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父親の愛情が欲しかった

 両親はわたしが幼稚園生の頃からよく喧嘩をしていた。毎日のように。(詳しくは書かないですけど、父が原因です。)わたしが小学生、中学生と成長するにつれ喧嘩は減っていった。


 といっても、なかなか激しい喧嘩だった。母は物を投げるし、狂ったように怒ってる。母の怒鳴った声を聞きたくなかった。父は少し言い返すくらいで、基本黙ってる。わたしの家族は変だ、って思ってた。


 父は家のことを何もしなかった。家事はぜんぶ母。その日履く靴下さえ母に出してもらっていた。(なんでもやってあげる母も母だけど)わたしは腹が立って仕方なかった。自分のことくらい自分でしろって思ってたし、言ってた。


 休みの日はずっと寝ていた。夜ご飯の時には食卓には居るけど、ビールを飲み終わってからご飯を食べるので、わたしたちが「ごちそうさま」した頃にやっと食べ始めるような父だった。お風呂も入らないし、タバコはキッチンの換気扇の下で吸う。(家の中に匂いが回るので外で吸って欲しかったけど、言っても言ってもダメだった。)



 小学3年生の時、「お父さんを好きでいていいのかな」って言ったことがあった。この言葉を発した時のことを今でも思い出す。母は「どっちでもいいんじゃない」って言った。


 わたしはいつからか父と言葉を交わさなくなった。本当に話さなかった。家族で一緒に食卓を囲んでいても、父親ではなく、知らないおじさんと一緒にいる気分だった。

 父のせいで母は大変だし、喧嘩を聞かされるわたしと姉も被害者なのに何も感じていないかのように家に帰ってきてたのが許せなかった。俺は何も悪いことしてないみたいな態度が気に食わなかった。




 わたしは小学生の頃から今まで生きづらさをすごく感じていた。不安もすごく強かったし、人間関係も上手く築けない、とにかくとんでもないコンプレックスの塊だった。家では親の喧嘩ばかりを聞いて、学校では良い子を演じていた。家でも学校でも居場所なんてなかった。どこにも吐き出せない感情が溜まっていった。


 そんなわたしは反抗期がめちゃくちゃ長かった。小学5年生の頃なんかは朝起きた時からイライラしてて、家を出るまでイライラしてた。学校に行くと、良い子なわたしが出てきてその場を過ごす。家に帰って気に入らないことがあれば暴れまくる。そんな毎日だった。そんな子供だった。


 中高校生くらいになると幼少期の親の喧嘩が子供に及ぼす影響を調べたり、愛着障害という言葉を知って情報を集めたり、とにかく親のせいにした。親がこんなだから、わたしは生きづらいんだと、こんな性格になっちゃったんだと。でもこんな自分が嫌で変わりたかった。人と上手くコミュニケーションとりたかったし、自分を好きになりたかった。


 自己啓発本を読みまくって、考え方次第でどうにかなるかもしれないと思ったり、自分を愛しましょうって書いてあればなんとなく実践した。変わったような変わらないような、よく分からなかった。


 スピリチュアルを発信してるYouTubeを見て、インナーチャイルドとか知ったり、心理学も自分なりに勉強した。自分がマシになるならと、良いと思う情報はなんでも集めた。


 「まずは自分を知ることが大事」って言ってくれた人がいた。そこからもっと自分を知ろうと思って色々やってみた。自己表現が苦手で感情を抑えてしまいがちなので、その日の感情をノートに書いたり、スマホのメモに残したりを続けた。自分の好き嫌いも分からなかったけど、続けていけば少しずつ自分はこんな風に思うなとかこれは嫌だなっていうのが出てくるようになった。



 実家を離れて、農業を始めた。農業は1人でする作業も多いから、意識が自分の内に向かっていく。例えば親のことで悩んでいても、深掘っていけば、今までとは違う目線で物事を捉えられる時がある。気づかなかった愛情に涙する時もある。自分の心境の変化に驚くことも多い。親から離れることで客観的に物事を捉えられるようになった。


 わたしは父にそっくりだとも気づいた。1番気づきたくなかったことだけど。父は喜怒哀楽が見えづらいので、感情がない妖怪だって思ってたけど、もれなくわたしもなんだ。今まで父を避けていたわたしは父に似た自分をも避けていたのではないか。自分を知ることが父を知ることになるのではないか。



 2年前わたしの就職が決まった時、母に内緒で父から就職祝いをもらった。姉から「父さんお小遣い貯めて就職祝いくれたんよ」って聞いた。不器用だし分かりづらいけど、父なりの愛を感じた。



 家のことは全くできないし、自己中だし、子供のことにも無関心だったけど、わたしの知らないところでこれだけはやろうって決めて仕事頑張ってくれてたのかもしれないなって思うと泣けた。


 親のことで色々悩んだりした時期もあったけど、わたしはただ父親からの分かりやすい愛情が欲しかっただけなんだ。そして、わたしもどんな父であったとしても好きでいたかった。


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