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【エッセイ】1を積み上げること、他人を頼ること

「血のにじむような努力」

 こんな慣用句がある。人の想像を絶する努力のことだ。少年漫画の主人公の修行回や、プロスポーツ選手の練習を思い浮かべてみるとわかりやすい。

 心身が悲鳴を上げている中でも、弱音を吐くことなく、目標のためにただひたすら努力を続ける。そして宿敵を倒したり、試合で大金星を取ったりするさまは、とても感動的だ。

 だが、私のような怠け者や凡人に「血のにじむような努力」ができるのかと言えば、できない。それ以前に人並み外れた執念や根性、情熱を持てるように心身ができていない。だから、血のにじむような努力をしたところで、途中で心身が悲鳴を上げて終わってしまう。そしてやる気を喪失するのが関の山だろう。また、一つのことに全力を尽くそうとしても、時間と金という問題がネックになってくる。何かをするにはどうしても時間と資金が必要だからだ。

 意思も弱く、時間も金もない。そんな怠け者や凡人が、少しでも執念や根性を持ち合わせた人間に近づける方法がある。1を積み上げること、そして誰かを頼ることだ。

 1を積み上げるというのは、自分にできること、あるいはできそうなことをやってゆくこと。たとえば、

「1日10回は腕立て伏せをする」

「1日10分は本を読む」

 といった、生活に支障が出ないほどの、ほんの些細なことでいい。それを1ヶ月、1年とやっていけば、それが習慣になり、自分の一部になってゆく。そして、執念や根性を持ち合わせた人間ほどではないが、一欠片の素質を得ることができる。慣れてきたら回数を少しずつ増やす。それだけでいい。

 ただし、そのためだけに無理をしたり、何日も怠ったりしてはいけない。無理をすると心身を壊してしまうし、怠けると続かない。特に心身を壊してしまっては元も子もない。生活に必要なことにも支障が出るようになるし、やる気も途中で喪失してしまうからだ。

 1を積み上げるコツは、基本的には少しの努力をして、時々肩の力を抜くのが調度いい。

 誰かを頼ることは、無理だと思ったら、迷わず誰かに助けを求めるということ。

 万物の霊長である人間。だが、全知全能ではないので、どうしてもできないことや苦手なことはある。だからこそ、他人を上手く頼る必要があるのだ。

 できないことは得意な誰かの助けを借りたり、手伝ってもらったりする。わからないことは聞く。それだけでもいい。そのために自分以外の人間が存在するのだから。もちろん、他人から見た他者である自分もその一人だ。

 ただ、一つだけ付け加えるとすれば、自分の持っている得意なもので人を助けておく必要がある。そうしておく方が、何もしないよりも助けてもらえる確率が少し上がるからだ。加えて人に教えることで、自分への勉強にもなるので一石二鳥だ。

 だから、誰かに助けてもらうことは悪ではない。むしろ、できないのに誰にも頼らないで失敗する方が損失が大きい。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」だからだ。


 このことを話すと必ず、

「こんなものは努力ではない!」

 と憤る人間が出てくる。そんな人間が出てきたときは、

「貴方の今があるのは、1つ1つの積み重ねや誰かの力があったからですよ」

 と言い返してやればいい。それで黙るのならばいが、そこで自分の努力自慢してきたら無視しよう。否定と自慢しかしない時点で攻撃する気満々なので、相手にするだけ無駄だ。

 1を積み上げ、時々誰かの助けを借りながら上手くやってゆく。難しいかもしれないが、ほんの少しの力を振り絞ってやってみよう。道のりは長いかもしれないが、歩んでいこう。どんな形であれ、ずっと積み上げてきた1が100や1000になる日が必ず来るのだから。

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