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それでも、東大、行きますか?

世の中はニューノーマルを謳っているのに、教育をめぐる状況はいまだに「旧ノーマル」。まだまだ学歴社会に日本はどっぷり浸かっています。その真っ只中にいた、東大卒のエディター2人が語る本当の学びとは? 学歴信仰にメスを入れる本音対談!

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ウィズコロナの時代において、教育の形も変わっていくだろうと多くの人が予測しています。しかし、もう何十年も変わらず、そしてこの先もなかなか変わることがないであろうと思われるのは、最高学府=東京大学の図式。

子供たちにとってYouTuberがダントツ人気の職業である一方で、公務員や官僚になりたいという声も未だ多く聞かれます。中学受験も高校受験も東大合格率が高い学校が高評価されているという事実は、何年経っても変わりません。

長い人生の中でたった4年の大学生活が、後の人生を左右しています。

なぜ、東大に行くのでしょう。そこで、何を学ぶのでしょう。

かつて東大に通い、今は形而上学の最高学府とも言われる秘教学校・モダンミステリースクールで学ぶ「NEW LIFE」エディター2人。「あの時知りたかったことを、今こそ学んでいる!」と声を揃えます。

東大で何を学べて、何を学べなかったのか。
形而上学で何を学んでいるのか。
本当に知りたかったことは何か。

いわゆるエリート人生からヒーラーへと転身し、「学歴をドブに捨てた」W東大女子が教育について掘り下げるロングクロストーク!

渡辺ようこ(写真左)

東京大学法学部 2000年卒。県立千葉高校出身。
祖父、父、共に東大で、“なんとなく”東大に行くことが当たり前のように感じて育つ。「人の役に立つことを仕事にしたい」という思いや当時の雅子様ブームから、弁護士や外交官に興味がわき、文科一類から法学部へ。司法試験を目指し、ロースクールにも通うが、思いもよらずスピリチュアルな学びに足を突っ込み方向転換。「人を救う」やりがいを、形而上学をもとにした関わりに見出すようになる。

venus mai(写真右)

東京大学文学部美学芸術学科 2004年卒。私立女子学院出身。
受験資料に載っていた「美学」の文字にひと目惚れし、この学問を学べる大学を希望。負けず嫌いの女子が集まる進学校にいたこともあり、“どうせならいちばん難しいところに行きたい”と一浪して東大へ。卒業後は大手出版社でファッション誌編集に携わる。同僚の紹介でミステリースクールに出会って以降、そこで垣間見る世界の深遠さに魅せられ、天職だと思っていた編集者職を手放しヒーラーの道に。

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東大はオタクの行く学校

ようこ(以下、よ):私たちが通っていたのなんて、もう20年以上前だからね。ひと昔、いやふた昔前? 「NEW LIFE」で公開した現役中高生の記事とか読むと、もう全然感覚が新しくてびっくりするよ。それでも、いまだに東大の社会的評価は変わっていないのも事実だよね。

mai(以下、M):テレビでは『東大王』も人気だって言うしね。あんなに記憶力いいのは学生の中でも超特殊な人だと思うけれど。私たちの古い記憶を掘り起こして…どんな授業だったか覚えている?

よ:教養の最初の2年は楽しかったな。法学部に進学することは決まっているけれど、その前に変わったクラスがいっぱいあって、いろいろなジャンルの学びに触れられる。それが本当の「教養」がどうかは別としても、面白かった。アラビア語の授業とか、アラビアンナイトを読み解くとか、結構マニアックなものを選んでいたよ(笑)。

豆知識:東大は最初の2年は全員が駒場キャンパスの教養学部に属する。3年から学部制にかわり、本郷キャンパスでいわゆる専門課程の学びに。教養学部の2年間は、ジャンルレスな授業を受けられるため、内容もバラエティに富み、人気。

M:年間200本映画を見ろ!という映画論とかね。私も絵画とか舞踊とか興味がある分野の授業はワクワクした。絵にもこんな見方があるのか、とか、世界を多角的に見られる感じがしたのね。逆に、ただ文献を読み進めるだけの授業は、モチベーションが上がらなくて本当につまらなかったな。

あとは教授よりゲスト講師の授業が断然面白くて。現代舞踊のダンサーの人が、突然キャンパス内のあちこちで踊り始めて、みんなで走って追いかけたクラスは強烈に覚えてる。今考えると、それって大学じゃなくても学べるかもしれないけれど(笑)。

よ:高校までは、数学・国語・社会…みたいな世界で、明らかに答えがある前提じゃない? いかに正確な答えを出すか、が勉強だったと思う。でも大学は、正解は提示されなくて、自分がどう考えるのかというのを求められるんだよね。だからいろんな人の考えや知識にたくさん触れて、考えるための材料を集めていたっていうイメージ。法学部の試験も全部論文だったしね。

M:そうね、自分の興味と共鳴する、いわゆる「オタク」な知識や見方を増やして深めてっていう過程を繰り返していたんだろうね。

以前、知人に「東大はオタクが行く学校だ」と言われたんだけど、本当にそうだと思うの。教授なんてオタクの極みだし、周りも信じられないぐらいマニアな人ばっかり。「それはアリストテレス的なギャグだね」って爆笑している先輩たちとか、「何言ってるんだろう…?」って全然わからなかった(笑)

法律はつまらない

よ:私は法学部の授業がすごく苦手で。「法律ってなんてつまらないんだろう」って思ったね。用語もわからないし、枠組みもわからないし、もうちんぷんかんぷん。外国語ですか?…みたいな(笑)。アラビアンナイトの方がよっぽど面白かったよ。

疑問もすごく生まれるんだけれど、100人ぐらいの大人数の授業だから、細かく掘り下げることができないんだよね。「疑問に思わずそのまま飲み込む」ということが私はできなくて、それが辛かった。

生まれた時から法律があってそれに従っている一方で、ある国では違法なことが、他の国では合法。すごく不思議なことじゃない? でも法律の勉強は今あるものに対して、どう対処するか、どう解釈するかでしかない。「人間が作った法律とは何か、もしかしたらそれを超えた、もっと普遍的で誰にでも適用されるルールがあるんじゃないか」…そんな話には全然踏み込まなかったよね。

通っていた司法試験予備校でも「こういう問題に対してはこういう答えにしなさい」っていう模範解答テンプレートがずらりと並んでいる。それを覚えて、当てはめて、という勉強で。全然面白くなかった。

でもその模範解答を一言一句丸ごと暗記できちゃう人もいるの。もうスーパーコンピューターみたいな異次元の人。ゲーム感覚なのか、答えをパズルのように分解して組み立てて。本人が考えたかどうかは別として、あるものをすべて記憶したり組み合わせる。そんな人たちが官僚試験や司法試験にどんどん受かっていったね。

優れた問いを立てなさい

M:私の専攻は、芸術とは何か、美とは何かを考える哲学で。周りの子はオペラ歌手とか映画監督とかダンサー志望だったり。国を動かすような仕事がしたい!というより、自分の興味をとにかく探求する研究者とかアーティストタイプが多かったな。簡単に言えば、オタク仲間(笑)。

授業も考えることが仕事!という感じ。だけど、昔の芸術論を2年間ずーっと読み続けるとかは単調すぎて、これがやりたくてここに来たのかな?というのは思っていたね。

唯一楽しかったのが卒論なんだけれど、書く前に「優れた論文を書きたかったら、優れた問いを立てなさい」って教授に言われたのが、すごく印象的で。

自分の中で何が疑問かを炙り出さないと、論文は書けない。「何に疑問を持っているんだろう」「どんなことが引っかかるんだろう」。そうやって自分自身にひたすら問いかけることから始まるんだと。ちなみにその時に私が出した疑問は「私は何にエロティシズムを感じるか?」で、教授に「君の論文は読んでいて恥ずかしい」と言われたんだけど(失笑)。

でも、そもそも優れた問いとは何か?というのは、結局ずーーーっと答えがでないままだった。社会に出たら、そんなこと考えなくても人生は動いていくし、ゆっくり立ち止まって自分に何かを問う時間も余裕もないし。

よ:本当はそういうことを学びたくて、大学に行ったはずなのにね。


学びながら生き方が変わる

M:そうなの。「何かを学びたい!」という強い気持ちを持って、一応研究者にもなりたいな、なんて夢も持って大学に行ったはずだけど、確かな手応えはあまり掴まないままに4年間は終わってしまった。それなりに面白かったけど、何かが足りない、みたいな。

それが、モダンミステリースクールとの出会いで、「学ぶこと」への情熱を取り戻したんだよね。「そうだ、知りたいことがあったんだ!」とリマインドさせられたというか。

もともと、スピリチュアルのスの字も興味がないぐらい、全然詳しくなかったんだけど、たまたま会社の同期がミステリースクールで学んでいて。でも2年間ぐらいずーっとお勧めされていたのを断ってたの。「別に悩みもないし、知りたいことは本を読むし、哲学だって勉強してきたし」。そんな怪しそうな場所で、何かを教えてもらおうなんてこれっぽっちも思わなかった(笑)。

なのに不思議とアデプトプログラムを受ける流れになり。そこで「私は誰か?」というシンプルすぎるぐらいシンプルな、ど直球の質問を目の前に叩きつけられて。「あれ?これが、知りたかったことかも?」って急に思って、そこからジェットコースターに乗ったみたいに形而上学の学びが加速しちゃった。

豆知識:形而上学の入門とも言われるアデプトプログラムは、モダンミステリースクールの学びの登竜門であり、ファーストステップイニシエーションプログラム。古今東西、あらゆる哲学で探求されてきた「自分」というものについて、最も普遍的な答えを出しながら、波動の変容と本質の自分を生きるためのエネルギーも手渡すという、唯一無二のプログラム。

凄いなと思ったのは、今までに触れたことのない世界の見方を学ぶだけじゃなく、それを学ぶたびに仕事も人間関係も、自分の人生そのものが音を立てて変わっていく。波動が変わるたびに、不要なものが剥がれ落ちるというか。まさに人生に錬金術(アルケミー)が起きていると言えばいいのかな。
学びがダイレクトに人生を変える
なんてないじゃない? それが楽しくて夢中になって、気がついたら会社も辞めていたという(笑)。

しかも、そうやって学んでいくうちに、また究極の質問と出会ったんだよね。

「私はだれか」
「私は何か」
「私はどこから来たのか」
「私はどこへ行くのか」
「私の人生の目的は何か」

よ:“カバラ”で出てくる5つの質問ね。

M:そう。それを聞いて、「あ、これが本当の“優れた問い”なのかもしれない」って、あのときの教授の言葉を思い出したの。優れているとか優れていないとかを越えて、「本当に聞くべきことはこれだ」って。

しかも大学だったら、その質問に対して頭で考えて、論理を使って、答えを導く。でもミステリースクールでは、考える前にまず、自分の中からどんな答えが出てくるか、感じてみる。感じてから考える、というのも目からウロコどころか、体中からウロコが落ちるような感覚だったな。

哲学は学問としての形而上学だけれど、いくら学んでも「体得する」ってことはないでしょう? どこまでいっても論理での理解だけ。それが、本物の形而上学は、「エネルギーを感じる」ことと「論理で理解する」ことが同時に行われる。それって凄いなって。

よ:本物の形而上学は何よりもまず、自分がそれを生きて体験して学ぶものだしね。それは圧倒的に大学と違う。というか、どこにもない学びだよね。

豆知識:“カバラ”とは、簡単に言ってしまえば、世界や宇宙の真理を解き明かす究極のシステム。形而上学の真髄とも言われる古代からの叡智で、カバラを知らずして人生の達人になることはない、とも言われます。8000年受け継がれる秘教学校・モダンミステリースクールでは、カバラを論理とエネルギーの両側面から体験する“生きたカバラ”、「ユニバーサル・カバラ」というクラスを開催。どんなクラスなのかは、潜入記事を「NEW  LIFE」で公開予定。どうぞお楽しみに!

東大に行くのは「自由」?「不自由」?

よ:先生の言葉といえば、高校のときに担任の先生から「東大に行ったら自由だぞ。お前みたいに自由気ままな奴には東大に行ってほしいな」って言われたの。よっぽど人の言うことを聞かないと思われていたのかな(笑)。

先生からすると「いちばん上の学校に行けば、いちばん選択肢が増える。だから自由だ」という意味だったみたい。確かに東大に行ったら、社会的な不自由というのはほとんどなくて。学歴が理由で受けられない会社とかないし、国を動かす立場になる人も多いし。でも、じゃあ、それが本当の「自由」なのか?っていうと、全然そうじゃない。

M:テストの点が良ければ評価される、という世界では免罪符になるけれど、むしろ「東大」で困ることもあるからね、恋愛市場とか(笑)。学生時代はたいていの男の人にはドン引きされた黒歴史。

よ:あるね、東大女子に対する色眼鏡(笑)。あとは、社会に出て使えないやつだとわかると、「東大のくせに」って倍返しになったり。

結局は「東大」というものに属していると社会的に動ける条件が増えるけど、それによる足かせも絶対にある。自由なように見えるだけ。よくも悪くも「東大生」という枠から飛び越えることは難しいんだよ。それは「不自由」でもあると思う。

ハマってしまう優等生思考

M:社会の中だけじゃなくて、頭の中にも枠がある気がする。正しいものを選びたい、ってすぐ思っちゃったりしない? 間違っていると思われることが耐えられないし、プライドは山のように高い。いわゆる「優等生思考」の枠に気づかないうちに私たち、どっぷりハマってる。それは確実に「不自由」だよね。

よ:そう、知らないって言いたくないし、努力したらなんでも理解できると思う傾向も強いかも。きちんと論理の枠にあてはめたい、とか。だから、逆に自分が理解している枠の外に全然イケないの。ぶっ飛んだ行動ができなくて収まるのは、今でもよくあることだよね。どうやってもフワちゃんになれない、みたいな。

あとは世間的な常識、いわゆる「真面目」な生き方がいいと思っていたな。いい学校に行って、安定した職業につけば、いい生活ができて安泰…? そこになんの疑問も持たなかった。外交官はかっこいい!って思っていたし。

でも、どれも誰かが作った名誉だったり、誰かが作った価値観をよしとしているだけで、自分の魂をかけてやりたいかというと、全然関係なかったんだよね。与えられた選択肢の中で選ぶなら、これかな?と選んだだけで。

人生を創造する学び

M:ようこさんも私も、校則がほとんどない自由な高校に通っていたけど、自分たち含めて、目指す先は、偏差値の高い大学だったり、社会的地位の高い仕事がほとんど。大学に進学することを疑いもしなかったじゃない?

「自由」と言われたとしても、社会の枠組みの中からしか選んでなかったんだよね。ベルトコンベアの上で、ゴロゴロ転がってもOKかどうかというレベルでの「自由」。

よ:世の中では、選択肢がいくつもあることが自由だと思われがち。でも、選択肢そのものを自分で作ることができなきゃ、自由とは言えないんだと思う。枠組みを超えて、自分で人生を創造していくような学びこそ、本当に人を自由にする学びなんじゃないかな。

M:もし、そのまま司法試験を受けて、法曹界に進んでいたらどうなっていたと思う?

よ:…疲れてたかも(笑)。もしくは真面目に働きすぎて、夜の街か韓流ドラマ三昧でストレス発散、みたいな(笑)。

人の人生に関わる大きな括りの人助けは、弁護士だって絶対そうだしやりがいを感じていたとは思うけれど、今思うのは、結局弁護士みたいな仕事は常に争いがあって、その争いというマイナスをゼロに戻すだけ。場合によってはゼロに戻らない可能性だってある。

つまり、マイナスを減らすことはできるけど、決して人生のプラスを作り出すわけじゃないんだよね。

M:揉め事解決が基本だもんね。

よ:たまたまスピリチュアルの道に出会ったけれど、それは必然だったとも思うのね。形而上学をもとにして人に関わると、人生をプラスの方向に転換する人助けができる。「自分の最大の可能性を引き出して人生を創造していく」ことのお手伝いだから。私にとってはそっちの方がやりがいがあるなって思えたから、今、法律の世界じゃなくてヒーリングの仕事をしているんだなって。

もちろん世の中は法律で動いているから、弁護士は必要なんだけれど。ただ、法律を勉強していたときに呑み込んだ辛さとか納得できなさは、解消されないままだったんじゃないかな。性格は変えられないから、どこかに無理がでたかもね。


ナンバーワンよりオンリーワン

M:ずっと何かを学びたい!って気持ちは持っていて、それを「大学」という選択肢でしか選べなかったんだよね。でも、どんな形だろうと、唯一絶対のものが知りたくて学ぼうとしていたんだと思うの。学ぶものが哲学だとしても、法律だとしても、求めていたのは、絶対的で普遍的なもの。

どんなことがあっても、どんな時代でも、揺るがないものが知りたかった。きっと、一緒に学んでいた友達も、みんな同じことを思っていたんじゃないかな。

ところが、大学の中には答えがなかったし、それを探る方法もわからない。普遍性というものがあまりにも分断されていて。○○という学者が唱える××説とか、△△主義とか、□□という解釈が山のようにあり、自分が気に入ったものを組み合わせるだけ。

ミステリースクールなんて怪しすぎるし、「本当かよ?」ぐらいの疑わしい気持ちもずっと持っていたけれど、不思議と、「これが真理だ」とものすごく腑に落ちる感覚があったんだよね。私がそれについてどう思おうが、受け入れまいが、関係なく存在する真理。それを知っちゃったら、もう学ぶしかない。人生の選択肢を増やすというより、選択肢はない(笑)。

まあ、愛だってなんだって、ナンバーワンよりオンリーワンを探したいから。

よ:あなたにとっては正しいけれど…じゃなくて、すべての人にとって正しくて、すべての人にとって正しくないものがある。それこそが本当の「法」だよね。

形而上学で扱う「真理」や「宇宙の法則」とは、引き寄せのために使うとかじゃなくて、誰もが従うべきもの。法律を学んでいたときに抱えていた「誰にでも普遍的なルールってなんだろう」という疑問は、今ようやく答えが見つかっている。

本当に知りたかったこと

M:うん、今がいちばん学びに対してワクワクしているかも。みんなにも、「知りたいことはここにあったよー!」って言いたいわ(笑)。「法律ってつまらない」とか「なんでずっと文献読むだけなの?」とか、他の人も絶対思っていたはず。

たくさん勉強したら、いいことが起きる。知識を増やして深く考えたら、いつか自由になる。「教育」のベースになっているのって、そんな考えだと思うのね。でも形而上学の根本には、「人間は永遠である」というのがある。

だとしたら、最初から自由で、選択肢は無限。頑張って、選択肢やアイテムを増やして、努力して自由になるんじゃなかった、むしろ「自分は不自由だ」と縛っているものがあって、それをどれだけ捨てられるか、の逆転発想だった。

この「捨てる」というプロセスがすごく難しいんだけれど、いちばん面白くもあって。

しかも、知識だけだと絶対捨てられないけれど、ヒーリングとかイニシエーションに伴う波動の変容があるから、問答無用で捨てる羽目になる(笑)

「イニシエーション」って聞くと、宗教⁈って身構えちゃったけれど、全然そんなものではなかった。むしろ神頼みではとうてい叶わない、自分のコアを取り戻す錬金術(アルケミー)を起こすためのものだったんだよね。

よ:それは、どこでも教えられないし、学ばなかったね。自分が不自由だなんて思いもしなかったから。

考えがいくら深くなっても、土台である自分が何者でどんな状態かをわからないと、全然満たされないし不自由なまま。

子供の頃からなんで人間って生きているんだろうとか、命があるんだろうとか、ずっと疑問だった。人生の目的とかについても考えていたから、もっとそういうことを知る機会があって触れていたら、人生変わっていたと思うな。

いつか、東大がなくなる日

M:今はネットの高校があったり、オンラインで通う海外の大学があったり、世界中の学びに触れられる。20年前には考えられないような世界が広がっているから、大学とか教育の仕組みとか一気に変わることができる、すごい時代だと思うの。

でもそこで、知識だけ学んでいたら、ツールが進化しただけであまり意味がない。だから、「自分が何者か」を知るための形而上学が学びのベーシックになったら、それこそ新時代だよね。

よ:高校までは正解を選べ、大学ではよく考えろと言われるけれど、世界を自分たちが創造するような学びは、どこにもなくて。役に立つとか、面白くなるとかあっても、自分の人生や世界をどうやって創造するか、は誰も教えられないし学ばなかったもんね。

少しでも学校で学ぶとか勉強っていうことに疑問があったら、先に形而上学を学んでみるといいと思う。

M:すごい理想を言えば、大学っていう制度やシステムじゃなくて、コミュニティが学びの場所になる世界だったらいいな。

最初から普遍的なものを学ぶのが当たり前、という意識をみんなが持っているような時代。そうしたら、いつか東大がなくなる日が…

よ:もしかしたら…くるかも?


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YOKO

「NEW LIFE」エディター。通称“YOKO教授”。東大法学部出身の異色のスピリチュアルカウンセラー。弁護士を目指していたはずが、いつの間にやら形而上学の道に進み、ヒーラー・占い師・果ては“浄化”のスペシャリストとしても活躍中。弁護士もヒーラーも「人を救いたい」という思いは変わらない! サバイバルゲーム、カート、ハンドメイド(バッグ、カルトナージュ他)、食べ歩き、海外旅行など、「NEW LIFE」エディターきっての多趣味マニア。インスタはほぼグルメ&旅ログ(現在、旅は自粛中)。理知的な説明がわかりやすいと、タロットリーディングの講師としても人気を博す。自由で王様気質なしし座。
ヒーリングサロン「Moon Temple」主宰。

venus mai

「NEW LIFE」エディトリアルプロデューサー。東京大学文学部美学芸術学科を卒業後、小学館にてファッション誌編集者として12年勤務。スピリチュアルのスの字も興味がなかったのに、ひょんなことから形而上学とミステリースクールに出会い、エリート人生をポイ捨て。相棒neffy maiとともに会社を辞めて、ヒーラー&魔女ユニット“mailove”として独立する。独特の感性で美を追求するロマンティストな側面と、蛇のようにしつこく頑固な根性を持つこだわり派。恋も仕事も猪突猛進。座右の銘は「never ever give up」。愛と美と官能で溢れる世界を創りたい。アートとエンタメ情報に精通する、雑学王のいて座。

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