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アメリカ最高峰を駆ける【寄り道のすすめ】

マッチひと擦りで山全体が火の海と化す。長年に渡る干ばつで極度の乾燥状態にある大地。記録的な猛暑。各地で嘗てないほどの大規模な森林火災に見舞われているカリフォルニア。

2020年夏。ホイットニー山(標高4,421m)へのチャレンジの機会を得た。アラスカを除く、アメリカ本土の最高峰である。10年前に数名の友人たちと、その頂を踏んでいる。その後、何度もパーミット(入山許可証)の抽選に申し込んできたが、見事にハズレ続きだった。5月から10月末までの期間、入山が認められるのは日帰りハイカー100名、キャンパー60名。合計で160名の狭き門だ。今年も性懲りもなく申し込んだが、またしてもハズレた。

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(ホイットニーポータルに向かう途中から、彼方に望むホイットニー山)

ところが、一緒に申し込みをした友人は、運よく初めての試みで当選した。この友人というのは、世界各地でのアイアンマン・トライアスロン参戦を始め、サハラ砂漠を何日もかけて走るウルトラマラソンや、アルプスを縦断する100マイルレース完走など、いくつも偉業を成し遂げている強者だ。東京でレストランチェーンを展開する、やり手の社長という顔も持つが、まったくそれっぽくない。不良少年がそのまま大人になったような、面白い漢である。ロサンゼルスにレストランを開業するべく渡米し、下準備をしていたが、新型コロナによるロックダウンで、帰国を余儀なくされた。無事、早期開業に漕ぎ着けられると良いのだが。

「折角当たったパーミット、ぜひ使ってくれ」という事で、二人分の入山許可証をゲット、と思いきやパーミットの現物を入手するのに一苦労した。漸く手元に届いたのは、出発の4日前だった。さて、誰を誘おうか、と考えたが、残り数日。平日に暇を持て余している者を見つけるのは容易ではない。それにも増して、目指す先は標高4421mの高山、往復35㎞の長丁場を日帰り。更に切り立った崖もある。暇ならば誰でも良いという訳にはいかない。一人旅は寂しいが、致し方ない。という事で、今回は、と言うか、今回もグランドキャニオン南北リム往復ランや、灼熱のデスバレー 同様にソロでのチャレンジとなった。


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(トレイルの出発地点。前日の午後に撮影)


午前3時。ヘッドランプを灯し、闇と静寂に包まれたトレイルに向かった。ここから山頂までは、約18㎞、標高差1869㍍。そこが折り返し地点である。10年前は往復に17時間を要した。トレイルヘッドは、ホイットニー・ポータルと呼ばれる、標高2552㍍の針葉樹が茂る森の中にある。滝から流れ落ちる水と、渓流のせせらぎが、マイナスイオンをこれでもかと言うほど放出し、気持ちの良い空気に満ち溢れている。

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(ホイットニーポータルの奥にある滝。辺りにはひんやりとした空気が漂う)

近隣の街ローンパインから、ポータルへと続く一本道。昨日の午後、そこを通ってきた。道の両側に広がる荒涼とした大地。これがまた美しい。古くから多くの西部劇の撮影に使われてきたという。隊列を組む幌馬車と、岩陰に潜み、襲撃の機会を待つアウトローたちの姿が目に浮かぶようだ。

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(西部劇の舞台を彷彿させる景色が至る所に)

素通りするのは勿体ない。ちょっと寄り道をしてみようと、ダートロードに車を乗り入れ、トレイルに足を踏み入れた。午後の太陽で熱せられた岩の放射を肌に感じながら、開拓時代に思いを馳せたひと時だった。

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(車を停めて、奥の岩場までひとっ走り 。自らの足で行かなければ見ることの出来ない景色がある)


闇に包まれたトレイルを、鈴の音を聞きながら一人歩く。昨晩、ホイットニーポータルに駐車した車中で熟睡できたためか、午前3時ではあるが眠気はない。ポータルには、熊注意の警告が至る所にある。出発前には、車中にあったチューイングガムや、歯磨きなど、匂いのするものは全て、備え付けのベアーキャビネットの中に保管してきた。用心に越したことはない。単独行動の場合はなおさらだ。熊よけの鈴と合わせて、熊撃退用のペッパースプレーも持参している。

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(ホイットニートレイルはヨセミテまで続くジョン・ミューアー・トレイルの一部となっている)

ヘッドランプの明かりが数メートル先の足元を照らし出す。トレイルは漆黒の闇の中へと続いている。怖くないと言えば嘘になる。数百メートル先に、かすかに動く明かりが見えた。孤独な山中で、僅かな光を通して感じることの出来る人の存在。それだけで、恐怖心は和らげぐ。

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(渓流に掛かった丸太橋。行く手は真っ暗闇)

同じ暗闇でも、夜に向かう闇と、数時間後に夜明けを迎える闇とでは、それを構成するものが僅かに異なる。一歩、また一歩と足を前に進める。渓流を流れる水の音が心地く響く。辺りはキンモクセイのような香りで満ちている。周囲を見回すが、それらしいものは見当たらない。もとより、草や花の名前は良く知らない。勉強したいと思いつつ、何年もの時が経ってしまった。


気が付くと、先程まで闇の中で存在感を放っていた、周囲の木々が無くなっている。森林限界線を超えたらしい。トレイルの表面も土から岩に変わっている。Tree Line。森林限界線を英語ではこう呼ぶ。この辺りのツリーラインは、3,000m付近だ。周囲の景色が見えない暗闇。知らず知らずのうちに数百メートル上ったようだ。行く手に目を凝らすと、鋭利な刃物で削いだような峰々が、幻の様に佇んでいるのが見えた。

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(夜明けとともにおぼろげに見え始めた峰々。)


「夜明け」という言葉は、「希望」の同義語として使われることが多い。薄紫から、徐々に赤みを帯びてくる空。何層にも重なった色調の美しさに見入るとともに、孤独な闇を乗り切った安堵感で、暫しそこに立ち尽くす。

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(赤みを帯びる東の空と、彼方に見えるハイカーのヘッドランプ)


二次元的なシルエットだった東の山々が、日が昇るにつれて、立体感を伴って、その存在を主張し始める。西には、徐々に赤く染まってゆく荒々しい峰々。大自然が作り出す壮大な光の芸術が、そこで繰り広げられている。

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(太陽が昇り、輪郭だけだった峰々が姿を現す)

ホイットニー山頂4421mへのトレイルは、往復36㎞と日帰りハイクとしては距離こそ長く、更に高山病のリスクがあるものの、傾斜は極めて緩く、誰でもチャレンジできる。雪が無ければ、特別な登攀技術は必要ない。私自身も、持ち合わせているのは体力だけだ。この最高峰への登頂を比較的容易なものにしているのが、急斜面で多用されるスイッチバックだ。 

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(西側で朝日を浴びて赤くそびえ立つ鋭利な岩峰)

ルートのちょうど中間あたりに、99スイッチバックと呼ばれる難所がある。勾配は控えめであるが、果てしなく続くジグザグ。ここで一気に高度を稼ぐ。実際に数えて、99あるのを確認した人がいるとか。単調なスイッチバックで、右へ左へと細かく方向を変える様は、逃げ回るニワトリを追っているかのようだ。ここで、思いもよらぬ事が起こった。

ふっと、ある歌のメロディーが頭に浮かび、そのまま頭から離れない。誰しもが少なからず経験した事があるだろう。特に好きな歌でもないのに、何の前触れもなく、突然降って湧いたように・・・

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(99スイッチバックの途中。15まで数えたが、五木に邪魔されたため途中で諦めた)


「♬よこはま~たそがれ~ホテルの小部屋~♬」


そう、昭和のヒット曲、五木ひろしの「よこはま・たそがれで」である。朝焼けに染まるトレイルで、なぜ、五木ひろしなのだろうか?そもそも五木ひろしどころか、演歌は全く聞かない。


「♬あの人は行って行ってしまった~あの人は行って行ってしまった♬」 


人間の脳とは、全くもって不思議なものである。単純な反復運動をしていると、脳が少しは楽しい思いをさせてあげよう、と気を利かせてメロディーを奏でるのだろうか・・・でも、なぜ、五木なんだ。勘弁して欲しい。

その気持ちとは裏腹に、延々と繰り返される五木ひろしが、単調なスイッチバックに、多少のスパイスを添えてくれたのは間違いない。

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(99スイッチバックを登り切った向こう側はセコイア国立公園となる)

眼下にはセコイア国立公園の絶景が広がる。樹木が一切育たない、灰色の花崗岩に覆われた世界に、紺碧の水を湛える湖が点在している。浅瀬は、まだ昇りきっていない太陽の光を受けて緑色に輝いている。ニワトリと五木ひろしは、長いバトルの末、何とか99スイッチバックの終点付近に置き去りにしてきた。ここから2~3マイルは、切り立った崖沿いの道を進む。落差は数百メートルはあるだろう。気持を足元に集中させなければならない。西から吹く強風が体を煽る。

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(道幅は狭い所では1㍍ほど。横は数百㍍の断崖絶壁)

トレイル上には大小の瓦礫のような花崗岩が散乱し、とても道とは言い難い。時折、前後を確認し、他のハイカーの存在を確かめる。10年前、この辺りでは雪上ハイクだった。辺りを見回すが、雪の形跡は全くない。猛暑のせいだろうか?あるいは地球温暖化のせいだろうか?大小の灰色の岩々に覆われた世界。美しいという表現は似付かわしくない。その荒々しい岩肌と散乱する瓦礫は、まるで生真面目な巨人が、コツコツとノミで山を削った、残骸の様だ。

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(瓦礫だらけの斜面。トレイルがどこだか全く分からない)

不安定な足元。油断すると足を挫き、下りで地獄を見る事になる。足を覆っているのは、トレッキング用のブーツではなく、軽量のトレイルラン用のシューズだ。当然、くるぶしのプロテクションはない。走って下山するつもりで敢えて、このシューズを選んだ。一瞬、後悔が頭をよぎるが、斜面を風を切って疾走する喜びには代えられない。ここは、ゆっくり慎重に乗り越えるしかない。

頭痛がひどくなっている。4000ⅿを超えているのは間違いないだろう。幸い呼吸は乱れていないが、足はいつになく重い。

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(岩の切れ目では時折、突風が吹く。煽られて滑落しない様に細心の注意を払う)

山頂では10名ほどのハイカーが思い思いの時間を過ごしている。寝転がって休む者、写真を取る者。すぐ横にいる30歳くらいのハイカーは、先ほどから何人もの友人に電話をしている。携帯の電波があること自体が驚きだが、この男の行動もなかな面白い。聞き耳を立てていた訳ではないが、大声で、「おれ、今アメリカで一番高い山の頂上から電話してるんだぜー。デナリ山じゃないよ、ホイットニー山。それじゃまたねー」と言って、次から次へと電話を掛けている。嬉しい気持ちはよくわかる。

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(4421mの山頂にて。背後に見える霧のようなものはカリフォルニア州の至る所で発生している森林火災による煙)

数分前まで頭の痛みに耐えながら、重い足を引き摺り歩いていた。山頂の小屋が視界に入った瞬間に感じたのは、もう登らなくてもいいという安堵感だ。周囲の絶景を楽しめる状態になるまでに暫く時間を要した。

山頂にいるハイカー達と、お互いを祝福する言葉を交わし、代わる代わる写真を撮る。今この瞬間、アメリカで一番高い所にいるという事実は、何とも言えない優越感を与えてくれる。電話をかけまくりたくなる気持ちも分かる。しばし登頂の喜びに浸るのも悪くない。然し、山脈の東側に漂う煙が気になる。未曽有の規模に達した森林火災の影響によるものに違いない。

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(山頂に建てられた避難小屋。あたりに散乱する岩々をレンガのように積み上げて作ってある)

登頂までに要した時間は約7.5時間。下りのルートを頭に思い描く。瓦礫部分は歩く。滑落の危険があるところは慎重に。スイッチバックは落石禁物で無理はせず。それ以外の緩い傾斜は走る。4.5時間~5時間と言うところだろう。

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(瓦礫の少ない安全なところは小走りで駈け下りる)

山頂を後にし、時折、西から吹く強風に煽られながら、岩だらけのルートを慎重に下山した。難所のスイッチバックも、往路で置き去りにしてきた、五木ひろしに会うことなく何とか乗り越えた。途中の湖や川で水補給をしながら、高山植物が地面を覆うエリアを、時に歩き、時に駆け足で降りてきた。視界のすぐ先には、針葉樹が生い茂る森林限界下の林がある。

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(落石を避けるためスイッチバックを歩いて下り、なだらかな斜面では足元に注意しながら走る)


今回のチャレンジ、実は出発前に往復の目標タイムを12時間と決めた。その一方、タイムを競うレースではない事は十分理解しており、朝焼けに染まる空や、4000m級の峰々の雄大さを時間に捕らわれる事なく、楽しんできた。出発直後の闇の中でこそ、目標タイムを気にしていたが、夜が明けてからというもの、刻一刻と変わる景色を目にし、12時間のタイムが、自分にとって何の意味も持たない事を悟った。ここまで、安全に走れるところを慎重に見極めながら駈けてきた。然し、それはタイムを気にしての事ではない。走る事によってのみ、見える景色がある。それを楽しむためだ。ランナーズハイと呼ばれるものか、体内でエンドルフィンなるものが大量放出されるためか、難しい事は分からない。然し、走る事に集中していると、感性が研ぎ澄まされ、周囲のものがいつになく輝きを放って見える事を、経験的に知っている。

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(カップルに会ったミラーレイクの畔にて)

下山の途中、ミラーレイクのビーチくつろぐ若いカップルに会った。2泊3日でのホイットニー山チャレンジの帰途だという。女性の方は4回目、男性の方も3回目のホイットニーだ。今回も、途中で高所順応を兼ねて一泊。2日目に山頂へアタック。途中まで下山し、もう一泊。ゆったりと過ぎる時間のなかで、大自然を思う存分満喫していた。幾度となくこの地を訪れ、知識豊富な二人。「ここには是非立ち寄るべきだ」、「あの湖は信じられないほど奇麗だ」、と惜しげも無い様々なアドバイス。タイムを気にすることが、如何に無意味なことかを、改めて気付かせてくれた。アドヴァイスを反芻し、ふと考えた。陽が高いうちに回れるだろうか?

今こそ、山道を走る術を身に着けているトレイルランナーの本領発揮だ。とりあえず駆けてみよう。

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(往路の早朝の闇の中では川のせせらぎだけが聞こえていた)

目の前には、ヨセミテバレーを思わせる絶景が広がっている。三方をそそり立つ花崗岩に囲まれた湿原では、植物が、高地で生きる生命力を誇るように、緑々と輝いている。今朝、この辺りを通過したのは、おそらく午前5時頃だろう。10年前も往復とも闇の中だった。漆黒のベールに覆われていた景色が、今は燦々と降り注ぐ午後の太陽を浴びて、想像もしなかった色彩を放っている。何本もの小川が流れ、そのいくつかは滝となり岩肌を洗っている。広く開けた平野には、所々季節外れの花が咲き、赤い幹を持つ松の巨木群がそれを見下ろしている。

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(大小さまざまな滝や小川を通して運ばれてくる水が湿原を潤している)

滝の間近まで行き飛沫を浴び、湿原で花々を楽しみ、川の冷水で体を冷やす。そして駈ける。次回来る時のキャンプサイトの下見をし、見晴らしの良い所で小休止して軽食。そしたまた駈ける。日暮れまでには未だ暫く時間がある。


ヒデゥン・トレジャー。隠された宝石を思わせる、ローンパイン・レイク。トレイルから数百メートル逸れた崖っぷちに、ひっそりと佇んでいる。湖の畔には小さなテントが3つあるが、人の姿は見えない。昼寝を楽しんでいるのだろうか。午後の太陽が澄み切った水を透し、浅い湖底を照らしている。いくつもの魚影が見える。ミラーレイクの例のカップルが、Unbelievably Beautiful (信じられないほど奇麗)と言っていた湖。誇張は無かった。

雪解け水が花崗岩の表面を流れ落ち、小石や土でろ過されながら不純物を取り除き、やがて、この湖に辿り着く。水は澄み切っている。対岸までは200~300mほどだろうか。小さな湖だ。見る角度によって微妙に水の色が違って見える。ぐるりと一周できるルートがあると言っていた。時間はある。周ってみよう。

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(ひっそりと人知れず佇むローンパイク・レイク。澄んだ水は驚くほど冷たい)


まだ陽のあるトレイルを駈け下りていると、例のカップルが前方に見えてきた。追いついて、改めて挨拶をし、礼を言う。「全部まわったの?」、驚いた表情で二人で顔を見合わせている。全て回れるとは思っていなかった様だ。

トレイルヘッドまで、残すところ1~2マイル。今朝、午前3時に恐る々暗闇のトレイルを歩き始めてから、随分時間が経った気がする。空を見上げる。日没までには未だ時間がある。ザックからヘッドランプを取り出す必要はなさそうだ。

ポータルの売店でビール売っているだろうか? 冷えたビールを楽しみに、また駈ける。

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(夕暮れが近づくトレイル。闇が訪れるまでには未だ暫く時間がある)


走る事によって見られる景色がある。走る事によって行かれる場所がある。そして、走る事によって得られる時間がある。急いでいる訳ではない。少し歩みを早める事により、より多くのものを見ることが出来る。パンデミックにより、当たり前に謳歌していた自由や日常が、一瞬にして吹き飛んだ。改めて感じるのは、今自分に与えられた時間、自由を精一杯エンジョイすること。後で悔いが残らぬよう、思う存分、寄り道をする事。人生を豊かにする方法は、人それぞれである。然し、私の人生にとって、「寄り道」が欠く事の出来ない、とびきりのスパイスである事は疑いの余地はない。

By Nick D

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