建物の歴史は家族の歴史 -町屋ラボの昔の使われ方についての記録-
1月28日(日)、新潟大学の学生さんが、町屋ラボの実測調査をしていきました。
昨年末頃から小須戸の町屋を数軒調査しており、町屋ラボの調査もその一環です。調査している学生さんは、研究の主旨として、建物の寸法を測るだけでなく、改修の履歴も確認したいとのご希望でした。
そこで当日は家主さんにも立ち会っていただき、住まわれていた当時の建物の使い方についてもお話を伺いました。そのお話を、記録としてまとめておきます。
家主さんがこの建物で暮らしたのは30年ほど前までで、昔は5人以上の家族で暮らしていたそうです。
桶を作っていたから屋号が「桶屋」だったそうですが、実際には家主さんはこの建物で桶を作っている様子を見たことはないそうです。商売としては、子どもの頃にはおじいさんが道路に面した板の間では飴やお菓子を売っていたことを、薄っすらと覚えているとのことです。
道路側の建具が外され、道路側にお菓子を並べて売り買いしていたそうでした。現在も道路側の建具を開け放せば開放的に使える作りなのは、こうした利用がなされていたからだとわかりました。
30年ほど前に新しい家に引っ越した前後のタイミングで、クリーニングの取次ぎを行っていました。引っ越し後は住居としてではなく、日中に通ってきて店のためだけに使ったそうです。その際に商品の埃避けのために小部屋が作られ、現在そこは工具類を置くカウンターに改修しています。
続く畳の部屋が客間で、冠婚葬祭もこの部屋で行ったそうです。
ガラスの入った建具が使われているのは、室内からも板の間の様子がわかるようにという配慮だったのかもしれません。
また、床の間や仏間の作りが新しいように見えますが、家主さんの記憶では昔からそうだったということで、改修が行われたという記憶はないそうです。家主さんが生まれる前に改修されたのか、建築当時からこの様子なのかは不明のままです…。
中庭の奥の部屋が家族の居間で、ちゃぶ台を囲んで食事をとったそうで、お話によれば、中庭を境にお客さんを通す場と家族の空間が別れていたようです。現在、町屋ラボでも奥の部屋は作家の滞在スペース、プライベートスペースとしています。
また、子どもたちは2階で寝ていたことや、洗濯物は2階から屋根に上がって干したことなども伺いました。
建物の歴史は家族の歴史。こうした機会に記録することも大切だなと思い、記しておきます。
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