ニドホグ

吐瀉物に囲まれた溝鼠

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鹿目まどかの抱き枕を買ったら、俺は暁美ほむらだった

※注意※ この記事には『魔法少女まどか☆マギカ(アニメ・映画)』のネタバレが含まれます。 はじめに「美少女に救ってもらわねば……」  思い至って数日後、段ボール箱に詰められた美少女が自宅に到着した。  彼女の名は鹿目まどか。魔法少女まどか☆マギカの主人公にして、俺の理想化された女子中学生(二次元)像の根幹を担う女の子だ。  何故、鹿目まどかなのか? と問われたら、好きだからとしか答えようがない。しかし、自分の傾向を分析するに、彼女を選んだ理由はそれだけでもなさそうだ。

    • モテたかったオタクがスケベな抱き枕で人生と接続した

      人間関係ってかなり難しくないか?  世界には人間が沢山いる。地球上にだいたい何人とか、日本人の総人口は何人ぐらいとか、そういう話が日常会話に出てきたときに、何かみんなパッと答えられてるよな? 俺はまったく覚えていないから、そういうのがかなり異質に見える。  今調べた、世界人口が80億人で、日本人口が1億2397万人らしい。こういうのって概算で出している値のはずだから、世界なら億より下の桁の人数、日本なら万より下の桁の人数、省略されて見えなくなっている人たちがいるわけだ。そう

      • オタクくん! 陰茎を撫ぜていたら人生が終わっていくよ!!!

        日常は絶望の類義語  休日の過ごし方というものには様々な形があるだろう。友人と遊ぶもよし、本を読んでもよし、散歩なんかも馬鹿にできない。何をしても良い。自由、それが休日のあるべき姿だ。であれば女性器を模したシリコンに陰茎を突っ込んで終える一日があっても良い筈なのである。  ベッドの上から動かず、スマホの向こうに広がる仮初の無限へと目を滑らせる。思い出したかのように短い睡眠と自慰をした。それが俺の今日という一日だ。最悪である。どう考えても良いわけがない。しかし、どれだけゴネ

        • 感傷に浸るオタクは痛い、でも……

          逆張りするドライな人間 「エモという言葉が嫌いである」そんな言説はインターネットで何度繰り返されたのだろうか? もはやエモはメインカルチャーで、だからそのアンチもそれはそれで表通りなのだと感じる。  言葉に価値など無いのだろうな。そもそも言葉ほど時代と共に移り変わるものは無い。何故ならそれは心を表現するためのツールであり、人の心は絶対的でないからだ。  今更、「新しい」を「あらたしい」とは呼ばないし、「いとおかし」を使いもしない。いずれ「永遠と」も定着し(或いは既に……)、

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          昔の話、親とゲーム

           俺の親は、少しばかり厳しいというか、ある種偏執的だった。俺が見たいと言った映画には検閲が入り、勿論のことゲームは禁止。なんならコーラも禁止されていた。スピリチュアルに傾倒していた母は、そうすることで俺が "正しく" て "まとも" で "幸せ" になれると信じているようだった。尤も、母の道徳性が酷く表面的で薄っぺらく見えていた俺には、到底善く在ることで救われるだなんて思えなかった訳だが。  さて、そんな俺にも一年に一度、ゲームを許される日があった。誕生日だ。  俺がやる

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          孤独なオタク、全肯定してくれる美少女音声に苦しめられる

          序  俺が中学生だった頃と比べて、最近はASMRに始まりシチュエーションボイス、催眠音声と、随分美少女の音声が増えてきた。聞くところによると、そういった音声を題材としたアニメなんかも作られているらしい。  だからというわけではないが、今回は彼女達について書こうと思う。それと、もう一つ。この文章では孤独についても書くつもりだ。俺の人生において孤独とは、音の美少女と切っても切れない関係にある概念だから。  人が孤独を感じるのは何時だって、自分が一人でいるときに、楽しそうに話す

          孤独なオタク、全肯定してくれる美少女音声に苦しめられる

          『ドキドキ文芸部!』現実と妄想、オタクは美少女を救わない

          ※注意※ この記事には『ドキドキ文芸部!』のネタバレが含まれます。未プレイの方は本記事を読む前にプレイする事を強く推奨します。 はじめに 「三次元の女に興味ない、二次元こそ至高」  "萌え"が"推し"に代替した現代では、すっかりと聞かなくなったネットスラングだ。まあ、当然の衰退である。この言葉は現実から疎外されたオタクにとって、自虐の色を多分に含んだ虚勢だったのだから。しかし、それでもこの言葉は、オタクにとって確かな寄る辺だったように思える。  オタクはどれだけ現実が辛

          『ドキドキ文芸部!』現実と妄想、オタクは美少女を救わない

          沙耶の唄、二人の関係は純愛か?

          ※注意※ この記事には、沙耶の唄(ゲーム)のネタバレが含まれます。 はじめに  物語との向き合い方として、たまに「神視点」という言葉が使われる。これは物語中の誰に感情移入する事も無く、箱庭を眺める神のような視点で物語を楽しむという意味合いだ。しかし、私から言わせてもらえば「神」だなんてとんでもない。せいぜいストーカーが良い所である。  我々は登場人物にとってどこまでも部外者で、立派で美しい彼ら彼女らよりも圧倒的に卑小なのだ。そして「物語を読み終える」という行為は、卑小な我

          沙耶の唄、二人の関係は純愛か?

          メンヘラの作る創作物の良さ

          最近は、随分と感傷的な人間になった気がする。恐らく、寝不足か夜ふかしのせいだ。 どうせ俺の心はホルモンバランスの出力でしかなくて、感情なんて化学反応と物理現象の成れの果て。 世界は結構身も蓋もない。考えれば分かることだ。 俺は、健康な人間にメンヘラと称される人間の書く文章や、描く絵に惹かれる。とはいえ、自分でもかいてみたいかと問われると、別にそのような事は無い。これは恐らく、作品に惹かれ、人格を見下しているからだ。そういう汚さというか、嫌な醜さが俺にはある(こんな事を書

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          中学時代ボッチだった俺が、妄想の彼女を創って寝取られ殺すまで

          序(自己紹介みたいな) 私はエッセイという言葉が嫌いです。とはいえエッセイを和訳した単語であるところの随筆。これは特に嫌っておりません。では、今回書くモノは随筆なのか? 私はコレを、私小説と呼ぶつもりです。随筆という単語は少々画数が多すぎるし、何より小野小町がチラつきます。私の小説上で他人の影がうろつくのは、少々不快ですからね。  さて、ダラダラと意味の無い文を書きました。これを読んでいる人間はきっと「すぐに貴様の失恋模様を見せろ! 狂人的追想をまろび出せ!」と、そう思ってい

          中学時代ボッチだった俺が、妄想の彼女を創って寝取られ殺すまで