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30代ワーママ、人生の棚卸しに30万円つかう



①1人暮らし。仕事に没頭できた時期。

 看護師7年目。
優秀かそうではないか、結構差が見えてくる。
私は全然、優秀ではない。
それでも、
「今日の一緒の夜勤だれだろー。あ、田淵さんか!田淵さんとの夜勤は安心、ラッキー」
「田淵さんの後の引き継ぎは安心できる」
とか言われていたから、「まあ、普通に仕事できる人」的なポジションだったと思う。
「普通に周りから信頼得られているのだろうな」と思いながら仕事を続けていた。
多分この時の私は承認欲求が満たされていて、自分に満足して仕事していた。
 看護副部長(病院内の看護師のトップ2)から「あなたと仕事してみたい」なんてリスペクトの言葉をもらった。この辺りから、舞い上がってしまった。
私の承認欲求が爆発してしまった。
ただ嬉しいな。で終わればよかったのに、かなり舞い上がってしまった。
看護師を7年間続けてきて、周りに信頼されていると感じていたはずなのに、「自分のしてきた仕事は、積み上がっているのだろうか。ただ、ダラダラと年月が過ぎているだけなのではないだろうか」なんて考えていたところだった。
だから副看護部長に言われた時、自分はちゃんと積み上げてこれてたんだ。実は実っていたのか。と思った。
今思うと、他人の評価でしか自分を肯定できていないのか私よ。と思う。
私は舞いに舞い上がっていて、冷静じゃなかった。もう、飛べる勢い。若い。青い。


②舞い上がった状態で、妊娠・出産・育児へとライフステージが変わる

 コロナの不安、親の協力なし、夫ブラック企業勤め。
これらが不安、不安、不安。となり、他にも色々と職場での出来事がきっかで、妊娠を期に仕事を辞めた。

 つわりが終わると暇になった。
本を読んだりカフェにでも行って、ゆったり妊娠ライフを送ればよかった。
なのに仕事を辞めたばかりの私は、暇であることへの罪悪感、お金を使うことへの罪悪感が生まれた。
 何もしていない。時間を持て余している罪悪感。
いやいや、ぼーっとしたり散歩したり読書したり映画みたりすればいいじゃん!と今は思うが、急に仕事がなくなったあの時の私は、何にも追われなくなったはずなのに、焦っているようだった。
焦って何か始める時って、大抵おかしな行動になる。
役に立つか分からないような、簡単な資格の勉強をし始める。
育児本を読んで、紙にまとめたりしていた。
何か勉強をしていたら、罪悪感が減る気がした。
 お金への不安は漠然としたものだった。
子どもでお金がかかると聞くが、実際はどのようにお金が減っていくか想像できなかった。
何より、私はお金を稼いでいない。という気持ちから夫に負い目を感じていた。
夫が稼いだお金だ。
150円のおやつ1つ買うのだって、心理的ハードルが生まれた。


③出産。育児開始。専業主婦開始。

 「子どもが3歳になるまでは専業主婦」
そう決めていた。
だが結局1年も耐えられなかった。
 想像していた母親に私はなれなかった。
母親になったら自然と、母性あふれる私になるのだろうと想像していた。
だが実際は、子どもが私の人生の全て。世界の中心。子のためならなんだってする!死ねます!みたいに全くならなかった。
子に尽くす。夫に尽くす。家に尽くす。
それを愛情だけでやることが私にはできなかった。
無償の愛なんて、私には見えない景色。
奴隷の気分だった。
家事育児=仕事
なんて捉え方はできなかった。
お金を稼いでいないことを、自分の中で仕事として認められなかった。
夫と対等ではない気がしてしまった。
それが情けない。と感じ始める。
加えて産後の異常メンタルで、夫が嫌いになった。
離婚したいと思う。
「お金の不安から離婚に踏み切れない私は、なんて不自由なんだ」なんて考え出す。

 これらの延長線上に
「私の人生歩んでいない」
という考えに至る。

ライフステージが変わったことを受け入れられなかったのだ。

 出産から1年、他人と会話をほぼしていなかった。
夫以外は友人3人と1回程。
本を読むこともしていなかった。
会話や読書といった、ほどよいストレスをかけないで過ごした。
加えて妊娠・出産後の女性の脳は、萎縮するらいい。
自分の知能が著しく低下しているような実感があった。
生理現象だと分かっていても、惨めな気持ちは消せなかった。

 環境が変わり、自分も変わっていくのが怖かった。
順応できなかった。
なにより、お金稼いでいない自分を大切にしてもらえるはずがない。価値がない。と思い始める。
これら全て、根本には自己肯定感の低さがあるのだろう。
仕事していない自分は、何ももっていないと。何者でもない。何者になりたい?迷走が始まる。

不安を消す方法は行動しかない。
専業主婦ムリだ。よし、仕事しよう。


④出産後6ヶ月。就職活動開始。

 仕事を再開しようと決めた時の私はみなぎっていた。
①の一人暮らしで仕事をしていた時のように、舞い上がっていた。
空振るように1人で盛り上がっていた。
そのテンションで就活をした。
子どもが生まれライフステージが変わり、生活様式が変わったのに。
変わった自覚が乏しかったのだろう。
「念のためパートで仕事を始めますが、仕事が慣れたら正社員希望です!」
「急性期の場所で働きたいです!」
とにかく、なんでもいいから働きたい。
あれだけ様々な不安から仕事を辞めたはずなのに、そのことをすっかり忘れていた。

 この私の空振り感の空気を感じていたのか、人事都合なのかは分からないが、入社1週間前に看護部長(病院内看護師のトップ)に呼び出された。
 「希望の急性期の病棟ではなく、外来に変更してもいいか」
断ればいい。内定時と話が違うのだから。
強制ではないはずだし。
本当に急性期で働きたかったのならば、断ればよかった。
なのにあの時の私は、「仕事に行けるならなんでもいい!」「お金稼げるならなんでもいい!」「外来の方が育児しやすい環境だし、育児落ち着いたら異動希望だせばいいか」なんて浅はかな考えでOKを出した。
 空振りみなぎる勘違い野郎な私だったから、「急性期で働けていたんだから、外来なんて余裕でしょ」なんて舐めた考えで、就職の日を迎えた。


⑤ワーママ開始

 出産後の仕事再開。
新しい職場。経験のない部署。
いざ働き始めたら、病棟と外来は全く違った。
今までの経験を活かせるタイミングなんて極一部分あるかないか。
産前に比べて頭の回転が遅くなっている自分に苛つく。
私は一気に自身消失した。
なんだ、やっぱ全然ダメじゃん私。勘違いしてたんだ。
今思うと、いや、ただ新しい経験のない部署なんだから覚えるまで時間要するなんて当たり前じゃん。と普通に思う。
何が不満だったのか。
普通にまあ、こんなもんか。ぐらいでいればよかったのに。
だって今、普通に仕事してますよ。
変にプライドがあったせいで、勝手に惨めに自分を捉え始める。
理想が高すぎだ。
自分に期待しすぎだ。
自分が空振っていたとに、やっとここで気がつく。

解決する方法を一生懸命探す。
ただ単にライフステージ変わっただけだよ。
なのに、自分やその環境に何か要因があるはずだ。今は悪い状態だと思い込んでいた。

この部署が自分に合わないんだ。
そう思うのなら、部署異動を希望すればいいってだけだ。
なのに、他の部署に移動したら今のように融通が効かないのではないか。という不安があり、言い出せなかった。
 今の外来という部署は、アルバイトみたいな働き方をしている私に文句を言う人はいない。
子どもが発熱で休んでも、冷たく当たられたことは一度だってない。
土日休みで夜勤なし。残業もほぼなし。
子育てママナースしかいないから、急な休みがあったとしても、お互い様ってみんななる。
外来のトップナースには、私の親や夫の協力が難しいことを理解してくれている。
だから、休む連絡をしても「親や夫にみてもらうことはできないの?」なんて言葉は一度だって言われたことはない。
(いやいや、いいじゃん!最高じゃん!子育ての理解あって、アルバイト勤務許されて、普通のパート代の給料もらえて、人間関係悪くなくて。何が不満なの!?と今は思う)

 外来部署の待遇が子育てにうってつけ。
ここまで融通が効く部署を離れて、後から後悔しないだろうか。
この待遇を捨ててまで私は部署異動したいのか?
何かいい塩梅はないのだろうか。
なんなら看護師にこだわらなくていいのではないだろうか?
じゃあ、自分は何がやれる?
私がやりたいことは?
自分に集中すればいい。
自分で考えていればいい。
なのに楽をしてしまった。
他人に答えを探し始める。
YouTubeで副業や起業を勧めている人の動画を漁りだす。
「仕事が嫌なら辞めて起業すればいいじゃん」「副業を始めて収入が十分になったら、それを本業に変えればいいじゃん」
それらの言葉に影響を受け始める。
人生の7割は仕事。
その仕事が嫌な時間で過ごすなんて、私の人生のほとんどを損しているのでは。
好きな時間に好きな仕事をして稼げるなんて。
ここら辺りで思考停止し始める。
考えているフリ。
何か、大きな決断をしないといけない。思い切った行動に出ないといけない。リスクをとらないといけない。
なぜこんな思考になったのだろうか。

仕事以外の楽しい時間だって沢山あったはずなのに、それらに意識がいかなくなっていた。


⑥「そこには承認欲求と、未来への迷いと、現状への不満が渦巻いている(byなっちゃの)」この思考の先に、30万円奇行へと繋がってしまった。

自分の人生とは?
やりがいは?
このままでいいのか?
何十年後、ここで働いている人達みたいになってていいのか?(いや、失礼だから。何も知らないくせに。余計なお世話だから)

バリバリに働く方に振り切ろうか。
いや、でも何年後何十年後に、子どもに時間を費やさなかったことを後悔しないか?
そこまでする熱量を今の仕事に感じているのか?
プライベートを捨ててまで、やりたいことなのか?

「いい塩梅」を探しているつもりでいるが、「いいとこどり」探しに変わっていたのだと思う。

もう自分探しの迷路。
世界を旅したい。自分探しの旅。
いやいや、あなたいくつよ。みさえと同じ年でしょ。1歳の子いるでしょ。

そして出会った。
「やりたいことの見つけ方」的な本に。
講座的なものに申し込んだ。
さんじゅうまんえんバーン。

内容はさておき、30万円かー。
ドラム洗濯機買えるね。過去の私よ。
後悔はしていません!
と言いたいのは30万円が無意味だったと思いたくない心理が働いているから。
でもやっぱり、自分の人生の棚卸しに30万円は支払わずとも、自分でできたのではないでしょうか?
いや、私1人では難しかったかな?
いやいやー、30万円でしょ?笑

この人生棚卸し30万円の先にインタビューライターをやってみたい。が生まれ、
インタビューに関する本を探す。
「悪魔の傾聴」という本に出会う。
そこでライティング講座に入る。


 力を入れてバタついているから溺れる。力を抜いたら浮くのに。
そんな感じのエッセイを高校生の時に読んだのに。
10年以上経っても、その言葉を自分のものにできずにいる。
そうなんだよ。力を抜いたら浮くんだよ。
力抜くなんて1秒あればいい。いや、一瞬あればいい。一瞬で解決するのに。

土台の弱さから生まれた30万円お支払いだったのかなー。


うん!この出会いに私は30万円払ったのだ(笑)
もう今となっては、笑うしかないなー。
地に足つけて生きましょう。
結局答えは自分の中ってことでしょう。
内向的な人が、何やってんだかなあ。






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