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ねぇ、私は、禁忌だろうか。【創作小説ショートショート】


 君は無口だ。

 「おはよう」、といつも通り話しかけたところで「おはよう」とは返ってこない、そんなことはわかりきっているから毎朝私は、ただ君に寄り添って座る。

 一日も欠かさずAM7:00にアールグレイを飲む私と対照的に、君は私が差し出したときしか水を飲まない。ぶっきらぼうに水を受け取り、顔を背けて少し微笑む、そんな君の素直さが好きだ。だけどたまには、一緒にアールグレイを嗜んで、「この香りは好きじゃないな」って、顔を顰める顔がみたい。

 ふたりとも何も予定がない日は、君に寄りかかって映画を見る。君は映画をみているのかぼーっとしているのかわからないし、私を抱きしめてくることもしないけど、私にされるがままの君の健気さが好きだ。だけどたまには、「くっついてこないでよ」って、私を押し退けながら恥ずかしそうに言ってほしい。

 ベランダから射る太陽の光が君を照らす様子をみて、君が太陽に照らされているのではなく、太陽の光が君に集められているのだと気づいた。眩しそうな君が愛おしくて、カーテンを閉めてあげたいのを我慢した。君が陽の光を集め、熱く火照り、鏡のように反射して私の瞳に入るのを、日が沈むまで眺め続けたいと思った。君は私に声をかけることもしなければ振り向くこと もしないが、君の顔をみれば私を愛しているとわかった。

君の存在が好きだ。私のことを否定しない君が。

 月曜9時のドラマは限りなく理想で、だけど限りなくつまらない。
ドラマの中で描かれる愛は理想だが、恋愛のプラモデルみたいで、
そのうち既製品にされて売られていきそうだ。

 私と彼の愛は、こんな既製品のプラモデルみたいじゃなくて、もっと曖昧で、名前がないもののように思える。

 母からメールがあった。小学校の同級生のマコちゃんが結婚するらしい。「お母さんも早く孫の顔がみたいな」、文末には音符マークがついていた。婚姻の契約を交わし、子供を生むことが母にとっての幸せなのだとしたら、母が私に抱く愛情は、実家のトイプードルに向ける愛情とたいして変わらないだろう。

 私と彼の愛は、誰かがつくった仕組みに則るものでも生命の繁殖本能に占拠されるものでもなくて、もっとあらゆる「愛」をブレンドした複雑なものだと思う。

「ねぇ、君との子供って、どんなのかな」

 君に話しかけて、自分で答えた。

「馬鹿みたいだったね」

 君は今日も無口だ。

 ドラマをみていても、母からのメールに気づいても。

 ただ私の側にいて、呼吸をするだけだ。こっちを見ることも、何か言葉をかけてくることもしないけれど、君の微笑んでいる表情が、私にだけはわかる。

「ねぇ、私って、禁忌かな」

 君は話さなかったから、君の一部に触れた。生温かった。私の体温だけが高いのが寂しくて、君から手を離した。

 月曜9時の既製品の恋も、マコちゃんの結婚も。
 君があまりに何も言ってくれないとき、馬鹿みたいに羨ましい。

 母から受けるペットみたいな愛情も、迷惑なのに、愛おしい。

 たまに、君を外に追いやって、どこかに取り残して、それっきりにしたくなる。そうすれば、馬鹿みたいに羨ましいやりかたで、愛のことがわかるかもしれない。

 できないのはわかっている。私は君とのやりかたでしか、愛のことがわからないから。どれだけすべてが羨ましくても、君のことしかわからないから。

そんな人でなしな私を受け入れてくれる、君の存在が好きだ。私のことを否定しない君が。

 君は無口だ。

 君は、少し背が大きくなって、葉が伸びた。もっと太陽の光を多く集めないといけないし、水を差し出す回数も増やさないといけないね。

 ねぇ、私は、禁忌だろうか。

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こんにちは。ながいみゆうです。
将来作家を目指していることもあって、noteに、社会問題を提起する形の作品も創作物として公開していけたらいいなとおもい、ショートショートの小説を。

この作品のテーマは「対物性愛」です。
愛の形を問題提起した作品です。

愛とは何か、考えることがあります。

自分が誰かに抱く感情と、誰かが自分に抱く感情はどれくらい同じなのか、
それをわかる人もジャッジメントする人もいないのに、
なんだか世界には、定められた愛の形が存在するように感じます。

LGBT問題は氷山の一角としてその代表です。

愛や恋はどうあるべきか、結局のところ誰も答えがわからないのです。

誰かを傷つけてまで、他の誰かを愛することは悪だと思う人も、
自分の愛に真っ直ぐに生きていくことが正義だと思う人もいると思います。

その辺に転がっている、定義される愛で誰かを傷つけることは、
なんだかきもちわるい。

そういう想いから生まれた作品です。

もともとは長編として練っていたものを、短編として公開しました。
「私」が恋をする、愛を抱くのは人ではなく、自宅にある観葉植物という
ちょっと特異な設定です。

だけど私は、自宅の観葉植物に恋をすることも、人間の異性に恋をすることも、同じだと思うし、その違いがわからないのです。

愛とはそういうものでいいのかもしれないと、そういう形のものであってほしいと思うのです。

あなたにとって、愛とはどういう形でしょうか。

あなたの目の前にある愛について、考えるきっかけになりますように。

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