柳原はしご

一人飲みの日々に酔った頭で考えたことを、忘れないように書き留めています。 時々写真も。

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最近の記事

仕事をしようか悩んでいる

約40年間仕事をしてきて、人間的、社会的にクズ(失礼)な人たちに様々な闘争を仕掛けられてきた。 そういう環境で私がまともでいられたのは、それらの闘争に結果として勝ち続けてきたからに過ぎない。 今だから言えることだが、自分を守るためとはいえ闘うことは楽しかった 。 それは架空のゲームではなく、生身の身体を賭けた真剣勝負だったから楽しいに決まっている。 言い訳するわけではないが、私は自分から闘いを仕掛けたことはない。 そういえば戦争の当事国も同じようなことを言っていた。 争い

    • 節約とか税金とかこの世の摂理とか

      柄にもなく最近は節約を心掛けていて、まずは食費から見直してみた。 酒を止めるくらいなら死んだほうがマシなので、酒以外で調整しているのだが、食費に関しては自炊すれば解決に近付けることが(今さらながら)わかった。 日用品や光熱費。 これが意外と難しい。元々最低限の消費だったし。 これは保留だなあ。 書籍代。 これが食費に次いで家計を圧迫していた。 いきなりゼロにはできないし、半年後に見直すことにした。 あとは税金とか年金とか。 これはもう個人ではどうしようもない。 今私は無

      • セミも鳴いて梅雨も明けた

        数日前に今年最初のセミの声を聞いたと思ったら、関東にも梅雨明け宣言が出た。 夏だ。 約40年ぶりの無職の夏だ。 来年はどうなるかわからないが、少なくとも今年は自由に彩られた夏だ。 この自由を思い切り楽しむしかない。 どうやって楽しむか。 特別なことは何もせず、毎日を普通に過ごして、日々のささやかな喜びを積み重ねていこうと思う。 たとえば、朝目覚めたら太陽の光を浴びること。 たとえば、その日が自分のための1日だと思いながらニンマリすること。 たとえば、コーヒーを飲みながら読み

        • 手書きの手紙とその威力

          無職になって時間もできたので、いい機会だと思って部屋の中を少し整理していたら、引き出しの中から私のものではないペン(筆記具)が出てきた。 以前付き合っていた彼女が置いていったペンだ。 私は彼女の書くきれいな文字が好きだった。 何通ももらった手書きの手紙はもう手元には無いけれど、ただ文字を眺めているだけで幸せな気分になったことは憶えている。 手書きの手紙を普通に書く人がいた時代が、かつてあった。 これから先、死ぬまでに私が手書きの手紙を書くことなど何回あるのか。 少なくとも愛

        仕事をしようか悩んでいる

          ざっくりと、1970年代〜2024年

          約55年前、写真で見る東京はまるで革命前夜だった。 その頃、私はまだ地方の小学生だった。 約45年前、革命を夢見て上京した。 その年、夢は敗れた。 約40年前、しょうがない、仕事でもするか、、、 その頃は、世界に流れるゆるい時間に身を委ねていればよかった。 約30年前、秋葉原の上空にはWindows95が旋回していた。 そして世界のパラダイムが完璧に変わっていった。 スピードがすべてのテーマの中心になったのだ。 先日、電車の乗り換えで、かつて飲み歩いていた街の駅に降り立った

          ざっくりと、1970年代〜2024年

          日本語の美しさと人の美しさ

          皇族に対しては特に強い興味も持たずに過ごしてきたのだが、先日、書店に平積みにされていたさる皇族著作の文庫本を手に取ってパラパラと見て、迷わず購入した。 まず、こんなにきれいな日本語を使う人が存在していることに驚いた。 そして読み進めるうちに少し悲しくなった。 なぜならどんな本も読み終わる時がくるから。 もちろん再読はできる。でも初読は一生に一度なのだ。 そして、読み終わってしまった。 思えば赤と青はこれから未来が始まる夜明けの色だ。 オックスフォードのガウンの色が、そうい

          日本語の美しさと人の美しさ

          消えたネクタイ

          誰もが普通にネクタイをしていた頃、割と好きだった部下の女性が結婚を機に退職した。 かつてはそういうケースがよくあった。 仕事を通してではあったが、信頼関係を築いた仲だったのでその後も交流は続いた。 数年後、彼女は家族で行ったどこか海外の旅先で私宛ての土産を買ってきてくれた。 品の良いデザインのネクタイだった。 怒涛のような日々の中で、何か重要な局面ではそのネクタイをすることが多かった。 無意識のうちにお守りのように扱っていたのかもしれない。 信頼関係というエネルギーが、ネク

          消えたネクタイ

          外飲みという冒険

          晴れていたし、充分な時間もあったので1時間ほど電車に乗って、初めての店で17時過ぎから飲み始めた。 年が明けてから月1回くらいの間隔で外飲みをしている。いつも行くのは知り合いの店で、かつての飲み友達と毎回遭遇して飲み過ぎてしまい、お決まりのように泥酔状態で帰宅していた。 それはそれでいいのだが、私もいい大人だし、久しぶりに節度ある外飲みをしてみようと思い、以前から気になっていた店を訪れてみた。 良い店だった。 問題は店を出た時点で空がまだ明るかったことか。 当然もう1軒行

          外飲みという冒険

          無職になって痛感したこと

          会社を辞めて、健康保険や年金やハローワークやその他雑多な手続きも一段落して、さて次の仕事はどんなことをしようかというワクワクする段階に移行するはずが、様々な手続き作業の疲れで何もする気が無くなってしまった。 つまり働く気が失せてしまった。 たぶん境遇が同じ他の人も、私と同じ気持ちになるのだろうと思う。 (もしかして私だけ?) これでは日本のGDPはもっと下がるだろう。まあ、単純な拡大路線がいいとは思わないが。 なぜ日本の制度は「わざわざ」複雑で面倒なことになっているのだろ

          無職になって痛感したこと

          竹林の中で光り輝いていた何ものか

          20年くらい前、当時付き合っていた人と熊野地方を旅した。 那智の滝にクラクラした後、山を降りるとき、少し自然が多い道を通ろうかと思い遊歩道を歩いていた。 しばらく行くと竹林が現れてきた。 そのとき、私も彼女も同時に歩みを止めた。 竹林の中に何かがいた。 私の目には、この世のものではないものが写っていた。 現世の私が持っている技術では表現できないものが。 彼女の目には具体的な何かが写っているわけではなかったようだ。 「何かがいる」 彼女にそう言いながら手を握ると、彼女は強

          竹林の中で光り輝いていた何ものか

          「人生は今が一番若い」ということの嘘と真実

          「人生は今が一番若い」そんな言葉を聞いた後、何言ってんだと思いながら地下鉄の階段をかけ上がったあの頃、時代はまだ昭和だった。 令和に変わり私も歳を取り、あの時の言葉は表面的には正しかったのだと思う。 「人生は今が一番若い」 正しいもなにも、普通に生きている人にとって当たり前のことじゃないか笑 この言葉の真意は受け取る人によって様々に変化していくのだろう。 ・文字通り今が一番若い。 ・明日、私は生きていないかもしれない。 ・今日で世界が終わっても後悔しないように生きるべきだ

          「人生は今が一番若い」ということの嘘と真実

          最新の栄養学は尊重するが、酒は飲む

          コロナ禍の4年間、外飲みをせずに過ごしてきた。 飲み屋で飲むことはもう一生ないと覚悟を決めていたのだが、年が明けてから月一程度で外飲みをしている。 適度な飲酒は健康にプラスだと言われてきたが、最新の栄養学の知見によれば、いっさいの飲酒は身体には害悪らしい。 たぶんその通りなのだろう。 はるか昔、生きのびるために、アルコール発酵した物を食べざるをえなかった人種が存在していた。 その結果、ある人種にはアルコール分解酵素が遺伝的に備わるようになった。 もしも人間がアルコール発

          最新の栄養学は尊重するが、酒は飲む

          私なりのカップ麺愛

          週に1回〜2回、忙しい昼時にカップ麺を食べている。 何より手軽だし、ジャンクな味の中毒性は良い意味で気分を高揚させてくれる。 どうでもいいことではあるが、私は2つの条件にこだわっている。 ・お湯を注いで3分でできる ・作り方が複雑でない まず、最近のカップ麺は生麺、太麺志向なのか、お湯を注いで5分程度待つものが多い。 私は熱いスープが好きなので、5分も待っていたらお湯がぬるくなるんじゃないかと心配になる。 さらに、最近のカップ麺は本物志向なのか、やたらと作り方が複雑だ。 ア

          私なりのカップ麺愛

          肉じゃががおふくろの味という都市伝説

          肉じゃががおふくろの味だといまだに信じている女子に先日会った。 昭和生まれの私からしても、肉じゃがはおふくろの味などではない。 (そもそも私は実家で肉じゃがを食べた記憶が無い) 誰なんだろう?肉じゃがはおふくろの味で、男は全員肉じゃがに弱いという幻想をでっち上げたのは。 そもそも「おふくろの味」という言葉は、その言い回しからして男からの視点で、ジェンダー平等の昨今においては適切な言葉ではないだろう。 料理を作るのは母親だけではないのだが、仮に「母の味」「家庭の味」と言い

          肉じゃががおふくろの味という都市伝説

          この先に、恋とか

          手元にPCが無いことがこんなにも心地良いことだったとは、30年ぶりにわかった。 しかし、スマホまで手離すことはかなり難易度が高い。 最低限の情報端末を持っていないと現実的に社会生活に支障が出てしまう。 スマホがあれば、こうやってnoteも書けるし。 ちなみにテレビを捨てて数年経つが、こちらはなんの不便もない。 人生とは今まであったものが無い状態に置かれることの連続で、もちろんその無い状態が心地良い場合もあるけれど(たとえばPCが無い状態)、大体においては喪失感に包まれる。

          この先に、恋とか

          仕事と労働の違い

          もう誰も憶えていないと思うが「プレミアムフライデー」なるものが存在した。 当時の政府が広告代理店を使って税金を無駄遣いした無意味なキャンペーンのことだが、そこには「仕事」を「労働」と勘違いするような錯誤があったと思う。 人は仕事を通して成長する、と言うときの「仕事」は「労働」ではない。 その場合の仕事はその人にとっての使命のようなもので、それが本来の仕事のあり様だろう。 だから月末の金曜日に早く仕事を切り上げるなどという発想とは無縁の営みなのだ。 対して労働は苦痛そのもの

          仕事と労働の違い