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小山清『落穂拾い』と必要とされること

 よく小説を読んでいる。

 読むものは歴史小説や時代小説といったものがほとんど。気晴らしに純文学やエンタメ小説を読んでいる感じだ。

 この前小山清の『落穂拾い』という作品を読んだ。

 小山清について説明しておくが、彼は戦時から戦後にかけて活躍した小説家。主に私小説を書いていた。

 私小説とは、主に自分の生活を題材に語った日本独自の文学のこと。有名どころでは田山花袋や太宰治、最近では西村賢太がよく知られている。

 また、小山は太宰治の門人であったことでもよく知られている。彼の著作『メフィスト』の中で、疎開中で留守となった太宰邸の管理を任されていることが何よりの証左だ。留守を任されるということは、数いる門人たちの中でも、とりわけ太宰からの信用が厚かったのだろう。

 今回読んだ『落穂拾い』も、そんな私小説の一つだ。

 内容は、小山が好きだった人たちや心の内面について語ったもの。好きな人というのは、近所の人や町中で出会った人だったり、友人だったりする。例を挙げると、近所に住む青年や行きつけの芋屋のおばあちゃん、夕張の炭鉱で働いていたときの友人F君だ。

 特に友人のF君については、「若しもF君が女だったら、僕はお嫁にもらったかも知れない。」とべた褒めしている。

 個人的に気に入っている話は、新制高校(現在の教育制度においての高校)を出たあとに書店を営んでいる女の人の話。

 武蔵野市の片隅で寂しい毎日を送っている小山。そんな小山には、行きつけの書店があった。その書店は、若い女性が経営している書店。

 この書店に来ると、小山は店主の若い女性と、一言二言会話をする。営業妨害にならない程度に。

 二人は拙いやり取りの中で、お互いを知ってゆく。小山が小説家であること、女性が若くして書店を営んでいる理由など。恋愛関係までは至らなかったが、ある程度気心の知れた仲にはなれた。

 そしてある日、女性から応援の気持ちを込めて、小山にプレゼントを送った。それを包んであった新聞紙には、フランスの画家ミレーの『落ち穂拾い』が載っていたというもの。

 新聞紙に載っていたミレーの『落穂拾い』は、小山の好きな人たちを象徴しているように私は感じる。

 ミレーの『落穂拾い』は農作業の一コマを描いた作品。労働の様子を描いた作品だ。そして作中で描かれているのは、過ぎてゆく日々を一生懸命に生きている人たち。ある人は労働や勉強に、またある人は家庭生活といった具合に。その中には、主人公であり作者でもある小山自身も含まれている。

 作中での『落穂拾い』の絵は、一生懸命に日々の生活を送っている人の象徴なのだ。


   ※


『落穂拾い』を読んで、私は共感できる節がいくつもあった。

 特に共感できたのが、優しい芋屋のおばあさんの話をする前の出だしと、その終わりにかけてだ。

 最初は、

 僕は一日中誰とも言葉を交さずにしまうことがある。日が暮れると、なんにもしないくせに僕は疲れている。一日だけのエネルギーがやはりつかい果されるのだろう。額に箍たがを締められたような気分で、そしてふと気がつく。ああ、きょうも誰とも口をきかなかったと。これはよくない。きっと僕は浮腫むくんだような顔をしているに違いない。誰とでもいい。そしてふたこと、みことでいいのだ。たとえばお天気の話などでも。それはほんの一寸した精神の排泄作用に属することなのだから。
小山清『落穂拾い』青空文庫

 という部分。

 私は電話がかかってきたり、誰かと会う予定がなかったりするときは、大体誰とも話さない。一人が好きな変わり者なので、本を読んだり、スマホをいじったりしているうちに今日が終わる。けれども、たまに、

「誰かと話したいな」

 と思ってしまうことがよくある。作中で小山が言っているように、誰かと話すことは「精神の排泄作用」になるからだ。

 誰かと話すと楽しい気持ちになれるし、不安も少しは和らぐ。私のように、すでに何かしらの事情で精神が壊れている人間にとってはなおさらだ。だから、彼氏に依存するメンヘラ彼女の気持ちも、少しはわかる気がする。

 次は、小山の心情を説明した部分の最後の部分である、

その人のためになにかの役に立つということを抜きにして、僕達がお互いに必要とし合う間柄になれたなら、どんなにいいことだろう。
小山清『落穂拾い』青空文庫

 という一文。

 損得勘定抜きで、お互いがお互いを必要とし合うことができたら、どれだけ幸せだろうか。

 大方の人間関係というものには、どうしても損得というものが付きまとう。それは友達や家族関係でも変わらない。会社やビジネス関係ともなれば言うまでもない。けれども、誰かと損得勘定を考えずに互いを必要とし合える関係になれたなら、どれだけいいだろうか。

 そんな誰かが欲しいな、と思うことが今でもよくある。だが、人間不信で気の短い性分の私にはとても難易度が高い。


   ※


 全体的に読んでみた感想としては、小山の孤独とそれゆえに持つ人への興味を感じられた。孤独でかつ強い人への興味がなければ、近所の人や古本屋を経営する若い女性との交友録を、あそこまで卓越した観察眼で書けない。それに、読んでいるとどこか温かい気持ちになれる優しい物語だった。

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