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『対岸の家事』を読んでの気づき ワーママ・専業主婦の悩みは分断されていない

『わたし、定時で帰ります。』の著者矢野帰子さんの『対岸の家事』を読了しました。

専業主婦・バリバリのワーママ・育休中の官僚パパなどいろんな属性の登場人物が「家事をすること」悩みや苦しみに向き合う小説です。

自分にも起こりうる話、身近な話、経験したことのある話がたくさん詰まっていて、びっくりするほど一気に読み進めました。

小説の最後の「文庫本に寄せて」にこの小説を書くきっかけとなった矢野帰子さんの大学の後輩のエピソードが載っています。

「この子を連れて児童館にいった時、育休中の人に訊かれたんです。お仕事は何してるの?って。家事と子育てですけど、って言ったら、それは仕事じゃ無いって返されました」
彼女と別れて、少ししてから、何度咀嚼しても飲み込めない、なんとも言えない気持ちが溢れてきました。
子供の頃、女性は結婚したら主婦になるのが当たり前でした。世の中すべてが「女は主婦になるもの」と大合唱しているように感じられて、キャリアウーマン(というほど輝かしいキャリアではないですが)になった後も、主婦にならない理由を世間に説明するのに必死でした。
でも、そうか、主婦ってもうマジョリティではないんだ。なぜ主婦になったのか、その理由を説明しなければいけない時代になったんだ。
大きい風が吹いたんだ、と思いました。

これを読んで、ふと6年前の育休中ことを思い出していました。

・マタニティスイムで出会って仲良くしていた5名は、全員ワーママだった
・助産院のベビーマッサージで出会う方も、春復帰組が多かった
・たまに行ってた児童館で出会った先輩ママさんから保育園情報をたくさん教えてもらっていた

育休中、ほとんど専業主婦の方と触れ合う機会がなかった記憶です。でもそれは、属性(ワーママか専業主婦か)を知って、疎遠になったのか、単に出会いがなかったのかは今では思い出せません。

今、娘は幼稚園に通っています。幼稚園だと専業主婦の方と出会う機会も多そうなのですが、我が家は毎日朝の保育&預かり保育をセットにしているので、14時に帰宅する子どものママさんとほぼ面識がない状態です…。

意図してこうなったわけじゃないのですが、自分がワーママだからか?たまたまそういう環境だったからか?今も専業主婦の方に出会う機会がほとんどありません。(+あまり交友範囲が広いわけではないのです)

たまたま1年前までお隣に住んでいた方が専業主婦で、子どもが同じ幼稚園に通っていたこともあり、顔を合わせるとお話しすることがありました。働いていることを伝えると「すごいですね〜」と言われ、「いやいや日中家事育児も大変ですよね〜」と返答していた記憶がフワッと思い出されます。

ワーママ同士で話すと「昼間ずーっと家事育児なんてできないよー」となりがち。逆に専業主婦同士だと「家事育児と仕事の両立は厳しいー」という話題になったりするんだろうか。

別にワーママだからとか専業主婦だからとかその属性で分断されているわけではないのだけれど、なんとなく、そこには上記のように経験していないからこそお互いがお互いを理解し難いポイントがあったりするのかな?
でも、同じ「子どもを育てる世代」なのだから、悩みや苦しみもすごく似ているんだってことをこの小説を読んで、改めて気付かされました。

その人が心地よくその家族にとって良い選択を選べる、そしてその理由を属性のマジョリティ、マイノリティ関係なく説明しなくても良いような社会になるといいなと思います。



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