柳原はしご

一人飲みの日々に酔った頭で考えたことを、忘れないように書き留めています。 時々写真も。

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最近の記事

日本語の美しさと人の美しさ

皇族に対しては特に強い興味も持たずに過ごしてきたのだが、先日、書店に平積みにされていたさる皇族著作の文庫本を手に取ってパラパラと見て、迷わず購入した。 まず、こんなにきれいな日本語を使う人が存在していることに驚いた。 そして読み進めるうちに少し悲しくなった。 なぜならどんな本も読み終わる時がくるから。 もちろん再読はできる。でも初読は一生に一度なのだ。 そして、読み終わってしまった。 思えば赤と青はこれから未来が始まる夜明けの色だ。 オックスフォードのガウンの色が、そうい

    • 消えたネクタイ

      誰もが普通にネクタイをしていた頃、割と好きだった部下の女性が結婚を機に退職した。 かつてはそういうケースがよくあった。 仕事を通してではあったが、信頼関係を築いた仲だったのでその後も交流は続いた。 数年後、彼女は家族で行ったどこか海外の旅先で私宛ての土産を買ってきてくれた。 品の良いデザインのネクタイだった。 怒涛のような日々の中で、何か重要な局面ではそのネクタイをすることが多かった。 無意識のうちにお守りのように扱っていたのかもしれない。 信頼関係というエネルギーが、ネク

      • 外飲みという冒険

        晴れていたし、充分な時間もあったので1時間ほど電車に乗って、初めての店で17時過ぎから飲み始めた。 年が明けてから月1回くらいの間隔で外飲みをしている。いつも行くのは知り合いの店で、かつての飲み友達と毎回遭遇して飲み過ぎてしまい、お決まりのように泥酔状態で帰宅していた。 それはそれでいいのだが、私もいい大人だし、久しぶりに節度ある外飲みをしてみようと思い、以前から気になっていた店を訪れてみた。 良い店だった。 問題は店を出た時点で空がまだ明るかったことか。 当然もう1軒行

        • 無職になって痛感したこと

          会社を辞めて、健康保険や年金やハローワークやその他雑多な手続きも一段落して、さて次の仕事はどんなことをしようかというワクワクする段階に移行するはずが、様々な手続き作業の疲れで何もする気が無くなってしまった。 つまり働く気が失せてしまった。 たぶん境遇が同じ他の人も、私と同じ気持ちになるのだろうと思う。 (もしかして私だけ?) これでは日本のGDPはもっと下がるだろう。まあ、単純な拡大路線がいいとは思わないが。 なぜ日本の制度は「わざわざ」複雑で面倒なことになっているのだろ

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          竹林の中で光り輝いていた何ものか

          20年くらい前、当時付き合っていた人と熊野地方を旅した。 那智の滝にクラクラした後、山を降りるとき、少し自然が多い道を通ろうかと思い遊歩道を歩いていた。 しばらく行くと竹林が現れてきた。 そのとき、私も彼女も同時に歩みを止めた。 竹林の中に何かがいた。 私の目には、この世のものではないものが写っていた。 現世の私が持っている技術では表現できないものが。 彼女の目には具体的な何かが写っているわけではなかったようだ。 「何かがいる」 彼女にそう言いながら手を握ると、彼女は強

          竹林の中で光り輝いていた何ものか

          「人生は今が一番若い」ということの嘘と真実

          「人生は今が一番若い」そんな言葉を聞いた後、何言ってんだと思いながら地下鉄の階段をかけ上がったあの頃、時代はまだ昭和だった。 令和に変わり私も歳を取り、あの時の言葉は表面的には正しかったのだと思う。 「人生は今が一番若い」 正しいもなにも、普通に生きている人にとって当たり前のことじゃないか笑 この言葉の真意は受け取る人によって様々に変化していくのだろう。 ・文字通り今が一番若い。 ・明日、私は生きていないかもしれない。 ・今日で世界が終わっても後悔しないように生きるべきだ

          「人生は今が一番若い」ということの嘘と真実

          最新の栄養学は尊重するが、酒は飲む

          コロナ禍の4年間、外飲みをせずに過ごしてきた。 飲み屋で飲むことはもう一生ないと覚悟を決めていたのだが、年が明けてから月一程度で外飲みをしている。 適度な飲酒は健康にプラスだと言われてきたが、最新の栄養学の知見によれば、いっさいの飲酒は身体には害悪らしい。 たぶんその通りなのだろう。 はるか昔、生きのびるために、アルコール発酵した物を食べざるをえなかった人種が存在していた。 その結果、ある人種にはアルコール分解酵素が遺伝的に備わるようになった。 もしも人間がアルコール発

          最新の栄養学は尊重するが、酒は飲む

          私なりのカップ麺愛

          週に1回〜2回、忙しい昼時にカップ麺を食べている。 何より手軽だし、ジャンクな味の中毒性は良い意味で気分を高揚させてくれる。 どうでもいいことではあるが、私は2つの条件にこだわっている。 ・お湯を注いで3分でできる ・作り方が複雑でない まず、最近のカップ麺は生麺、太麺志向なのか、お湯を注いで5分程度待つものが多い。 私は熱いスープが好きなので、5分も待っていたらお湯がぬるくなるんじゃないかと心配になる。 さらに、最近のカップ麺は本物志向なのか、やたらと作り方が複雑だ。 ア

          私なりのカップ麺愛

          肉じゃががおふくろの味という都市伝説

          肉じゃががおふくろの味だといまだに信じている女子に先日会った。 昭和生まれの私からしても、肉じゃがはおふくろの味などではない。 (そもそも私は実家で肉じゃがを食べた記憶が無い) 誰なんだろう?肉じゃがはおふくろの味で、男は全員肉じゃがに弱いという幻想をでっち上げたのは。 そもそも「おふくろの味」という言葉は、その言い回しからして男からの視点で、ジェンダー平等の昨今においては適切な言葉ではないだろう。 料理を作るのは母親だけではないのだが、仮に「母の味」「家庭の味」と言い

          肉じゃががおふくろの味という都市伝説

          この先に、恋とか

          手元にPCが無いことがこんなにも心地良いことだったとは、30年ぶりにわかった。 しかし、スマホまで手離すことはかなり難易度が高い。 最低限の情報端末を持っていないと現実的に社会生活に支障が出てしまう。 スマホがあれば、こうやってnoteも書けるし。 ちなみにテレビを捨てて数年経つが、こちらはなんの不便もない。 人生とは今まであったものが無い状態に置かれることの連続で、もちろんその無い状態が心地良い場合もあるけれど(たとえばPCが無い状態)、大体においては喪失感に包まれる。

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          仕事と労働の違い

          もう誰も憶えていないと思うが「プレミアムフライデー」なるものが存在した。 当時の政府が広告代理店を使って税金を無駄遣いした無意味なキャンペーンのことだが、そこには「仕事」を「労働」と勘違いするような錯誤があったと思う。 人は仕事を通して成長する、と言うときの「仕事」は「労働」ではない。 その場合の仕事はその人にとっての使命のようなもので、それが本来の仕事のあり様だろう。 だから月末の金曜日に早く仕事を切り上げるなどという発想とは無縁の営みなのだ。 対して労働は苦痛そのもの

          仕事と労働の違い

          どこかに普通の街はあるのだろうか

          普通の街に住みたいと最近強く思う。 今住んでいる街は東京都内でも地味な街で、それが何よりの良さだった。 ところが近年、意識高い系のバカ(失礼)が街づくりに乗り出してきて、自然発生的な街並みが人工的で気持ちの悪い姿に急速に変わりつつある。 そういう街を必要としている人たちもいるのかもしれないが、それは普通に人が暮らす街とは言えないと思う。 それで、引越しするべきか悩んでいる。 防災対策を強化するような街づくりはもちろん歓迎だ。 私が嫌悪しているのは、「人が集う街」などのキャッ

          どこかに普通の街はあるのだろうか

          最近の乃木坂46、というか山下美月のこと

          山下美月のことは今まで特に何とも思っていなかったけれど、「チャンスは平等」のMVの顔を見て考えが少し変わった。 彼女すごいね。 このMVで彼女はとてもいい顔をしている。 まるで何かを達観したような。 できればこの新曲は3期生だけで演じてほしかった。 4期生や5期生をノイズに感じてしまうくらい、3期生の存在感が充満していた。 サイクルの早い世代交代がアイドル界の常だとしたら、4期生や5期生の卒業もそんなに先ではないわけで、なんか諸行無常だなあ。 橋本奈々未が卒業して7年か

          最近の乃木坂46、というか山下美月のこと

          この世の極意

          目の前に座る女子が、口の横にご飯粒を付けている。 いいなあ、うん、いいよ、美しい。 整い過ぎたものに魅力を感じなくなったのは、いつ頃からだったろうか。 たとえば、カラオケで音程がピッタリ合った歌声を聞いたとき、 たとえば、細部に至るまで計算された文章を読んだとき、 たとえば、隙のないメイクを施した彫刻みたいな姿形を見たとき、 感動とは程遠い、むしろ嫌悪に近い感情が湧いてきた。 不完全な状態やいびつな形が非常に尊いものに感じられる。 なぜその状態に心を動かされるのかうまく

          この世の極意

          強さと美しさについて思う

          自然界における強さは美しい。 人間界において強いとはどういう状態なのだろうかといつも思ってきた。 他者を思いやる力は人間だけの強さだと信じてきたのだが、その考えは今や危うい。 動物の本能が見せる姿は美しいのに、それに比べたら人間が見せるあらゆる姿は醜悪すぎる。 本能が破壊されているのはしょうがないとして(それが人間である条件だから)、変態的な歪みをもっと奥深くに隠して、表面的にはスパッと真っ直ぐな佇まいでいられないものだろうか。 それが文明というものだと思うのだが。 そ

          強さと美しさについて思う

          今年最後の酒を飲みながら

          私たちは今までとは違う世界の前夜にいる。 ここ数年持ち続けてきたその感覚は今も変わっていない。 自然界、人間界を問わず、どう考えても今までとは違う場所に向かっているように思えてならない。 変化は数十年単位の時間軸になるだろうから、もしそうなら不安定な時代が数十年続くわけだ。 そんな状況に私は耐えられるのか考えると、たぶん耐えられないと思う。 どうすればいいのか。 目の前の小さなことに楽しみを見つけて、日々のささやかな幸せを積み重ねていくしかない。 いつだって大切なのは目

          今年最後の酒を飲みながら