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尾道に(少しだけ)移住したい理由

この投稿を読んでいただきありがとうございます。

前回の投稿で、尾道に(少しだけ)移住することを宣言しましたが、なぜ尾道に移住したいのかについて、あえて深く書きませんでした。

その理由は2つ。
1つは、記事の中の一文ではまとめきれないこと。
もう1つは、移住するという過程にばかり集中してしまっては本来の目的や想いを見失いそうになるので(自分の性格上、何かに熱中すると次第に視野が狭くなってしまうので)自分の中で一度整理し、今後振り返ったときに道を正してくれるような記事を書きたいと思っていたからです。

もしかしたら、人様に読んでもらえるような内容でないかもしれません。想いが溢れすぎて6,000文字超の大作になってしまいました。

それでも、少しでも興味をもっていただけたら嬉しい限りです。

1.尾道を認識するまで

(1)ぱすてる

尾道の存在を最初に知ったのは、かつて少年マガジンで連載されていた「ぱすてる」というマンガです。

参照 https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000019289

少年時代はとにかくマンガを読んでばかりでした。読んでいたジャンルは多岐に渡り、週刊誌や月刊誌を何から何まで読み漁っていました。

そんな時期に不定期で読んでいた少年マガジンの別冊版で、「ぱすてる」は連載されていました。
尾道が舞台のラブコメディですが、当時はストーリーよりも、絵のタッチや実在する尾道の風景が好きで読んでいました。

ですが当時はそれ以上深入りすることはなく、こんな場所が日本にもあるんだなぁくらいにしか思っていませんでした。

(最近、「ぱすてる」全44巻が電子版で破格でセールしていたので、Kindle版で全巻購入しました。随所に実在する風景が描かれていたり、マンガ全体の雰囲気が尾道そのもののように感じ、久々にいい買い物をした気がします😊)

(2)ポルノグラフィティ

同時期に、姉の影響で「ポルノグラフィティ」を聞くようになりました。
私が記憶している中では、音楽を一番最初に聴くようになったのが「ポルノグラフィティ 」で、今日までの音楽オタクにいたる原点です。

3rdアルバム「雲をも掴む民」2002年発売

特に聴いていた『雲をも掴む民』というアルバムには、ファンの聖地でもある青影トンネルをモチーフにした楽曲『Aokage』があるほど、ポルノグラフィティの楽曲には随所に尾道(というより因島ですね)の地名が出てきます。

ですが「ぱすてる」同様、そういう場所があるんだという程度で、とくに興味は示しませんでした。

(3)空から日本を見てみよう

20歳を過ぎたあたりの頃、テレビでたまたま「空から日本を見てみよう」という番組を見ていました。内容は、タイトルの通りです(笑)

その日は偶然にも尾道(それかしまなみ海道だったような)の回でした。
なんていい景色なんだと感動したのと同時に、かつて読んでいた「ぱすてる」で見た景色であること、「ポルノグラフィティ」のメンバーの故郷であること、全てが結びつきました。

(4)ほかにも

それだけで終わりません。
当時していたゲーム「龍が如く」の舞台が尾道であったこと、知り合いから勧められて当時履いていたスニーカーが備後地方発祥の「スピングルムーブ」だったことなど。
小さなことばかりですが、なにか縁のようなものを感じました。

それでも、そのときは一時の感動で終わっていました。

2.尾道の旅(1回目)

(1)なんとなく、尾道へ

それから数年後の秋、有休消化で長期の休みを取ることになりました。そこでまず、1人で遠くに旅行がしたいと思い立ちました。

私は高校まで部活に明け暮れる日々を過ごし、卒業後はすぐに一般企業に就職したため、まとまった休みがしばらくありませんでした。それまでも旅行といえば、家族で一泊で車で行ける範囲しか経験がなかったので、誰にも気を使わず、思い切り遠くに旅に出ることに憧れていました。
(ちなみに、地元も当時の勤務先も、北陸の某県です)

観光地といえば、京都・鎌倉・北海道などパッと思いつく有名どころは幾多ありますが、あまのじゃくな性格からそれらは除外しました。

そこですぐ、これまでの思い出から真っ先に尾道が浮かびました。なんとなく行ってみたくなったのです。そして、9月のド平日に1泊2日で行くことに決めました。

(2)1日目

あまり事前の情報収集はせずに、東京経由の長い長い新幹線の旅路を経て、尾道駅に着きました。

正直、福山〜尾道までの鈍行列車からの景色や、駅からの景色にはあまり感動しませんでした。今思えば、地元が港町のため海の景色には見慣れていたこと、一人旅にまだ実感が持てなかったこと、尾道駅が改装中で見た目が駅らしくなかったことが要因かなと思っています。

当時の尾道駅は改装中でした

ひとまず、ことりっぷ(当時購入したガイドブックです)に書いてあるとおり、千光寺山のロープウェイに向かいました。
ロープウェイに乗り、山頂へ向かう途中に目に映る光景で、自分の中の何かが弾けたのが分かりました。

千光寺から尾道の街を一望
(ロープウェイでは景色に感動しすぎて写真を撮っていませんでした笑)

「なんていい景色なんだ!」

そこで初めて、自分はこんなに遠くまで、心のどこかで憧れていた街に来たんだという実感が湧きました。また、大袈裟ですがその景色だけで、この街の空気・流れる時間・暮らし・営みを感じたような気がしました。

山頂駅についてから山の上から尾道の景色を堪能し、文学のこみちを通りながら千光寺に向かい、お参りを済ませてから迷路のような坂道をくだっていきました。
その全ての経験が新鮮で、まるで童心に戻ったような感覚でした。

その後は商店街や尾道水道沿いを、目についたお店に寄り道しながら散策しました。ただ当時は、今自分が友人の店を手伝うことなんて全く想像もしていなかったので、面白そうなお店や施設があってもあまり気に留めていませんでした。

その日は駅前のビジネスホテルに宿泊しました。商店街のお好み焼き屋で夕食をいただいた後に夜の街を徘徊し、ホテルのバーで、カウンターから見える夜の尾道水道に見惚れながら美味しいお酒をいただきました。

(3)2日目

初日でよっぽど心が満たされたのか、翌朝はとても良い目覚めだったのを覚えています。ホテルの部屋から、渡船に乗り込んでいく沢山の学生の姿を眺め、これがこの街の日常なんだなとしみじみ。

正直、1日目で行きたいところを制覇してしまったため、2日目の予定は空白でした。

とりあえず千光寺に再度行き、初日に感動した景色を再度堪能し、坂道をくだりながら猫の細道で猫たちを愛でたりしていたら、あっという間に電車の時間が近づいてしまいました。
尾道駅に向かい、駅に隣接の尾道ラーメンのお店で昼食をとり、帰路につきました。

猫の細道にて

帰宅してからは、非常に充実した旅だったと自分でもご満悦の状態でした。しかし、その後もSNSなどで尾道の情報を見るたびに、再び興味が湧いてきたのです。

頭の中では、いずれまた行こう、1週間ぐらいなら住んでみてもいいかなくらいに軽く思っていました。

3.尾道への移住が頭によぎる

(1)現実に直面する

そんな矢先、新型コロナウイルスです。自分の勤務先ではそれほど影響はなかったので、世の中ではやれ休業だのリモートワークだので大変だなと、どこか他人事のように思っていました。

そのような中、リモートワークの普及に伴い、都会の密をさけた地方への移住者が増加していると話題になり始めました。

尾道にもそういった移住者が増えているというメディアの情報を目にするようになり(尾道に関しては以前から移住者が多いようですね)、当時は移住なんて微塵も考えていませんでしたが、内心どこかで、そういった人達への羨ましさを感じていました。

その羨ましさの中身は今でもよく分かりません。ただ、好きな場所に住んで働く人たちが輝いて見えたのだと思います。

それと同時期、私はとにかく仕事で悩んでいました。当時の勤務先に配属になってから、仕事や人間関係がうまくいきません。現在は多少落ち着きましたが、当時はとにかくつらくて、将来への希望も見いだせなくなってしまいました。

転職や地元に帰ることを考えていましたが、心のどこかでずっと、尾道のあの感動した景色が忘れられずにいました。

(2)人生を考える

現在は某政令指定都市に住んでいますが、元々都会に憧れはありません。むしろ、慌ただしい日常を送り続けるなかで、尾道で感じた穏やかな時間の流れに憧れを抱いていたのかもしれません。

SNS等で移住者の情報を見ていると、世の中には色々な生き方がある、もっと視野を広げてもいいのではないか、働く場所にもこだわる必要がないのではないかと次第に思うようになりました。反面、逃げているようにも見えますが。

そんなときにふと思ったのが、

「尾道に住んでみたい」

具体的になにがしたいとかはなにも浮かばず。ただ、そんな想いだけが自分の中に生まれました。

でも、そんな不透明な気持ちは、月日が流れていく中で、起伏を繰り返していきます。仕事を辞めて尾道に行きたいと思う時期と、やはり今の仕事を続けるのが無難だと思う時期と。今振り返っても、辛い日々でした。

4.尾道の旅(2回目)

(1)ふたたび、尾道へ

そんな中、今年の6月に再び長期の休みを取ることになりました。休みが決まった途端、自分の中で尾道に行くことをすぐに決めました。今の自分の想いを確かめたいと。

(2)1日目

そして、今年の6月、2度目の尾道の旅に向かいました。今回も1泊2日です。

今回は尾道駅に着いた瞬間から感動がありました。前回は改装中だった尾道駅がリニューアルされていました。写真では見ていましたが、前回には無かったような充実した施設に観光地の玄関口として生まれ変わったのだなと何だか嬉しく思いました。

シン・尾道駅

前回の旅を思い出しつつ、今回もまずは千光寺山に向かいました。
ロープウェイからは相変わらずの絶景。山頂駅に着いてからは新設された展望台からの景色にしばらく見惚れてながら、念願叶ってまた来ることができた喜びを噛み締めました。

今回の旅では、お店や施設を中心に巡る計画をたてていたので、主に商店街周辺を散策しました。

事前に調べてはいましたが、とにかく個性的なお店が多いこと。また、それらの中には移住者が経営しているお店も多く存在すること。

この街はよそ者を受け入れる広い心、個人のやりたいことを商売として成り立たせる土壌が既に出来ているのだと感じました。

放浪の末に流れ着いた本屋「紙片」

今回宿泊したのは、千光寺近くの築100年越の古民家を改装したゲストハウスです。外見の趣はさることながら、部屋からの景色は格別でした。

今回宿泊した「みはらし亭」

その日も前回同様に商店街で夕食をとり(前回とは別のお好み焼き店です)、少しはずれの銭湯に入ってから宿に戻り、宿のカフェスペースでお酒をいただきました。

(3)2日目

翌朝、早く目が覚めたので、朝食前にすぐ近くの千光寺に行きました。まだだれもいない千光寺、くさり岩に必死こいてよじ登り、目覚めの尾道の景色を眺めました。見慣れた景色のはずなのに、

「何でもいい、逃げでもいい、この街に住んでみたい。」

くさり岩から尾道の街を見下ろす

想いは確かなものになりました。この風景の一部になりたいと思ってしまったのです。

カフェスペースで朝食をいただき出発の準備をして、宿を後にしました。
その後は迷路のような坂道をあえて蛇行しながら下りました。とても清々しい気持ちでした。まるで子供のように駆け降りました。

商店街を散策した後、尾道ラーメンをいただき帰路につきました。(あのとき、おすすめのお店を教えてくれた社長さん、ありがとう!)

5.移住を決意

2回目の旅は、とにかく沢山の人との交流がありました。

朝食時にゲストハウスのオーナーや宿泊客の方と尾道での様々な活動やコミュニティについてお話をしたり、招き猫のお店では店主の方と他愛もない話を沢山しました。

また商店街で、ゲストハウスのオーナーや、宿でお会いしたお客さまと再会するなど、思いがけないような様々な交流がありました(オーナー曰く、商店街ですれ違うのは尾道あるあるだそうで😁)

また、千光寺のおばあちゃんは気さくに話しかけてくれるし、文学のこみちで偶然出会った絵描きのおじさんから絵をいただいたりと、尾道はとにかく人がいいです。語彙力を失ってしまいましたが、優しくもあり心が広いようでもあり。うまく表す言葉が思いつきません…

とくに印象的だったのが、2日目に訪れた招き猫のお店での出来事です。店主の方とお話しする中で、私がふと、尾道に住んでもいいようなこと言ったら、その方がこう言いました。

「いいじゃん来なよ! 尾道はそういう人ばかりだし、どこも求人しているから職はなんとでもなるよ!」

軽い気持ちでおっしゃったのだと思いますが、私はその言葉を聞いたとき、尾道水道から吹き込んできた心地よい風と相まって、力が抜けました。

移住には相当の覚悟がいるものだと勝手に思い込んでいたので、もっと楽に考えていいんだなと。神言をいただいたような気持ちです。

かくして、私の中で尾道に移住する決意ができました。

しかし、移住後の予定がまったく決まりません。ほんとは今すぐに行ってもいいくらいですが、すぐに全てを捨てて丸腰で行く勇気はありませんでした。

6.これからについて

そんな中、以前記事で書いたように、地元の友人からお店の手伝いをしてほしいというお誘いをいただき、熟考した結果、期間限定で尾道に移住することに決めました。経験を積むために洋菓子店や飲食店で働きたいと考えています。

経理・営業・発信などの総合的なスキルを身につけるのはもちろん、地域に愛されるための地に足をつけた商売をする心構えを学びたいと思っています。

そして何より、人との交流を大切にしていきたいです。尾道の方々が、私のような見ず知らずの旅行者に対して気さくに接してくれたように。

過去2回の旅行で分かったのが、尾道は1泊2日じゃ足りないことです。訪れるたびに興味が細部まで湧いていきます。

これまで市街地エリアしか訪れていませんが、尾道がもっと広いことは知っています。向島や因島、その他のエリアにも行ってみたいなあ。

渡船で一瞬だけ向島へ

言い方はよくないですが、移住したからには、飽きるまで尾道を楽しみたいと思っています。

7.私についても少し

私は性格上、頭を常に動かしてバリバリに働くことが得意ではなく、現在のオフィス街での働き詰めの生活に疲弊しています。

キャリアや給料にはさほど興味がなく、やりがいをもって自分らしく働けるような環境に憧れていました。

また、日常生活の無理も重なり、数年前に自律神経失調症を患ってしまいました。快方はしているものの未だに体調が不安定で、正直しんどいです。

自分の体を犠牲にしてまで今の生活を続ける必要性が見出せずにいたことも、今後の人生を考えるきっかけになりました。

働くときは働き、休むときは休み、楽しむときは楽しむ。そんな理想的な人間らしい生活を送れたらどれだけいいことか。

尾道への移住は、私なりの人生の夏休みだと思っています。

8.最後に

移住を予定している時期までに、現在の仕事の精算と、移住後の職や住まい探しを進めていきます。また、11月頃に再び尾道に行き、観光をしつつ情報収集をしてくる予定です。

今の地を離れないといけない寂しさもありつつ、尾道での生活にワクワクしながら日々を過ごしています。

最後に、この記事を見返している自分へ。

移住がゴールじゃないぞ!!


乱筆にて

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