見出し画像

手書きの手紙とその威力

無職になって時間もできたので、いい機会だと思って部屋の中を少し整理していたら、引き出しの中から私のものではないペン(筆記具)が出てきた。
以前付き合っていた彼女が置いていったペンだ。
私は彼女の書くきれいな文字が好きだった。
何通ももらった手書きの手紙はもう手元には無いけれど、ただ文字を眺めているだけで幸せな気分になったことは憶えている。

手書きの手紙を普通に書く人がいた時代が、かつてあった。
これから先、死ぬまでに私が手書きの手紙を書くことなど何回あるのか。
少なくとも愛の手紙を書くことはもうないだろう。
自分では書かないが、そういう手紙を死ぬまでにあと1回くらいはもらいたいものだ。(まあ無理だろうけど)

思えば何人かの女子から手書きの手紙をもらってきた。
手紙の内容は様々だが、現物はある時期にすべて捨てたので、今手元にはない。
(ずっと取っておいたら相手も困るだろう)

手元にはないけれど、きちんと記憶している(一字一句とは言わないが)。
彼女達がいなかったら今の私はいなかった。

私は、私自身のオリジナルではないのだとつくづく思う。
私は、今まで出会った人たちと私自身が共に作り上げてきた共同制作物に過ぎない。
特に付き合った女子からもらった手紙は、何度も読み返す過程で私の核の部分に大きな影響を与えてきた。
そうやって作り上げた作品には呼吸をさせないといけない。
だから私は今日も目覚めて呼吸をして、生きている。

私が今まで死なずに生きてこれたのは、彼女たちが与えてくれた力も根底にあったのだとあらためて思う。

それにしてもこの未完成の作品ときたら、毎晩飽きもせずに酒ばかり飲んで、この先大丈夫なのだろうかとふと不安になってしまうが、まあ、どうにかなるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?