無職です、社会が嫌すぎる
辞めてやったぜ糞山の蠅
俺はここで生きている!!!
この文章を読んでいる人間、画面の向こうに生きている人間がいるということを忘れていないか? 俺は二月前から上司に仕事を辞める旨を伝え、何度かの面談の後に本日仕事を辞めることができたわけだ。至って穏当、しかし明々後日引っ越す予定の俺はこんな文章を書くのでなく掃除をすべきだ。どっこい現実はボンヤリ見ていたVTuberの切り抜き動画にオムライスという単語がでてきて、食べたくなったので深夜のコンビニに卵とチキンライスを買いに行った次第である。生憎と皿はここ数か月洗っておらず、完成したオムライスは仕方なくタッパーに盛り付けられた。そうして俺はPCの前に座り込み、最悪の気分の日に見ようと取っておいた「Lv2からチートだった元勇者候補のまったり異世界ライフ」のアニメ10話を見ながらオムライスを食べたわけだ。しかし今日が最悪の気分な日だったかというとそんなことはなく、無職祝にと取っておいたアニメを解禁したわけである。
つまり何を言いたいのかと言えば、冒頭で言った通り俺は生きているということだ。自分ルールを捻じ曲げ、なんとなく動画を見て、その影響を受けて深夜のコンビニへひた走る(実際は歩いた、小雨だった)。そういう人間のリアルがツイッターにも2ちゃんねるにもYouTubeにも潜んでいる。そう考えてみると、なんだか気持ち悪くないか? しかし、多くの人間はそういう気持ちの悪いリアルさに気が付いていないのだ。生身の人間と対峙して尚、そうなのだ。君たちは顕微鏡などで拡大された野菜や布の画像を見たことがあるだろうか? あれらは妙に毛羽立っていて、ぶつぶつしていて、気持ちが悪い。生きているとは、恐らくそういうことなのだ。
人間には感情があって、思考があって、その先に行動がある。勿論、人間は自分の感情しか認識できないから、俺みたいな小賢しくて鬱陶しいひょろひょろのオタクは無邪気に「観測できないものは存在しない!」とか言って他人の感情とやらを無かったことにしようとする。でも、あるんだと。気持ちの悪い意味不明な、心と一括りにされる混沌が。
俺はかなり怖いよ。人々が心と聞いて真っ先に浮かぶ温かいイメージ。違う、そうじゃない。
ちょっとハードル高くない?
上司が送別会とか言って、良く分からんTeams会議を設定して下さった。以前には別の更に偉い上司が、俺と面談をして下さった。そこで彼らは俺に言うのだ。「親心」とか「親ってそういうものだと思う」とか、言ってくるのだ。俺が若いから、だろう。たぶん、無職になろうとするハジケタ若者は、おじさんの親心を刺激するのだ。
だって俺、言ったもんな。「仕事辞めてゲーム作りたいんすよ!」ってさ。そしたら、おじさんも言いたくなる「いや、アツイねえ。おじさんにはもうできない、眩しいよ、でもね……」そんな感じ。その上、目の前の若者が実の親と折り合いが悪そうだと分かれば、更に言いたくなってしまうのだ。『親心』が漏れ出してしまうのだ。親じゃねーけど。
でも冷静になって欲しい。会社のおじさんに、仕事を辞める本当の理由とか言うわけなくないですか? そりゃあ、ゲームは作ろうと思っているよ。実際、結構本気で。8月の頭にリリースしてえなぁ、売れるかなぁ、売れて欲しいなぁ、ってさ。でもでもでも、仕事を辞めたい理由なんて「普通に面倒くさいし嫌だから」くらいしか無いって。仕事って何させられるか知ってる? 残業ばっか、意味不明な発表のために半年もかけさせられてさ、発表資料とかも面倒だからハイハイ上司の言うこと聞いて作ってんの。で、上司は「もっと自分を出した方が良い」って! いやいやいや、俺が自分出したら「特にやる気は無いし、仕事中に工夫もしてないので書きたいことはありません」ってなっちゃうよ。でも、23歳で無職選んじゃうような俺でも流石に分かる。自分を出すってそういうことじゃない。飲み会でもさ「目標にしてる会社の人とかいないの?」って、会社どころか人生で他人を目標にしたり憧れたりしたことないよ! 俺は偉人の奇人エピソードとか嫌いなんだよ。ああいうのって、自分と偉人は根本的に違う存在だから、何も成せてない自分は大丈夫なんだって大衆が安心するための物語でしかないじゃん! 大丈夫じゃないです! お前! そして俺! 偉人も! 何も大丈夫じゃない! 別に、偉人も俺もお前も、みんな同じ人間だよ。そういうリアルさに気が付いて、目の前にいる人を見てくれよ。何だよ親心って。それって子供側が知って何かしてあげないといけない奴ですか? 介護とかするときに自分の時間を他人のために捧げさせるための方便ですか? 俺は別に全然親に感謝とかしていません! 俺は普通に性格が悪いから、何かアニメとかに出てくる感じの、家が綺麗で朝起きたらバランスの良い飯が出て来て、家族一緒に朝ごはんを食べて、俺の悩みとかを受け入れる余裕がある大人が親として存在している、そういう家庭環境じゃないと感謝できません!
そりゃあ、都会のデカイ企業で課長とかやってるおじさんからしたら、家族って『そういうもの』かもしれませんけど、九州の糞田舎で離婚してて子供に金集るような親だともう、家族って『そういうもの』じゃないんです!
別にね、リアルな人間って色々あるから、おじさんもなんか大変な日ってあると思うよ。仕事サボりたい日だって俺と同じであるでしょう。でもアレだよな、家族がいて、社会人としての責任とかそういうものを信じられるから、おじさんは、ちゃんとやってんだよな!? 多分息子さん娘さんも幸せなんじゃないですか!? でも俺、アンタの息子じゃないし、別に親も好きじゃないし。普通に他人として生きるんじゃダメですか? 偉い上司さん、退職代行ってそんなダメですか? 俺は使ってないけど、別に使っても良いじゃん。普通にやりたくないよ、今まで仕事とか教えてもらっておいてベテランにもならないうちに辞めるってことは、俺ってマジで会社に損害しか与えてねえし。面と向かって辞めると言い辛いなんて普通でしょ! ってね、俺が自分を出すってこういうこと。まあ、長い事同じ企業に勤め続けて昇進できる人たちと俺の価値観が合わないことは明白ですわな。
つーか、小学生の頃、母を見てあれだけ唾棄すべき存在だと思っていたニートに俺が今、今日、なってんの。因果なモノね。でも、自分で貯めた金使ってニートするから、許してくれガキの俺。
怠惰とはつまり社会への低評価
仕事って、面倒臭いんだ。延々とタスクが降って来て、終わったたらまた次。常にギリギリの締め切りに追われて、残業残業。ちょっと余裕あるときも、普通に仕事はある。ふとした上司との会話に紛れてる、社会に適合しきった思想。昔はもっと残業してたとか懐かしそうに言ってるけど、俺は全然今も辛いから「えー、すごいですねっ」っつって。飲み会で新人にキャバ嬢の真似事させんなよ。普通にプロのお姉さんのとこ行ってくれ。あと上司さん「酒無しの食事会なら若い子も良いでしょ」って、まあ、そりゃあ飲み会よりは良いよ。飲み会って無駄に長引くけど、食事会は食べ終わったら終わりだし。でも普通に、食事会も何もない方が嬉しいです。まあ、マネジメントのなんとかとかどうとかとかあるのかもしれないし、上司はたぶん頑張って若者を理解しようとしてくれている良い人なんだろうけど。俺にはあんまり関係ない。
やっぱさ、仕事をしていると青空を見る機会が減るわけです。それが俺は何か、かなり嫌なんだ。特に夏とか、入道雲もあって蝉も鳴き始めるのに、俺はずっとエクセルでつまらん作業をやっている。最悪でしょう。もう嫌になりますよ。だから俺は、夏までには仕事を辞めたかった。そういう意見は洒落臭く感じられるようで、友達に話したら嫌そうにされました。まあ、その意見も分かるけど。外が夏なのにサラリーマンな自分ってやっぱり嫌じゃあないですか?
もう大人ですけども、心がずっと子供のままで。勿論、自分のことは十分に大人だとは思っているけれど、じゃあどうやったら『社会人としての責任』みたいな言葉を馬鹿馬鹿しく思わないようになれますか? 俺と会社なんて所詮ただの雇用契約でしかないし、上司とは言っても別に人間として偉いわけじゃないだろ、みたいな社会不適合なことを考えない俺になれますか? 俺はどうにも、そういう不適合な思考回路こそが自分そのものの様で、だからいつまで経っても社会に適合できる気がしない。
俺は別に、不登校になったことも宿題を常習的に忘れたことも無かった。全然、学校では社会適合者の範囲内にいた。ただ子供の頃に社会適合できていたのって『どうせ子供は親のペットでしかないんだ』っていう諦めがあったからなんですね。この資本主義社会で責任能力もなければ親の同意なしに家も借りられない子供なんて、不自由極まる存在なわけです。だから俺は、ずっと大人になりたかった。自由になって、他人の金銭に命を握られていない人間になりたかった。でも、結局大人も会社の金銭に命を握られている。もしかして、人って一生不自由なのか? そんなことを思うと、もうやっていられなくて、社会適合者のフリも続けられないわけですよ。俺は無職になって初めて、ある程度理想に近い形で自由なわけです。でも貯金だって一年生きられるかどうかしか無いけどもね。それでも自由なんです。
これからどうなっていくのかな? 分かんないけど、幸せになりたい。幸せって何だ? 快楽行為を繰り返すことか? たぶん違う。人間、何の刺激がなくたって、生きているだけで気分の浮き沈みというものがある。沈んでいるときは当然、いつもは気にもしない、しょうもない不安を探してきては落ち込んでみたりするわけだ。そんなの幸せじゃないよね。たぶん、幸せって永続的な状態を指し示すものじゃなくて、ふと感じるものなのだと思う。そのふと感じる幸せをできるだけ高頻度で起こせるようにするのが、幸せになるということだ……ダルすぎる!!!
例えば俺には夢がある。小説家になりたい。でも、たぶん小説家になったから俺は幸せになるかと言えば、そんなことは無いだろう。人間、不幸は明確な形を持っているが、幸福は曖昧なものだから。じゃあもう俺、別に幸せとか良いよ。ならなくて。なんかエロくて優しいアニメみたいな女の子が俺のことを好きでいたら良いな~とは思うけど、そんな奴がいたとしても俺はどうせ幸せになれない。
ただ生きている、それだけが事実なのだ。正直、辛いなら別に死んでも良いと思う。俺は生存欲求があるから生きてるけど。なんとなく洗面器に溜めた水に顔をつけて「息ができないなぁ」と苦しくなってみた夜もあった。なんか事故死したら、かわいそうだから、それが理由で会社行けなくても許されるかなぁとか考えた朝もあった。正直、別に命なんて尊くない。なんか大層な理由がないと、生きている自分を肯定できないだけだ。
ていうかさあ、なんか死の話をするときに「親や周囲の人が悲しむ」みたいな話をすぐにしてくる奴いるけど、的外れにも程があるだろ! 何で死ぬ時まで周囲の顔色を窺わなければならんのだ! 別に俺は、周囲の人間を喜ばせるために生きているわけでも、周囲の人間を悲しませるために死ぬわけでもないよ。何なんだよ、普通の人って、皆そんなに周囲の人が大切なんですか? いや、俺にだって友達はいますよ。学生時代からの友達とか、ネットで知り合った友達とか、皆さ、子供の頃にはあんまりいなかったタイプの人たちで、話していて楽しいし話を聞いてくれるし、大切には思ってるよ。でも、それって俺の生きていることとか、死にたさとか、そういうことには全くもって関係がないでしょう!? 周囲の人のことを死ぬ瞬間まで気にしてる人って、自分自身のことについてはどう考えているんですかね? それとも本当は皆、俺と同じ意見で、普通とされている思ってもいないことを言っているだけ? 俺が上司にしていたように? 分かんないよ。分かんないけど、自分の意見を述べるのでなく、他人に意見する状況で一般論を述べるのは、あんまりにも適当に喋りすぎじゃあないですか?
深夜に作ったオムライス
まあ、とにかく今日から無職です。
引っ越しもすぐだし、掃除しないとな……
最後にね、俺が作ったオムライスを見せてあげよう。
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