#8 夏目漱石の散歩みち-早稲田と神楽坂と雑司ケ谷-
早稲田・神楽坂(新宿区)と雑司ケ谷(豊島区)に行きました。テーマは夏目漱石の散歩みちを辿る旅。『硝子戸の中』には彼が過ごした早稲田の地について記述があります。
まずは、東京メトロ東西線の早稲田駅を降りて、このルートを辿りたいと思います。
夏目坂
『硝子戸の中』によれば、夏目坂はいまでもその地名が残りますが夏目漱石の父が名付け親であるようです。この夏目坂を少しのぼると生家の標柱が見えてきます。
夏目漱石誕生の地
同じく、夏目坂をのぼると『硝子戸の中』執筆当時は旧家があったようですが、いまはこの記念碑を残すのみとなっています。場所は新宿喜久井町1丁目でした。
影参差(かげしんし)
旧家跡をさらに進むと、以下の写真のように石碑がありました。漱石が詩を詠んだことを記念して建てられたものになります。
同じく『硝子戸の中』にはこのように記述があります。
ちなみに参差(しんし)とは高さや長さが異なっていて、そろわないさまを表す言葉です。つまり、松が三本立っていたが、高さが異なっていて月夜に影がそろっていない様子を漱石は詩にしているのだと思います。
「『時』は力であった。」という通り、残念ながらここに松はありませんでした。しかし、俳句のおかげで風景がありありと浮かびますよね。言葉が三本の松を存在させています。
(余談ですが、以前に夏目漱石は俳句もやるのかと素朴に思いました。しかし、そういえば正岡子規と旧知の仲であったことを思い出し、納得しました。)
漱石山房記念館
影参差の記念碑から500mほど歩くと、新宿区立の漱石山房記念館がありました。生家や松は残っていませんでしたが、漱石が晩年を過ごしたところが記念館となり、展示を行っています。ここは終焉の地であり、1916年12月9日に亡くなるまでの時間をここで過ごしました。常設展示のほかに、企画展示もあり、当日は『草枕』に関するテーマでした。重厚な研究成果が発表されており、自分の中の『草枕』読解にあらたな視点が追加されたのを感じます。
ところで中に入ると漱石がこちらをみていました。ドキッとしたのですが、マネキンでした。最初、逆光になっていて本物の人間が、それもそっくりさんが座っていたのかと勘違いしてしまったのです。
猫の墓
漱石山房記念館の裏には猫の墓があります。もちろん猫といえば、『吾輩は猫である』のモデルとなった「福猫」です。彼(猫)はみかん箱におさめられて、埋葬されます。ちかくには夏目家の犬、ヘクトーの墓もあったようです。
神楽坂へ
そのまま神楽坂に向かいました。ここの中心地にある毘沙門天善国寺は『坊ちゃん』に記載のあるところで、漱石も出歩きしたことがうかがえます。坊ちゃんが赤シャツと話しながらこんな回想をしています。
このお寺の前で行われた縁日で坊ちゃんが鯉を釣ろうとしてうまくいかなかったんですね。善国寺にお賽銭を投げて合掌し、参道に振り返ったとき、この場面が想像されて少しニヤけてしまいました。ここからすぐ下ったところに、JR総武線の飯田橋駅があったので、雑司ケ谷まで移動します。
雑司ケ谷の墓参り
雑司ケ谷のお墓に彼は眠っています。毎年、命日(12/9)にはファンたちがお墓参りをするようです。
最後に私もお参りいたしました。面白い作品を多数生み出し、私に深い感慨を与えてくださったことに感謝して。
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