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自分を生きる

物心つく頃から、常に自然の中に在る事があたりまえで、自然と共に在る生き物たちと触れ合いながら育つ。

わたしにとってのあたりまえは、

耳で聞くこともなく

目で見ることもないような

でもたしかに心に伝わってくるナニカで結びつくような。

そんな世界だった。


オトナといわれる年齢になって改めて感じることは

「自分を生きてる」って言えるような人が少ないなってこと。


誰かが望む言動もそうだし、世の中の「優秀」「あたりまえ」「常識」って言葉だったり、

「お兄ちゃんなんだから」「お姉ちゃんなんだから」「男なんだから」「女なんだから」って言葉や定義にとらわれて、

「ソレらしさ」を生きていられてるかどうかが基準のひとつだったりする。


自分の心がどう思ってるのか、

自分は本当はどうしていきたいのか、

なにを心地よく感じるのか、

どんなことをよしと思わないのか、

それらを、世の中の「常識」に倣って判断したり、評価しようとする。

そんな世界に疑問を感じていた。



今の時代を生きる人の中からは、

これまでの常識や「あたりまえ」に疑問を投げかけたり、自らの気持ちと共に声をあげる人たちが出てきたなぁとも感じる。

私が大人になって、世界のイロイロが見えてきただけかもしれないけれども。


誰かが喜ぶ自分の立ち振る舞い。

誰かが望むだろう言葉の紡ぎ方。

自分ではない誰かの為に生き続けていないかな?


自分が心地よく感じられる「自分」を作れるのは、他ならぬ自分しかいないんだよね。


そのためにはどうしたらいいのか。

自分の心と共に生きること。

心の動きを感じて、味わうこと。

世の中を生きる人々の大半とは違う考え方や、価値観であっても、

そんな自分のことを反射的に否定しないこと。

オモテに見えているひとつの層だけをみて、自分のことを全て評価することのないように。

きっとその心の動きには理由があるはずだから。

一面を見て否定したり、ダメという評価を突きつけるのではなくて、「なんでこんな風に思ってるんかな?」って自分に対して問いかける。

その時にピンとくる答えが見つからなくてもいいんだ。

そんな風にすることの1つずつはとても小さくて、意味がないような事に思えるけど、実はとても大きくて大事なこと。

結果的に自分を労わり、癒す事に繋がっていくんだよ。


今の時期、どこを見渡しても新緑がまぶしくて。

春一番に、今を盛りに咲き誇った桜たちも、葉桜になっている。

そんな中で、たった一輪。

見事に美しく咲き誇る桜の花を見つけました🌸

自分が咲きたい時に咲く🌸

まわりと同じ時ではなくても美しい✨

むしろ、まわりとまるっきり違うからこその美しさ、たくましさ、素晴らしさ、力強さ…

より強く感じませんか?

まさに「自分を生きる」を表現してる桜🌸

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