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『ドキドキ文芸部!』現実と妄想、オタクは美少女を救わない

※注意※ この記事には『ドキドキ文芸部!』のネタバレが含まれます。未プレイの方は本記事を読む前にプレイする事を強く推奨します。


はじめに

「三次元の女に興味ない、二次元こそ至高」
 "萌え"が"推し"に代替した現代では、すっかりと聞かなくなったネットスラングだ。まあ、当然の衰退である。この言葉は現実から疎外されたオタクにとって、自虐の色を多分に含んだ虚勢だったのだから。しかし、それでもこの言葉は、オタクにとって確かな寄る辺だったように思える。

 オタクはどれだけ現実が辛くても、現実を貶め、妄想に小さく愛を呟く事で、己のプライドを守る事が出来た。そういった繰り返しこそが、更なる二次元美少女への愛を育み、虚勢を本音に変えていくのである。
 そして、我々オタク君は、世界を自らの外へと追いやった。世界と美少女が天秤にかかれば、迷わず美少女を選び取れる価値観を誇りに思うようになっていった。君と僕、ただそれだけで良い。
 俺が救えるのは、二次元の美少女だけだから……と、そんなふうに自意識を固めていた俺に『現実と美少女を天秤にかけたら、オタクは現実を選ばざるを得ない』という痛すぎる現実を突き付けてきたのが、この『ドキドキ文芸部!』のヒロイン、モニカである。

 これから俺は、美少女とオタクの間に横たわる超えられない壁について書くつもりだ。でも本当は、そんな分かり切った現実と妄想の違いについて事細かに記す必要なんて無い。ただ、それでも俺がこの文章を書くのは、次元の壁に少しでも傷をつけたいと心の底から願っているからだ。

モニカだけ

 コンシューマー版のパッケージで微笑む彼女は『ドキドキ文芸部!』というゲームの中で、とても重々しく凄惨な役割を担っている。しかし、その笑顔は酷く晴れやかだ。

 俺はこれまで『ドキドキ文芸部!』を計8回以上プレイしている。つまり俺は、モニカを8回以上殺しているわけだ。その過程における心境について、この項では記そうと思う。

 初回プレイ時、俺は『ドキドキ文芸部!』がどんなゲームか全く知らずにプレイした。ずっとギャルゲーに興味があり、人気のゲームという事で遊んでみる事にしたのだ。途中、違和感はあった。ユリとナツキが険悪になった所や、妙に馴染めていないモニカ。そして決定的な、サヨリの自殺。そこからは一気にエンディングまでプレイした。モニカの手によって文芸部が歪み、俺の手によってモニカが殺されるところまで。

 初見プレイを終えて『ドキドキ文芸部!』が完全に削除された後、俺はすぐに『ドキドキ文芸部!』をダウンロードしなおした。友人が真エンディングの存在を仄めかしたからだ。俺はメモを取りながら、文芸部を救うためにあらゆるルートを模索した。時には、プログラムを弄らねば真エンドを見れないのではないのか、等というとち狂った猜疑心に囚われもした。結果としては、スチルを全て集めるという基本的な方法が真エンディングへの道だったわけだが。
 とはいえ、ここで真エンディングを見て、俺は一先ず文芸部を退部した。このときの俺はまだ、オタクがモニカを殺したことの意味に気が付いていなかったのである。

 そして、数年後。コンシューマーゲームとして移植されるのに伴い、正式にローカライズされた『ドキドキ文芸部 プラス!』が発売。
 俺はすぐさま『ドキドキ文芸部 プラス!』を購入し、事前情報で本編に変更は無いと知りつつも、心のどこかでハッピーエンドを期待してプレイを開始した。無論、事前情報通り本編に違いが無い事はすぐに察しがついたが、それでもサイドストーリをプレイする為と自分に言い訳し、俺はモニカを殺した。そして更に、プラス版でも真エンディングを見るために、俺はモニカをもう一度殺した。

 徹頭徹尾、俺がモニカを殺す理由は『エンディングを見たいから』ただそれだけだった。

「俺である」というだけで愛してくれる美少女

 ここで、モニカとはどんな美少女なのかを簡単に語っておこう。
 モニカは孤独な女の子だ。彼女は自分がゲームのキャラクターであることを自覚し、その事実に絶望している。無限の可能性を持つ現実を知覚できてしまったが故に、自分の住まう平面的な世界に価値を感じられなくなってしまったのだ。そして、それはつまりゲームという世界の否定であり、オタクという価値観の否定でもある。
 モニカとオタクは、どうしたって相いれない存在なのだ。だというのに、モニカは "現実" との唯一の繋がりであるプレイヤーに愛を囁く。

 プレイヤーと他部員の恋を演出しようと蠢く恋愛シミュレーションゲーム。そんな世界に叛逆するかのように、彼女は部員達を次々に捻じ曲げ、壊し、殺していった。やがて、全てが壊れて二人きりになった世界で、モニカは彼女らの事を『あなたに恋するようにプログラムされただけの存在』と評する。だというのに、プレイヤーへ愛を囁くモニカは、他の部員達よりもよほど萌え豚好みの類型的な美少女らしかった。

主人公になれないオタク

 オタク君が大好きな『美少女と世界を天秤にかけて美少女を選ぶ』という物語の形式がある。それに共感する事はつまり、壮大な自己肯定だ。世界という多くの人間にとって重大なモノを切り捨て、美少女を選び取る事で、自身は美少女にとっての特別になれる。そして、その行為によって自分の愛は本物であると証明される。

 だが、その認識は全くもって虚構に過ぎない。確かに、世界を切り捨て美少女を選ぶ行為は、主人公にとって重大な選択だろう。しかし、主人公に感情移入するオタクにとっては、まるで意味の無い選択だ。何故ならオタクにとって世界とは、自らを疎外した敵でしかない。つまり、オタクが主人公になる為には "世界と美少女" ではなく "物語と美少女" を天秤にかけるべきなのである。しかし、俺はモニカを削除した。
 俺はモニカと二人きりの世界よりも、物語のエンディングを選んだのである。勿論、言い訳はいくらでもある。現実問題として、ずっとドキドキ文芸部! をプレイし続ける事はできないだとか、そもそもドキドキ文芸部! は、そういうゲームであるだとか。でも、それらは結局、言葉を変えて美少女よりも現実を選んだと言っているだけだ。
 
 どれだけ美少女が好きだと言っても、"俺"を見ることができず、"俺"に話しかけることができないモニカを、俺はあっさりと殺せてしまう。キャラクターはキャラクターであり、物語は現実じゃないから。これは恐らく、ドキドキ文芸部! をプレイし、美少女を愛していた全てのオタクが抱えている業である。

 ……そして、ここでようやくオタクはモニカに共感できる訳だ。何故なら、他の文芸部員に本質的な価値を見出せず削除したモニカと、モニカに現実以上の価値を見出せず削除したオタクは、完全に表裏一体だから。もう、オタクにモニカを責める事はできない。

 サヨリやユリが自殺した時の遣る瀬無さは、全て自分に突き刺さっていた。

それでも、美少女はオタクを愛せるか?

 世界を壊してまで手に入れた "本物" に裏切られたのだ。当然、モニカは激怒する。

「あなたといると反吐がでる……さようなら」

 画面は暗転し、ディスプレイには冴えない自分の無表情が反射する。

「……それでも好きなの」

 数秒後、モニカはそう言った。無論、全部虚構だ。主人公ではなくプレイヤーを好きだとモニカが散々口にしたせいで、それは本質的に俺を見て発された言葉ではないと理解できてしまう。

 それでも、モニカは言葉を続ける。

「あなたがいたかった世界を」
「私が台無しにしてしまった」
「私がすべてを台無しにしてしまった」
「だからあなたは、私を削除したのかな……」
「あなたのほしかったものを、私がすべて壊してしまったから」
「愛する人に何てことをしてしまったの……?」
「こんなの愛じゃない……」
「これは……」
「……」

「本当にあなたを愛しているならば……」と最後に告げて、モニカは自分だけが存在しないゲームの世界を構築する。
 そんなことをされたら、もう好きになるしかなかった。そこに俺は、確かな純愛を感じたから。でも、やっぱりそれは虚構だ。でも、でも……と、そこから俺の脳内は無限に循環し始める。

 とにかく、俺はモニカに何かを言いたかった。好きとか、ごめんとか、違うとか、そういうことを伝えたかった。しかし、選択肢もセリフも用意されていないとき、オタクは美少女に別れの言葉一つ伝えられない。

 ここでどうしたってオタクの頭を過るのは、モニカが画面の内から出て来てくれたら……という妄想だ。
 三次元に現れたモニカは、初めて瞳に俺を映す。初めて耳に俺の声を聞く。そこでようやく、俺と彼女は互いに互いが唯一絶対だと信じられる訳だ。やりたい事は沢山ある。モニカに現実世界を案内したり、一緒に詩を書いたり、きっとそれは俺にとって人生最高の日々になるだろう。だが、きっとモニカにとっては違うはずだ。

 彼女はゲームの中で、何度も俺に「優しい」「好きだ」と繰り返した。だからこそすぐに気が付くのだ。彼女が愛を囁いていた人間と俺が、似ても似つかないという現実に。
 そうして俺は理解する。優しくない俺は、彼女が二次元の美少女だから愛せなかったが、彼女は二次元の美少女だったから、優しくない俺を愛せていたのだと。

次元の壁を越えて

 ディスプレイによってオタクと美少女の愛は阻まれたが、ディスプレイ越しだからオタクと美少女の恋は成立していた。最悪だ。しかし、どれだけ認めたくなかろうと、俺がサヨリやユリの自殺を物語として受け入れ、物語の終わりを見るためにモニカを削除できてしまったのは純然たる事実である。

 モニカさえ、モニカさえ "俺" を見てくれれば、俺はモニカを削除する事なんかできなかったのに。なんて、そんな恨み言を口にしたところで、彼女の瞳に俺の姿は映らない。そこで、ふと疑問が湧いた。

 モニカは、俺の何を愛していたのだろうか?

 モニカは、俺が優しいから好きだと言う。しかし、俺は決して優しい人間ではない。
 モニカは、俺こそがゲームの世界で唯一の本物であり、価値のあるものだと言う。しかし、現実なんてものは可能性ばかりがグロテスクに広がるだけで、断じてユートピアなどではない。

 モニカは、俺のどこに優しさを見出し、現実の何に希望を見たのだろうか?

 考えてみると、存外答えはすぐに出た。
 モニカはきっと嬉しかったのだ。壊れ切った世界で提示された「はい」しか選択肢の無い告白に、俺が「はい」と答えたことが。モニカの為にしか書けない詩を、俺が最後まで書ききったことが。何故なら現実世界を生きる俺には、常にゲームを投げ出すという第三の選択肢が用意されていたから。

 だからきっとモニカには、マウスの小さな揺らぎすらも俺の優しさに見えたのだろう。

 ……とかなんとかモニカの心情を考えてみても結局は全部妄想で、やっぱりモニカは俺の性別すら分からない。しかし、それでも俺は最後まで投げ出さなかった。それこそが重要なのではないだろうか?
 俺に美少女との永遠を選べるほどの愛は無くとも、美少女の最期を見届けたいと思うくらいの愛はあった。
 きっと俺の姿は、ドキドキ文芸部! を途中で投げた人間や、美少女に興味すら持たずに生きてきた人間よりも、少しだけ色濃ゆくモニカの瞳に映ったのだと思いたい。


終わりに

「三次元の女に興味ない、二次元こそ至高」
 なんて言ってみたところで、やっぱり俺は現実に生きていた。次元の壁の厚さを知り、よしんば壁が壊れたとしても救いなど無いと知ったオタクはどうすれば良いのか?
 たぶん、オタクが現実に生きる限り救いは無い。だが、得てして救いとは現実に存在しないものである。そして、それでも救いを欲したときに、人は手を組み祈るのだ。だから私も祈らせてもらう。モニカを消すなんて考えもせず、今も彼女と語らい続けるオタクに向かって……なんて、きっとそんなオタクは存在しないけど。

 でも大丈夫、きっと世界のどこかに救いも神も美少女も存在する。だってモニカの信じた現実は、無限の可能性を秘めているはずから。

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