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「被害者意識」からどのように抜け出せばいいのか?

こんにちは、いろさいです。

私たちは無力感や無価値感を抱いて生きていると、「私は何もできない」「私はこの世界にとって何も価値が無い存在だ」「私は無力で、この世界ではただ力のある者に従って生きるしかない」といった考え方に陥ります。この考え方を採用し続けていくと無意識の内に『被害者意識』を強く生み出していくことになります。被害者意識とは、「私はこの世界を生きる上での被害者だ」「私がこんなに生きにくいのはあいつらのせいだ」「家族のせいだ」「社会のせいだ」「国のせいだ」「あいつらのせいで私が被害者になってるんだ」「私を被害者にして許せない」「私に対してこんな酷い仕打ちをしたのだから、その尻ぬぐいをするのは当然のことだ」といった意識のことであり、その根底には自分という存在を蔑ろにしたことへの怒りや苦しみ、悲しみがあります。

「自分の世界は自分が創っている」という視点でこの世界が創られているのならば、このような自分が大事にされない、蔑ろにされる世界を創ったのも自分だ、ということになります。これは結局は「自分は無力だ」「自分は無価値だ」という考え方を自分の中に取り入れてしまったことが大きな原因になっていると指摘します。親にそう言われた、会社からそう言われた、社会からそう言われたとしても、その考え方を採用したのはその人自身です。「うるせえなだまれや」と言ってその考え方を採用せず突っぱねる人たちだって大勢いるのです。「こいつら何言ってんだ?」と完全スルーしている人たちだって沢山います。つまりは、「自分は無力だ」「自分は無価値だ」といった信念を採用してたのは結果自分であり、そのことを認め、その信念を少しずつ手放していく作業が必要となっていきます。

『被害者意識』を強く持っている人は、自分を被害者に追いやったその『加害者』のことが許せません。許せないので被害者意識をなかなか手放すことができないのです。なぜ許せないのかと言うと、こんなに大事な自分を傷つけてひどい目を合わせたことに対する強い怒りがあるからです。それは言わば『自己愛』です。自分のことを本当に愛して大事だと思っていないのであれば、このような感情は湧いてはきません。つまりは「私は自分のことが本当はとても大好きで愛していて」「その大事な自分を蔑ろにされたことについてひどく傷ついている、悔しい、悲しい」といった感情が拗れることで、被害者意識を形成していくことになります。なので、まずはこの自分が悲しい、辛い、苦しいと感じている感情をきちんと見つめてあげることが大事になってきます。多くの人はこの自分の負の感情に向き合いたくなくて、それから逸らすために違うベクトルに意識を向けていってしまいます。負の感情は重くて辛くてしんどくて、出来ることなら向き合いたくない。この負の感情に自分がきちんと向き合えるか自信が無い、この得体のしれない負の感情に飲み込まれてしまうのではないか。このような前人未到の地にでも足を踏み入れるかのような怖さと恐怖があるのです。私たちの社会では感情が蔑ろに扱われる風潮が長いことありましたので、余計に自分の感情とどのように向き合うか分からなくてそれに苦しんでいる人も多く見かけます。この化け物のような感情と永遠に追いかけっこをすることを止め、きちんと向き合う技術を各々が身につけてくことがこれからの時代には必要になってくるのではないかと感じています。


『被害者意識』を抱えて生きていると、その人は攻撃的になります。

「あいつから攻撃を受けている私は被害者だから、被害を受けている身だから、その分誰かを攻撃してもいい。攻撃するのは当然だ」「だって私は無力だから。無価値だから。でも私がそうなったのは親のせいだから」「社会のせいだから」「国のせいだから」「だから、あなたたちが私を傷つけた分、私の無力感や無価値感の尻ぬぐいをするのは当然でしょう?」「傷ついた私を労われよ!」「お前らのせいで私がこのようになったのだから責任とれよ!」

この様な考え方の根底にあるのは、強烈な『怒り』です。

私を無力な存在にしたことへの、怒り。

私を無価値な存在にしたことへの、怒り。

でも、この考え方を作用したのは自分だ、という視点に戻ると、結局は「自分が自分に対して一番怒っている」ということになるのです。そしてそんな自分が許せないのです。絶対に許せない。そのことに関して強く苦しんでいるのが、被害者意識の苦しさの根本です。

『被害者意識』を抱えている人は、本当は誰かを許せなくて苦しんでいるのではなく、自分を許せなくて強烈に苦しんでいる、いわば自傷行為がそこに含まれています。前述しましたが、私たちは本当は自分のことをとても愛しています。大事に思っています。でないと、自分という存在を傷つけられたことに対する怒りや苦しみや悲しみは生まれてきません。自分を愛しているが故に、『被害者意識』という意識を採用し、自分を無力で無価値な存在に追いやった加害者が許せない。そしてその加害者はなんと自分でした、大事な自分を傷つけていたのは自分だった、そのことに向き合うのが辛くてしんどい。このようなジレンマが被害者意識に含まれていると考えます。大好きな自分を傷つける行為をした自分を許せない、認めたくない。だから他に仮想『加害者』を作り上げることで、そこから目を背けることにする。その投影先が親だったり社会だったり、国だったりする、ということになるのです。

私は強烈な『被害者意識』を抱えて生きてきた人間ですから、これらの記事の内容は自分の実体験の元書いています。『被害者意識』を抱えて生きているのはとてもしんどいです。「自分がしんどい思いをして生きているのは~のせいだ」と思うことで、一瞬気を紛らせることは出来ても、結局それで自分の「無力感」や「無価値感」が無くなるわけではないので、また被害者意識に大手を振って誰かに八つ当たりせざるを得なくなります。「私を傷つけた加害者が謝って改心したら私は救われる」このような考えもどこか持っていたと思います。しかし結局は自分がその被害者意識を手放す、という意図を持たなければそれは永遠に続くことになります。加害者の相手がどんなに謝ろうが、それを自分が受け入れる姿勢が無いのであれば被害者意識は継続します。つまりは、外の条件があろうが無かろうが自分が自分を許すことを受け入れるしか、被害者意識を手放す方法は無いのです。

被害者意識を持ち続けることで、私の人生が発展することはありませんでした。「誰かのせい」「お前のせい」、この根底にあるのは「あの人が変われば私は幸せになれる、救われる」といった他人軸の姿勢です。他人のする行為によって自分の人生や生き方が決まるという姿勢。それは大変不自由で、さらなる私の「無力感」や「無価値感」を刺激することになりました。どうにもならなく、人生に行き詰ってしまった時に、「もう自分の生き方を変えるしかない」という覚悟にぶち当たり、それから自分の生き方や考え方を少しずつ変えていく方向に自分をシフトすることが出来るようになりました。つまりは『被害者意識』をこれ以上持ち続けることができなくなるまでに人生が行き詰ってしまったということです。自分はどこか『被害者意識』を抱えていると感じる人は、自分の中に拗ねた感情があることに気がついて寄り添ってあげてみてください。自分は無力だと思われている自分、自分には価値が無いと思われている自分、自分はこの世界では何もできない自分、こうやってとらえていることに、無意識下で自分自身はひどく傷ついています。そしてその考え方を採用しているのは自分です。まずはこの傷ついた内なる自分の存在に気がづき、認めてあげてください。意識を当てるというのはそこに生命が宿るということを意味します。認めてもらえなかった、傷ついた自分に光が当たる時、次に何を自分がすべきか自ずとわかってくるようになると思います。

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