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18 うつパニックは壊れかけのバイクで走り続けて故障した状態

【自己紹介】
nico❁

働き盛り20代の終わりにうつ、パニック障害、自律神経失調症を発症。寝たきり、入院、家から出られない、一人でいられないを克服しひとり暮らし実現→うつぬけ
数年にわたるリアルな実体験、過去のしくじり話、本気で学んだ体質改善など。✏︎ 
そこから得たうつパニックになる前の私に伝えたいことを気ままに更新しています。

パニック→重いうつに陥ってしまった過去のしくじり経験から、投稿の一番最後に
【しくじりうつ先生nicoのひとこと。】
を毎回記載しています✏︎

前回の続き


自律神経が乱れて動けなくなったり
様々な症状が出る時の例えとして
その鍼灸の先生は
こう例えて話してくれました。


【自分の体をバイクに例えると
ガソリン切れだけではなくて
バイク自体が壊れてしまって
いる状態。

今、仕事に戻りたい、と気ばかりが
焦ってもバイク自体が壊れて
しまっているのだから
時間はかかるよ。

壊れかけのバイクで
全速力で走り続けていたらどうなるかわかるよね?

壊れるよね。

その状態でずっと走り続けていたんだよ。
このタイミングで壊れてしまったことは
必然なんだよ。

そして、
それは長年かけて傷めてしまったものなので
1日2日では治らない。

でも、治らない訳じゃなくて
少しずつ少しずつ治していって
また壊れないようにしながら
気をつけながら生活いけばいいんだよ。

壊れたバイクでまた前と同じように
働いたり生活していると
またすぐに壊れるし
それは自分を大切にできていないことなんだよ。】

と。

体調不良は
気合で治す!

一刻も早く治してやるんだ!

と気持ちばかりが焦っていた

その時の自分にとって

必要だった言葉であり

とてもわかりやすくて
すんなりと入ってきた言葉でした。

なので、今でも鮮明に覚えています。


しかし、

その時の私は

壊れたバイクが一気に治って
またバリバリ働きたい!
遊びたい!


どこかに
一気に治る方法があるかもしれない

なにか原因があるかもしれない
病気の原因があるなら
見つけて、病院で治してもらえれば
また以前のように生活できるかも
しれない!

と他にも治す方法や
原因を探して
そのことばかりに
執着していました。

鍼灸の先生のところに通いながらも
ネットで見つけたほかの治療院にも
行ったこともありました。

そんなどうしようもない私でしたが
先生は見捨てずに向き合ってくれました。

ある時、先生にこう言いました。

前のように
なにも気にせず
友達に会いたいです。

休職してからは

日常生活もままならない
状態になりつつあったので
友達にも
職場の人にも
誰にも会っておらず
家族としか接していませんでした。



職場にも友達にも
今の状態では会えない。
こんな状態では会えない。

そんな風に思っていました。

迷惑かけたくない。心配かけたくない。
弱って、ひどい状態の私
を見せたくない。恥ずかしい。


先生はそれを聞いて

こう思われたくない。

いやいや、

そんな状態も自分なんだよ。

認めたくないかもしれないけど

今の自分なんだよ。

自分が一番はじめに

認めないと。


そう、自分自身が
この現実を受け入れられずに
もがいている。
ただ、それだけの話



迷惑かけても

今のそのままの姿を見せても

大丈夫!



その逆の立場になって友達が
私と同じ立場で
それでも逢いたいと言ってくれたら
嬉しいし何か力になりたいと思わないか?

途中でしんどくなってもいいし
助けてもらっても
いいから会いに行ってきなさい。

大丈夫!

と背中を押してもらい


鍼灸院の帰りに
ふらふらになりながら
一人で運転して
なんとか、親友の家の近くまで行き
親友に会いました。


友達は泣いてくれていました。
会いにきてくれてありがとう
と。

私も泣いていました。

親友とは毎年のように
いろんな場所を旅行していました。


贅沢な旅ではなく
夜行バスに乗ったり
漫画喫茶に泊まったり
貧乏旅行でしたが
計画を練るのがいつも楽しくて
毎年の恒例行事になっていました。
体を壊す前の年には
沖縄の石垣島、竹富島、西表島にも行き、
その前の年は
熊本にも行きました。
阿蘇山を運転したり
八重山諸島のきれいな海に潜ったり
今では別人なほど、アクティブに
動いていました。

親友は
来年はまた旅行に行けるよ!
待ってるよ!

と言ってくれました。

私はさすがに一年後には治っているだろう。
来年にはまた本当に旅行に行きたい!
そう思っていました。


この時はまだぎりぎり車の運転もできていたくらいなのでこれ以上に悪くなって
動けなくなるなんて思いも
していませんでした。


話しながら
途中しんどくなって吐き気や動悸や
めまいが出ましたが
話せたことがとても嬉しい気持ちと同時に
前なら
どこかで待ち合わせして
いろんなお店に行ったり
車で遠出して、
旅行に行ったりできていたことを
思うと

なぜできなくなってしまったのだろう、と

現実を見て悔しい気持ちが溢れました。


家に帰って親に泣いていることがバレると
心配かけるので
車の中で帰ってから大きな発作に襲われながら号泣したことを覚えています。


先生にしんどくても
チャレンジできたことがすごい!
と言ってもらえて

その次の時には
思い切って休職していた
職場に行ってみることにしました。

休んで迷惑をかけているのに、
しかもこんなひどい姿を見せるのは
よくない、

と思っていたので
治るまでは行けないと思っていた職場
でしたが
勇気を出して、行ってみました。

おそるおそるドアを開けて

来れましたーーー(T . T)
と号泣。


職場の人も驚いて泣いてくれていました。

今は
良くなることだけを考えて
焦らずにね。

と言ってくれる
やさしい人が多い職場でした。

だからこそ
早く復帰したい
元の場所に戻りたい。
私の居場所がなくなってしまう。

そんな気持ちでだったのでいち早く
復帰したいと思っていました。


以前、5.6で書いた話で書いた
当時付き合っていた人にも
会いにきてほしいと
お願いして
ボロボロな自分を見せたときも
この鍼灸院に通っているときでした。


今のあるがままの自分も

見せられた

そして

受け止めてもらえた体験は

私の中ではとても大切な体験でした。

そうして
勇気を振り絞り
会いたい人には会えたものの
症状が良くなったかと
思えばそうではなく
相変わらず、
夜は眠れないし
不安感や
吐き気
過呼吸

夜中の発作
下痢、、、
さまざまな症状で苦しんでいました。


しかし、先生は

症状に注目しない

ということをよく言っていました。

治療ももちろん
鍼灸の施術はするけれど
それで症状をなくす。

というわけではなくて
体と心は繋がっているから

方法だけでは良くならない。

結局、方法だけにとらわれて

いろんな治療院を転々としても

良くならない。

そんなことを教えてくれていました。

今ならとっっっても理解できます。


しかし
鍼灸に通ってしばらく経った頃
私は
ここに通っても良くならない。

少しでも苦しい症状を取ってもらいたい。

他になにか原因があるのでは?ほかの病気なのでは?

と思い始めていました。


こんなにも、向き合ってくれて
助けてもらった先生だったのに
結局、鍼灸院へ
行かなくなってしまうのです。

正確に言うと行けなくなってしまったのです。

その理由について次回書こうと思います。


𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃 𓍯 

\しぐじりうつ先生/
nico◡̈からのひとこと。

❁うつは壊れかけのバイクが故障した状態。
壊れるまでも何年も傷めつけてきたのだから、治していくのにも時間がかかる。

❁隠したい自分を曝け出すことは大切。そしてそれを受け入れてもらえた経験は宝。

❁【すぐに治してくれる】場所を探して
あちこちと渡り歩いても根本的に良くならない。


𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃 𓍯 


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