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支配の形は一つではない


私の母はよく人に物をあげます。
誕生日などの特別なタイミングのときではありません。
彼女にとって価値のあるものを彼女の思い立ったタイミングで贈ります。
特に仲良くしたいと思っている人には過剰な頻度で贈ります。

私はもらった人から「お母さんによろしくね」と伝言を頼まれます。「貰ってばかりで申し訳ない」といった時の少し困った顔から私は色んなことを察してしまいます。

母がしているのはいいことのはずです。
でも素直に賞賛できません。
私の器が小さいせいでしょうか。

母の言動に対してモヤモヤするということは昔からよくあることでした。
自分の捉え方が悪いのだと気持ちに蓋をすることには慣れたものです。

送りすぎてもご迷惑だよ、と伝えても母は聞く耳を持ちません。
「これはあなたのためにやっているのよ。」
何かあったときに私をサポートしてくれるように関係を築いているというのが彼女の言い分です。

私のため…

最近これが一種の「支配」なのだと気づきました。

母は基本的にいい人だと思います。
でも彼女のする親切の押し売りは暴力に近いのです。

「あの人のために送ってあげる」
「あなたのためにしてる」
彼女のこういった言葉は正しくありません。

自分が送りたいから送ってるのです。
そう言えばいいのに。
なぜそれが言えないのでしょう。

確実に言えることは、私のためにはなっていないということです。

この支配の仕方が秀逸なのは、こちらに罪悪感を植え付けられるというところです。

母が自分の暴力性に気づく日が来ることはないでしょう。
どうマイルドに伝えても「あなたの性格が悪い」「あなたは捻くれている」と返すのでしょう。

少し悲しい気もしますが、しょうがないですね。
自分が彼女の暴力性を認めることができたのは大きな一歩だと思っています。

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