めーぷる

40代。女。子育て中。 「普通」を目指した結果、とんでもなく恥の多い人生を歩んできまし…

めーぷる

40代。女。子育て中。 「普通」を目指した結果、とんでもなく恥の多い人生を歩んできました。これからは素の自分を愛し、心が豊かになることをしていきたいと思っています。歴史、哲学、心理学、占星術、日本文化、東洋医学が好きです。

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「生きづらい」の連鎖を断ち切りたい

生きづらいと感じるようになったのはいつからだったか。 働き始めてから? 大学で東京に出てから? 地元にいたときから? 部活?女子グループ?習い事? エピソードは沢山あるけど若ければ若いほど深刻度は浅かった気がする。 正直いつからかは分からない。 人はそういうもんだと思ってたから。 他の人も自分と同じようなもんだと思ってたから。 でも今はハッキリ言える。 とっっっても生きづらいです。 まずは「生きづらい」を言語化してくれた人に感謝したい。 なんて的確な言葉なんだろ

    • 拘りは魅力である

      1日のうちに2回もお断りされた日がありました。 1軒目は近所のケーキ屋さんで。 おじいさんが1人で営んでいる地元密着型のお店です。このお店のケーキはシンプルで甘過ぎず、私の弱った胃腸にも優しく沁み渡ります。 デパ地下のフルーツやクリームがふんだんに使われたケーキももちろん好きです。 でも、このお店のほっとする味はもっと好き。 その日は普通のカットケーキを購入しました。ちょっとしたお祝い事があったのでチョコレートのプレートをお願いできないか訊ると、全て手作りのため出来合いの

      • 真っさらではないことを自覚する

        とある政治家の不祥事のニュースを観ていて、反射的に感じたことです。 「この人顔からして…」 口に出していないとはいえ、ひどく失礼な考えだということに気づき、途中で考えること自体をやめました。 私は直感とか自分の感覚というものをとても大事にしています。ですが、残念ながら透視とかそういった特殊能力はありません。 自分の感じたことに対してつっこみポイントは色々ありますが、最も気になったことは、真っさらな状態で見た時、実際本人に会った時、本当に同じことを思えるか?ということで

        • 言わないことを決める

          私はよく口を滑らします。 「言わなきゃよかった」と思ったときには後の祭り。 なかったことにしたいときに限って相手は熱心に深掘りをしてきます。 取り繕おうとすると、ますます話が変な方向に行き、気づけば泥沼です。 言ったが最後。全ては後の祭り。 ここ数日でも何度かやらかしました。 振り返ってみると ・感情が溢れてしまったとき ・話を盛り上げようとしたとき こういうときは滑りがちです。 言葉に感情が乗ると、感情の波に乗って次から次へと言葉が出てきます。それがいわゆる本音とい

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        「生きづらい」の連鎖を断ち切りたい

          丁寧に綴る

          noteは細々と続けています。 連日投稿することもあれば何ヶ月もお休みすることも。 その気ままさは私の人生そのもの。 それが心地いいのです。 自己表現に対しては苦手意識があります。 会話も文章も創作も身体を動かすことも全て。 余計なことをあれこれ考えてしまうのです。 素直に表現できないというのは、周りの反応を気にしすぎるからでしょうか。 noteも書いては消し書いては消しを繰り返します。 考えるのが嫌になって諦めたときにやっと投稿できるのです。 誰に見られるわけでもないの

          丁寧に綴る

          支配の形は一つではない

          私の母はよく人に物をあげます。 誕生日などの特別なタイミングのときではありません。 彼女にとって価値のあるものを彼女の思い立ったタイミングで贈ります。 特に仲良くしたいと思っている人には過剰な頻度で贈ります。 私はもらった人から「お母さんによろしくね」と伝言を頼まれます。「貰ってばかりで申し訳ない」といった時の少し困った顔から私は色んなことを察してしまいます。 母がしているのはいいことのはずです。 でも素直に賞賛できません。 私の器が小さいせいでしょうか。 母の言動に対

          支配の形は一つではない

          大人とは空想上の生き物である

          いつのまにか「中年」に該当する年齢になりました。 思い描いていた中年像は「自立した大人」。 酸いも甘いも経験し、自分の人生でやるべきことが明確になっている、そんなイメージでした。 いざその年齢に辿り着いてみると、いるのは子ども時代からの地続きの自分だけです。 大人の姿などどこにもありません。 相変わらず感情に振り回され、惑う日々を送っています。 変わったのは抱える問題の内容だけで、基本的に問題に対する反応や対処法は変わっていないような気がします。 「三つ子の魂百まで」と

          大人とは空想上の生き物である

          自分を嫌いだったのは自分

          久しぶりに夢をみた 場面は前の職場での会議 一参加者として円卓に座っている 会議は順調に進む 雰囲気も悪くない 参加者もリラックスしている この部屋の中で緊張しているのは私だけ 「いつ当てられるかな」 「場に適した発言ができていただろうか」 「変な人って思われてないかな」 不安と焦りがとめどなく押し寄せる ふと後輩の1人に目が止まる こちらをみている 思ったことが顔に出やすい子なのだろう バカにしたような表情 これまでも何度も見たことある顔 その表情をみて私の不安

          自分を嫌いだったのは自分

          人の振り見て我が振り直せ

          noteってなんて居心地がいいんだろう 読みたいものだけを読んで 書きたいことだけ書く 書くペースも自分次第 他の人と交流することもできるし 交流しなくてもいい 誰のこともジャッジしないし 誰からもジャッジされない まるで自分の部屋みたいだ ホッとする 某SNSを見た後だと特にそう思う あちらの最近の荒れ方は尋常ではない 「いろんな意見があるよね」では済まされないレベルだ いじめ、リンチ、揚げ足取り、マウント、、、 人間の闇の部分が濃縮されている気がする 見

          人の振り見て我が振り直せ

          都知事選見てて思ったこと 私は思想がある人に惹かれる 例えその思想が自分と対極の考えだとしても 思想がない人の方がよっぽど怖い

          都知事選見てて思ったこと 私は思想がある人に惹かれる 例えその思想が自分と対極の考えだとしても 思想がない人の方がよっぽど怖い

          積極的に青くさいこと言っていこうと思う

          積極的に青くさいこと言っていこうと思う

          置かれた場所で咲かなくても大丈夫です

          置かれた場所で咲かなくても大丈夫です

          解放

          やけにリアルな夢をみた 仕事でミスをする夢だった 得意先にも社内の人にも迷惑をかけ 白い目で見られた 全てを投げ出し逃避する私 優しい後輩だけが寄り添ってくれる シチュエーションも登場人物も 現実に起こりそうな設定で 私の行動も感情も よく陥るパターンだった 事前に周りに助けてと言えば防げたミス 恥ずかしい、帰りたい、申し訳ないと ひたすら自責を繰り返す それに囚われて今必要な行動も取れない がっかりする周りの目が異常に怖い またダメさが露呈したと自分にがっかりする そ

          桜の名所の桜も好きだけど 何でもない道端の桜も好き

          桜の名所の桜も好きだけど 何でもない道端の桜も好き

          言語化できない感情

          YouTubeでおすすめに上がってくる動画は しっかりツボをついてくる その精密さには感心するが それと同時に感じる怖さもある 趣味思考を掌握されていること 数珠つなぎに動画を観ることによって 依存させられていること 観ているのではなく観せられている 可能性があること やろうと思えば思想誘導が簡単にできること 挙げればキリがない それが分かっていても YouTubeを卒業する気はないし できる気もしない これすなわち依存である 「危険性も把握している」と主張したく

          言語化できない感情

          母親の表情

          平日に子どもと2人で出かけた 子どもに人気のスポットは 休日ほど混んでないとはいえ 平日でもそこそこ人がいる 当然自分たちのような親子連れがほとんどだ その中で母と子の組み合わせは圧倒的に多い 父と子、祖父母と孫というのは稀だ 女性の社会進出が進んでいるとはいえ やはり偏りはある ここにいる母親たちは 子どもの遊びに付き合って クタクタになりながらも 帰宅してから食事やお風呂の準備をするのだろう 勝手にそんなことを想像して 母親たちに感謝とエールを送る もちろん自分

          母親の表情