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ショートストーリー風エッセイ「体育会系について」

 その昔、体育会系と言う名の人種が存在した。言葉よりも、殴る蹴るが先に出る集団の総称である。彼らは言葉を話せないわけではない。理論で解決が出来なかった。いや、理論が大の苦手だった。

 大正生まれの大祖父は柔道をしていたらしい。殴ることが好きだと言ってたな。昭和生まれの祖父はサッカーをしていたらしい。殴られることが嫌いだと言ってたな。平成生まれの父は野球をしていたらしい。たまに殴られたと言ってたな。
 令和生まれの僕は卓球をしたけど、殴ると言う言葉はタブーだったな。むしろ、「殴る」と言う言葉を発したらハラスメントだと教わったな。怒られたことすら一度も無かったな。

 この前、YouTubeで人が人を殴っている昔の映像を見た。30秒と持たず、目を背けた。しつけと言うより、映画の暴力シーンを見ているようで怖かった。「しつけ」や「教育」と比喩すれば、人は殴ることを許された時代があった。それは、暗黙の了解で許されていた。ではその時の言葉は、隅に追いやられていたのだろうか。

 もう、体育会系と言う俗語(?)は存在しない。人を殴ること自体、法律で禁止されている。
 僕は、殴られるどころか怒られたことすらない。褒められて、伸びて、スクスク育ったのだ。
 人は褒められるだけでも、理解して正しく実践すれば育つことは出来る。

 厳しく教わることがないのならば、自分で自分を律すればいい。気付き、悟る能力を身につければいい。
 「怒られ、殴られない」けど、人は育っていく。人類は途切れずに、きっと、続いていく。

【了】

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