあたる場面であり、アニメシリーズでは第1シーズンの終盤に放送された。物語上の最初の大きな山場と言って差し支えない。

 炭治郎たちが向かった那田蜘蛛山には、蜘蛛の能力を持った「鬼」たちが棲んでいた。「鬼」たちは「姉さん」「父さん」などと呼び合い、一見すると「家族」のようだが、鼻の効く炭治郎は彼らから「恐怖と苦痛の匂い」がするのを感じ取り、違和感を覚えていた。
 山をさまよい歩くうちに、炭治郎は末っ子と思しき男の子が「姉さん」を虐待するところを目撃する。見かねてその末っ子(=累(るい))を止めようとするが、口出しされて怒った累は特殊能力で反撃する。
 その攻撃を「鬼」である禰󠄀豆子が身を挺して受け止めたのを見て、累は「本物の“絆“だ!!」と驚き、炭治郎を見逃す代わりに禰󠄀豆子を自分に渡せと言い出した。
 
「恐怖でがんじがらめに縛り付けることを家族の“絆“とは言わない/その根本的な心得違いを正さなければお前の欲しいものは手に入らないぞ!!」

 そう啖呵を切った炭治郎に、「十二鬼月」である自分に勝てるものならやってみろと挑発し、累は猛攻撃を仕掛ける。

吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第38話(集英社)

 累は、ほかの「鬼」よりもひときわ強かったので、弱い「鬼」に対して自分の血を分け与える代わりに、自分と同じような顔つきに変化することを強要していた。彼らは「父親」「母親」と呼ばれるが、それはあくまでも累の与えた疑似家族の役名でしかない。少しでも彼の気に入らないふるまいをすれば処刑され、また次の「鬼」が同じポジションにつく。ここまで「役割」に徹することを求められると、もはや家は安心できる居場所ではない。
 累は「家族の構成員を決める主導権を持っている」「家でいちばん強い」「故に家の何もかもを彼が掌握している」という立場にある。この特徴は「戸主」の特権によく似ている。彼はたまたま鬼舞辻無惨(「鬼」の始祖)から強い力を与えられ、その特権を振りかざして無理やり「箱」の中に「家族」を閉じ込めている。
 たまたま「家督相続」のある時代の長男に生まれ、責任感の強い性格に育った炭治郎と、たまたま強い力を与えられて「家族」をコントロールする累。那田蜘蛛山のエピソードは、家長同士が自分の思う“絆”をめぐってぶつかり合う話とも読むことができる。

 累の暴力による「くびき」としての絆は「家族」の心をいっそうばらばらにし、その状況を作り出した累自身も孤独を抱えていた。だからこそ、炭治郎を庇う禰󠄀豆子に「本物の”絆”」を見出し、それを欲しがった。
 誰かと助け合うためには対等に背中を預け合える関係性でなくてはいけない。すべてをコントロールできるということは、裏返せば何もかも自分で背負わなくてはならないということだ。それはきっと、どんなに強い力を持っていたとしてもつらいことだ。
 炭治郎と禰󠄀豆子は互いに助け合い、また亡くなった家族との記憶にも助けられ、ぎりぎりのところで累に勝利する。「役割」にこだわり、たとえば「俺は長男だから家族を守らねば」と禰󠄀豆子を戦わせなかった場合、この勝利は掴めなかったはずだ。

作られた「箱」の中身を覗いてみる

 社会という枠組みの中にいる以上、人間関係には何かしらのロールプレイがついて回る。
 炭治郎だけではない。現代を生きるわたしたちであってもそうだ。とりわけ家族内の「役割」はアイデンティティに深く結びつく。「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」や「お母さんなんだからしっかりしないと」などの声かけは、いつの間にか内面化され振りほどくのが難しい。

 とはいえ、累の作った「めちゃくちゃ役割重視の家族」と比べると、決してわたしたちは「役割」だけを生きているわけではないことがわかる。制度の与える「役割」はあくまで半分だ。ではもう半分は?
 「役割」を演じながらも、そこに固執せず対等な他者でいるということ。関係性における「役割」が移り変わったとしても、相手は自分にとってかけがえのない人であるということ。それこそが制度という「箱」に対する「箱の中身」である。それはたとえば命の終わりであったり、あるいはひとつの関係性の終わりであったりするかもしれないが、遠く離れても呼び名が変わっても、たとえ別の生き物になってしまったとしても、大切な人であることは揺らがない。「鬼」になって、かつての面影を失っても、禰󠄀豆子と炭治郎が背中を預け合い、助け合ったように。
 制度によって作られた箱の中に、どれだけ熱いものが入っているのか。その温度感を鮮やかな筆致で描いてみせる令和の名作、未読の方はぜひお手に取ってみていただきたい。映画・アニメも充実した作品なので、全23巻の大人買いを躊躇っている人はそちらもぜひに。

 マンガというコンテンツに「家族」をめぐる制度を並べてみると、そこに描かれた人と人との関係性のあり方にぐっと奥行きが出てくるような気がします。また「家族」にまつわる法制度が、具体的にどのようにして営まれているのかを想像する一助にもなるかもしれません。
 ページをめくる手を止めて顔を上げれば、そこにはわたしたちの生きる社会が広がっています。引き続き、マンガを楽しみ、そして「家族」について考えることを楽しんでいきたいと思います。ぜひお付き合いいただければ幸いです。


注1:南敏文/監修 髙妻新/著 青木惺/補訂『最新 体系・戸籍用語事典』638頁(日本加除出版 2014年10月刊)
注2:南敏文/監修 髙妻新/著 青木惺/補訂『最新 体系・戸籍用語事典』640頁(日本加除出版 2014年10月刊)
注3:南敏文/監修 髙妻新/著 青木惺/補訂『最新 体系・戸籍用語事典』641頁(日本加除出版 2014年10月刊)
注4:吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第28話〜第43話(集英社 2016年~)④〜⑤収録