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忍たま小説・土井先生の装束雑感(@図書館)


現代語訳 修験道聖典:
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忍たまの小説版・土井先生は非常に魅力的に描写されており、その一つは行者衣装が担っていると言っても過言ではない(過言)。

ただ、無知なため行者衣装と認識していいのか…!?という疑問から一連の記事が発生しました。
挿絵の衣装や、風魔流忍術学校トリオの衣装は、漠然と「行者」(山伏)だなあーと思いますが、いざ調べると、あの白装束の行者は山形の羽黒山伏しか見当たらないんですが…そんなにメジャーじゃないようで…
山伏で検索したり本を探しても、妖怪の天狗系装束なんですよね。(確か、天狗自体も堕落した山伏だったような?うろ覚え)

・小説版の土井先生
・風魔流忍術学校トリオ(足柄山キャラなので、山岳信仰の山伏というのは合致)

近畿、および神奈川~静岡のキャラが何故山形の山伏の衣装を着てるのでしょう。
羽黒山伏の衣装というのは完全に仮定ですが、他に類似した装束がない。
指揮者の方いらしたらご教授お願いします…。
山岳信仰のキャラだから、他山にもあちこち修行しに行けた(行った)とか?

各地の権力者に招かれて、祈祷や呪術を行うために遠方まで旅したとか…?

だとしたら、小説版の土井先生の立ち位置に当てはまりますねー。古代中国のごとく、招聘されて軍師になった。
と客観的には見える。と思う。

源義経も行者の随行者に変装して奥羽?まで行きましたしね…(勧進帳)
あくまで仮説ですが、現時点でこの説を立てます。資料が見つかりません。

陰陽道や道教や修験道の本も数冊手にしましたが、あまりピンとこなかったので返却したした。

土井先生の行者衣装は、ただの変装。

というのが結論です。
ただ、全く軍配型軍師的要素が皆無だった訳ではなく、多少非科学的(というと語弊がある)知見も持ち得ていたと思います。
何故なら、寺で武士の子として学問を学ぶ上で
密教を学んだ可能性がある(法然上人様がモデルなら、天台宗密教=台密?)。
忍者として各地を変装するために、陰陽師や道教の知識を得ていてもおかしくはないかも?(フォロー)

小説では参謀型軍師として書かれていますが、元々幼少期から諸学問を学んでいる。(原作50巻巻末と 小説 p126参照)

孫子、呉子(ごし)、尉繚子(うつりょうし)
六韜(りくとう)三略(さんりゃく)

尉繚子に少し目を通しましたが、戦場で方位を気にするより人事を尽くせ(大意)と言ったらしいので、
やはり忍たま一年は組に孫子を教えてる立場・視野なら参謀型軍師ではないかと思います。
(一年は組に孫子はマジ)(何期かのEDのイラストに一瞬文字が見切れて写ります)
(一年は組が出来が悪いのではなく、授業内容が高等なのでは…?)

長くなった!
読み返してないけど終わりですー!

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