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もっと素直に先生たちの話を聞いておけば良かった

「平和」とは何かと聞かれて、「みんなで一緒にご飯を食べれること」と答えた人がいた。

子どもの通う学校の先生のお話より

ヘブライ語の挨拶「シャローム」という言葉は、「平和」や「安息」を意味する単語なんだけれども、その根本には「無傷、何も欠けてない、ありのままの姿」という状態があるそう。ありのままの姿で一緒にご飯が食べれるとしたら、そこに敵意や恐怖はないはずで、冒頭の言葉にひどく合点がいった。

この話が聞けただけでも、学校に足を運んでよかったと思った。おそらく同じ話を生徒たちにもしているはずなんだけれども‥ 果たして我が子の記憶にはちゃんと残っているだろうかとふと思う。

学生当時の自分は、先生の話なんてほとんど聞いてなかった。どうせ聞いたってつまらないと思っていた。でも、大人になってから聞く先生の話はいちいち興味深い。メモを取るくらいには、真剣に聞き入ってしまう。たぶんあの頃の自分に同じ話をされても、居眠りしていただろう。なんてもったいないことをしていたんだろう。


親目線で見ると、座学から実技まで色んな科目が学べて、たまに人生の先輩のいいお話が聞けて、部活に入って生涯の趣味に出合うこともあったり、学校ってほんとに色々やらせてもらえる恵まれた環境だなと思う。(しかも月々定額制。大人になってから同じことをしようと思ったら、多分ものすごくお金がかかる。)

当事者の子どもの側からしたら、そんな単純なものではなくて、苦手なこともたくさんあるだろうし、友人関係で悩むことも多いし、まさに今通えなくて通いたくなくて辛い思いをしてる子も世の中にはたくさんいるのだけれども。

でも、今過ぎ去った自分の日々を顧みると、楽しく通えていたのだから、もうちょっと先生の話をちゃんと聞いておいても良かったかななんて反省したりする。学生時代なんてそんなもんと言われたら、それまでなんだけれども。もう少し先生たちの話を素直に受け止めていれば、もう少し教養のあるまともな人間になっていたのではなかろうか。

そんな話を我が子にしてみたけれども、「ふーん」と聞き流された。親の話なんて聞いてない。まあ、そんなもんだ。楽しく通えればそれで充分。学び直そうと思えばいつだってできるし、積み重ねた日々がいつか糧になっていればそれで良い。そんなことを思った学び多き1日だった。

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