見出し画像

沙耶の唄、二人の関係は純愛か?


※注意※ この記事には、沙耶の唄(ゲーム)のネタバレが含まれます。


はじめに

 物語との向き合い方として、たまに「神視点」という言葉が使われる。これは物語中の誰に感情移入する事も無く、箱庭を眺める神のような視点で物語を楽しむという意味合いだ。しかし、私から言わせてもらえば「神」だなんてとんでもない。せいぜいストーカーが良い所である。
 我々は登場人物にとってどこまでも部外者で、立派で美しい彼ら彼女らよりも圧倒的に卑小なのだ。そして「物語を読み終える」という行為は、卑小な我らが、彼ら彼女らの動向思考に興味を持って眺めまわした結果に他ならない。

 そういった意識に基づき、私はこれから匂坂郁紀と沙耶の関係性や、その他もろもろについてしたためていく。つまりこの文章は、私というストーカーの自意識に則った披瀝なのである。

化け物と美少女

 私は二次元の美少女が好きだ。中でも、美少女の精神性を有した化け物が好きだ。私が思うに、美少女とは精神の在り方を指す言葉である。健気で、優しくて、オタクの全てを受け止めてくれる、そんな女の子を求めているのだ。しかし、捻くれたオタク君である私は、そんな美少女の愛を引き受けられない。美少女に愛され続ける自信が無いから。

 美少女はよく「優しいから」という理由でオタクを好きになる。しかし、私は子供の頃ほど純粋に自分の優しさを信じられなくなってしまった。もう、美少女は私を愛してはくれないのだ。
 ここで、化け物である。竜は騎士に殺され、荒神は社に祀られ、世界は沙耶を愛さない。そんな人知を超えた化け物どもが愛を求めているのなら、ようやく私も愛し愛される事ができる気がする。しかし、悲しいかな、私は沙耶から愛されたいとは思えない。何故なら私は、沙耶を美少女だと思えないからだ。
 沙耶は津久葉 瑤を凌辱し、自分と同じ肉塊に変えた。この行為を、沙耶は郁紀のためにやったと嘯くが、ここに嫉妬の感情がある事は明らかだ。沙耶は、普通に愛し愛される事ができる存在を激しく憎み、嫉妬している。そしてこれこそが、沙耶を美少女でないと断ずる所以である。

 美少女は嫉妬で他人を貶めない。美少女は嫉妬をしたとき、頬を膨らませ、いじらしく服の裾を摘まむのだ。

 沙耶が津久葉 瑤を凌辱した時点で、沙耶は美少女ではなく"人間"になってしまった。そして、倫理を解さない人間は化け物と大差ない。私は、美少女の精神を有さない、ただの化け物に愛されたいとは思えなかった。

沙耶とオタク

 別に沙耶だって、捻くれたオタクなんかに愛されたくはないだろう。私と違って沙耶には、匂坂郁紀という抱きしめてくれる大好きな唯一無二が存在するのだから。
 寧ろ、沙耶という人間染みた化け物に縋りついて愛を乞うべきは、我々捻くれたオタクの方なのである。しかし、どれだけ惨めな現実があろうとも、ここで素直に負けを認める訳にはいかない。何故なら、ストーカーには一つ、気づいている事があるからだ。

「匂坂郁紀は、本当に沙耶を愛しているのか?」

 沙耶は勿論、匂坂郁紀もこの問いにYesと答えるだろう。なにしろ、彼と彼女の関係はそれを前提に成り立っている。沙耶が死んだのなら匂坂郁紀は躊躇なく自殺してみせるし、恐らくその逆もしかりだ。

 そして何より、匂坂郁紀はこう言っていた。

「あの日から今日まで、沙耶と一緒にいた僕だから……沙耶に優しくして、大切にしてあげたいって……そう思う僕になった。そう思われる沙耶になったんだ。これって———大変なことだろう?」

 素晴らしい言葉だ。美少女が"特別"なのは、美少女が空から降ってきたからでも、地獄から救ってくれたからでもない、ただ一緒に過ごしてくれた時間こそが"特別"を作るのだと。
 この言葉でようやく、沙耶は匂坂郁紀が唯一無二の存在だと理解する。そして、沙耶は匂坂郁紀に、元の世界を取り戻したいか? と問う訳だが、ここでどんなルートを選ぼうが、匂坂郁紀は沙耶への愛を貫き通す。まさしく純愛。一緒にいた時間が、お互いの孤独が、真実の絆を育んだのだ!

 ストーカーは匂坂郁紀を半眼で見つめる。

「……でも、匂坂郁紀って事故以前に積み重ねた友情とか過去とか全部無視して、津久葉 瑤をこっぴどく振ったり、耕司を殺そうとしたりしていますよね? 病院ENDでは沙耶さんの外見や声なんか気にしない、みたいな事を言っていましたけど、とてもそうは思えません。耕司と沙耶に、どれほどの違いがあるのですか? 結局のところ、匂坂郁紀も我々と同類なのではないでしょうか?」

オタクのエゴ

 私は「化け物と美少女」の項において、沙耶は美少女ではなく"人間"であり、倫理を解さない人間に愛されたいとは思えない、と結論付けた。それは紛れもない私の本音であり、都合よく都合のいい相手から愛されたがる私のエゴだ。だが、この話の本当にエゴイスティックな部分は他にある。
 私は、沙耶が孤独で可哀そうだから、私が愛してあげなくては……などと考えているのだ。
 そもそも沙耶は、生物的にも宇宙的にもこの世界にとって異物である。そんな沙耶が異物でなくなれるとすれば、それはきっと沙耶が社会に適合できたときだ。だが沙耶は、学び方を間違えた。本能に従い人間を学んだせいで化け物になりきれず、かといって倫理を学ぶ機会が無かったために人間にもなりきれなかった。そんな沙耶の姿に、疎外された経験のあるオタクは自分の姿を重ねるのだ。
 優しくない私は美少女に愛される権利が無いように、正しくない沙耶は世界に愛される権利を持っていない。でも、それって悲しい事だよなって、そう思ってしまうのだ。私は沙耶に愛されたいと思えないけれど、沙耶を愛したいと……沙耶に誰かから愛されて欲しいと思ってしまうのだ。

 いや、沙耶は匂坂郁紀から愛されている。でも、あいつは駄目だ。口先ばっかりで、耕司も津久葉 瑤もあっさり切り捨てた。どうせ、沙耶のグロテスクな姿を見たとたんに手の平を返す。と、ここで嫌なオタクは気がついた。口先ばかりで、あっさりと手の平を返すのは、自分のお家芸である事に。
 結局、同族嫌悪なのである。孤独を埋めるために愛を騙る匂坂郁紀と、エゴから愛を騙る私に、大した差は無い。
 だから沙耶は、もっと素敵な人に愛されてくれ。君に倫理を教えて、君が社会に適合できるよう全力を尽くしてくれる、そんな善人を愛してくれ……なんて事も、言いたくない。何故なら、どんな善人を前にしようが、化け物が本当の意味で社会に適合なんかできない事を私は知っているから。

沙耶の唄は、純愛ではない

 やっぱり、匂坂郁紀で良いのだ。
 奴は自らのダブルスタンダードに気づかないし、外見至上主義者だし、性格も悪い。でも、どんなルートでも沙耶を愛し続けていた。
 病院ENDでは沙耶の意思を尊重して沙耶の姿を見ず、ただ「あいしてる」と伝えたし、耕司ENDでは沙耶を失ったと分かった瞬間に自殺したし、何より開花ENDで沙耶からこの惑星を受け取った。
 沙耶の開花は、あの世界で唯一、匂坂郁紀にしか美しいと思えないのだ。地球は全人類にとっての地獄へと変貌し、匂坂郁紀ただ一人のための惑星に変わる。沙耶が変えた。それだけで良いのだ。
 匂坂郁紀と沙耶の関係が純愛なんかではなく、ただの依存関係だとしても、それは酷く美しい。二人がそれを、真実の愛だと信じているから。


終わりに

 やはり我々は神などではなく、一人のストーカーでしかなかった。沙耶と郁紀は愛し合っていて、沙耶は私からの愛など欲していない。つまりは、私の出る幕など最初から無かったという訳である。
 であれば、今後も私はストーカーらしく彼と彼女を見つめながら怨嗟の言葉を吐き続けよう。そしてそれに疲れたら、優しい奴の振りをして美少女に慰めを求めに行くのだ。そのうちの誰かが、自分だけの沙耶になってくれると信じて。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?