【創作短編】ゆるり夢語り(漆)
ー漆ー
ところが、まさに美人の正面顔へ、ズーム・インしようという瞬間、またも前触れなく場面は転換する。
其処は仄暗く、冷たく湿った・・・洞窟のような場所だった。
狭いようで、且つ、だだっ広いような、奥行きの測れない茫洋の地に、僕は立っている。そうしてその場所の空気は、今迄美人から匂っていたのと同じ、甘く華やかで動物的な――麝香のような香気に隈なく満たされていた。
今度は「そこはかとなく」なんてものじゃない、むせかえるほどの香りは湿気と一緒になって、肌にまとわりつき、染み込んでくる。
汗が冷やされて襲ってきた寒気に身震いし、腕を摩ろうとして――その時、僕は自分の身が鼠になっている事に気が付いた。
先程、布の小箱から出て来た美人につるりと呑み込まれた、あの、リアル&アンリアルの鼠くんさ。
つまるところ、今迄の、視聴者的・第三者視点を持った僕という存在は、夢映画の登場人物たるこの鼠に受け継がれ、彼の視点で物を見るようになったというわけだ。
が・・・、僕は僕で、相変わらず「夢を視ている僕」という人間としての自覚を保っている。なのに同時に、ずっと昔から「鼠」であった記憶や経験をも知っていた。
よく、オカルト番組なんかで、前世の記憶を持つ人物とか、多重人格者へのインタビューとか、やっているじゃないか?でも実際、そういったものの真偽や真相は別にして、「そういう感覚」を、他人に言葉で説いて語って、共感を得られるなんていうのは、殆ど嘘だと思っている。
感覚も経験も、そのひと、ひとりにしか分かり得ないものだ。
だから、僕も、ここで詳しく説明を試みるつもりはない。
けれど、この時、そこで僕と鼠とが何らの齟齬なく同一のものであるという事実には、本当に、何の無理もなかったんだ。
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