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消えたネクタイ

誰もが普通にネクタイをしていた頃、割と好きだった部下の女性が結婚を機に退職した。
かつてはそういうケースがよくあった。
仕事を通してではあったが、信頼関係を築いた仲だったのでその後も交流は続いた。
数年後、彼女は家族で行ったどこか海外の旅先で私宛ての土産を買ってきてくれた。
品の良いデザインのネクタイだった。

怒涛のような日々の中で、何か重要な局面ではそのネクタイをすることが多かった。
無意識のうちにお守りのように扱っていたのかもしれない。
信頼関係というエネルギーが、ネクタイに形を変えて私を守ってくれていた。

季節を問わず世間的にノーネクタイが主流になり、そのお守りのようなネクタイもタンスの奥に保管したままになっていた。
久しぶりに重要な案件が発生してネクタイの着用が必要になったとき、迷わずにそのお守りを取り出そうとしたのだが、いくら探しても見つからない。
一人暮らしなので他の誰かが捨てることはないし、何故だろうかと必死で考えた。

たぶんお守りとしての役目を終えた後、私の元を去っていったのだ。
単純な思い違いによる紛失かもしれないが、そう考えるしかなかった。
どうやって去っていったのかはわからないし、そんなことが現実に起こるのかもわからない。
でも現実に起こっている以上、事実だけは受け入れることにした。

ここで科学的な知見を持ち出すのは少し気が引けるが、この地球上に存在する物質全体の質量ははるか昔から変わっていないらしい。
であるならばあのネクタイも、その形のままかどうかは別にして、何らかの状態で今もこの地球上に存在しているはずだ。
分子レベルでバラバラになっていたとしても。

もしかしたら別な形に生まれ変わって、すでに誰かの手元にあるのかもしれない。
ネクタイ以外の物、例えばスカーフなどに姿を変えて。
形を変えて循環していくこともこの世の真理に違いない。

どんな形に変わっても、また誰かを守ってくれているといいなと思う。

今や立派な母親になった元部下の顔をSNS上で見ながら、ふとそんなことを思い出した。
久しぶりに飲みにでも誘ってみるかなと思ったけど、向こうは私と違って忙しいんだろうなあ笑

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