【創作短編】ゆるり夢語り(陸)
ー陸ー
箱の中から、1人の女が立ち上がる。
水モ滴ル好イヲンナ、と言うが、本当にたったいま湯から上がった所かのように濡れているんだ。ちゃんと着物――町人風の和装をしているのだが、それごと、全身ぬらりと濡れていて、しかも水に溺れたような冷たい悲愴感はなく、薄っすら湯気さえ立って見える。
文字通りの、「絵に描いたような」美人だった。
箱と同じく時代がかった――平安美人と言うのかね、師宣の見返り美人画のような瓜実顔で、立ち姿も丁度それに似ている。
艶々と、やたら神々しく輝いて見えるのは、着物が光っているのか、纏った液体の効果なのか。湯気のせいで姿全体がぼんやりしていて、着物の色柄もはっきりしないが、その襟を抜いて、覗いた雪白のうなじに、まとめ髪からこぼれた幾筋のおくれ毛がこびりついた様など、何とも色っぽい。
その湯気が香るのだろうか、辺りにはそこはかとなく良い香気が立ちこめて――何だろう甘く華やかで、且つ動物的な・・・だが正体を突き止めるには薄すぎる、香りが・・・それまで一切何も感じられず、在る事さえも忘れていた嗅覚を急激に呼び起こす。
映画で言うならいよいよ4DX導入といった所か。
見返り姿の美人は徐に着物の帯を解き始めた。濡れた衣服に手こずる様子もなく、するするすると殆ど音も立てずに着物を脱いで、続いて腰紐を解き、襦袢を脱いで下着も取って――それらは箱の内部に落ちていった――瞬く間に、一糸纏わぬ真っ白な素肌を晒している。
そうして最後に1本簪を抜き取ると、海草のような黒髪をとろりと背中に垂らし、――
最初と同じ、半身こちらに振り向いた、画中の姿勢に戻っていた。
この間、鼠はと言うと、ずっと当初の位置のまま、つまり箱の蓋を開けた格好で静止していた。と言っても石像と化したわけではなく、静穏な呼吸の活動を観察できる。顔は・・・・・・何とも微妙な表情をしていた。
夢のカメラは箱から上、女の姿を映すのと、
箱から下、鼠の姿を映すのとで交互に切り替わる。だが決して両者を同一の画面内に収める事はなかった。故に両者の視線も、互いに見つめ合っているのだか、あらぬ方を向いているのだか判らない。また当然気になるところの、大きさの比較も出来なかった。
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