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俺の親父の話し その④ 【#笑顔STA日記部】

※この話は過去に書いたものです!!



俺が親父に会った中2の時、家の事情は既に全て解ってた。


だから、久しぶりに親父に会ったあの日も素っ気ない態度でいやいや親父に付き合ってたのを今でも忘れない。


そんな事も原因だと思うが、俺はその頃から悪い仲間と遊ぶようになり、周りから「不良」と呼ばれるようになった。


でも、俺は母ちゃんを助けるために中学に入ってから野球も辞めて、新聞配達のアルバイトを始めた。
その時以外は悪友達と飽きもせず、ワルさをしてた。


そんな中学時代の俺は、既に高校進学を諦め、中学を出たら就職するつもりで勉強もろくにせず、そういう悪友達や先輩達と遊び呆けていた。


そんな俺を見かねた母ちゃんが、「hiro、高校だけは行かんなあかん」ときつく言う。


でも俺は「そんな金、何処にあんね!」と怒鳴った。その時初めて母ちゃんに殴られて、その母ちゃんは泣きながら「そんな心配は要らん!」と怒られた。


その数日後、俺は母ちゃんと担任の先生のところに行き母ちゃんが「この子をどうか高校に行かせてやって下さい」と頼んでた。俺の頭を押さえながら。


それから、勉強して行けそうな高校を幾つか挙げてくれて「でも、相当頑張って勉強せんかったら厳しいで。」と言われた。


とにかく俺なりに頑張って、勉強した。


もう、ダメもとで高校受験した。
とにかく、一つの公立高校だけ受けた。


とりあえず、合格する事が出来て俺は高校生になる。


ここで、新たな出会いがあり、悪友が出来て楽しい高校生活が始まった。


そんな高校1年の夏休み前に母ちゃんと親父の離婚は成立した。


後で聞いた事だが、母ちゃんとじいちゃんがかなりこの離婚成立まで苦労したらしい。


そういうのも、そもそも親父の行方がなかなか解らず、やっとの思いで見つけ出し漕ぎ着けたらしい。



俺は、スーパーの精肉コーナーや生鮮コーナー、野菜売り場にファミレスその他の飲食店でのバイトをしながら、高校に通い夏休みには、土木関係のバイトをしながら悪友達とバイクをぶっ飛ばして遊んでた。


まあ、貧乏な生活を余儀なくされていたが、俺はバイトで貰う少ない給料で何とか母ちゃんにそういう面では迷惑を掛けずそれなりに楽しい高校生活を笑顔で過ごしていた。


そんな楽しい高校生活もあっというまに過ぎ去り、俺は地元の会社に就職した。


この会社でも俺はまた、新たな悪友達と出会い、車の免許もとり、車ももちろん中古を購入し、楽しい日々を送っていた。


そんなある日、俺が20歳になる少し前に親父から電話が掛かって来た。



この時俺は、仕事と悪友達との付き合いとが忙しく、親父は「会いたい」と言って電話をしてきたが、俺はあえて断った。


それから、時が過ぎ俺が21歳になる頃そう、以前書いた恋ばなのYと出逢って間もない頃の事、ふと、思う事があり俺は母ちゃんに聞いた。


「母ちゃん、親父と別れる時慰謝料や俺達の養育費は貰ってんのか?」


母ちゃんは「そんなのは貰ってない!もう、離婚しただけで十分や!」と言う。


まあ、そんな事になってる事は解っていた。


だが、俺はその母ちゃんの言う事がおかしいと思い、俺はこの日を境に親父に会う決意をし、何処にいるか解らない親父を探した。


親父の方の親戚全てに連絡を取り、か細い情報を元にやっとの事で親父の居場所と連絡先が解った。


それから数日後、俺は受話器をとって親父の居場所に電話をした。


すると、知らないおばさんが受話器の向こうから明るい声で対応してくれて俺の名前を伝えて、親父の所在を聞いた。


親父はまだ帰ってないらしく、帰ってきたら折り返し電話をすると言っていたが俺はそれを断り、帰ってくる時間を聞いてその時間にこちらからもう一度電話する事を伝え、聞き入れて貰った。


そう、この時親父は既に再婚していた。


そして、あの電話のおばさんは再婚相手だった。
まあ、その事には何も不思議はなくそう言うことも想定していた。


そして、約束の時間に俺は電話をした。
すぐに親父が出た。


とにかく近いうちに会って話がしたい事を伝えて、今度会う日と場所を約束した。


こうして、ようやく8年ぶり位に親父に会うことになった。


俺から親父に会う事と、俺達の住んでいる場所以外で会うことは、この時を含めて後1回になる事はこの時は知ることもなく俺は約束の時間に約束の場所に向かった。



長文、最後までお付き合いありがとーございました。😅



つづく




【笑顔STA日記部】







笑顔!!

STA!!












by
Merryhiro
















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