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【私小説】同人誌即売会の下見と私の居場所

 6月中旬の日曜日の早朝、私は自転車を出した。

 まだ朝焼けの淡いオレンジを残した東の空に浮かぶ朝日は、青々とした田んぼと藍色の山並みを照らしている。

 その中にある農道を、私はゆったりとした速度で走った。

 初夏の早朝の自転車移動はいい。暑くないからシャツが汗でベタつかないし、何より吹き抜ける風が心地いい。

 当時は朝7時以降に通学していた。これぐらいの時間帯になると、日射しがきつくなるうえに暑くなる。学校に着いたときには、着ていたワイシャツが濡れ、ベタ付くのが不快だった。おまけに下着も透けて見えるから、たまったものではない。

「気持ちいい~!!」

 そう心の中で叫びながら、農道の中を駆け抜けた。川沿いの道へと出た。そこからは土手沿いに走り、目的地を目指した。


※画像はイメージです。作中の場所との関係は一切ございません。

 目的地に着いたのは午前8時くらいだった。

 自転車で農道を走っていたときまでオレンジ色だった空は、水色に変わっていた。同時に、朝よりも日射しと暑さは厳しくなっている。

 額に汗がにじむ。持ってきたタオルと着ていた服は、吸収した汗の水分で重くなっている。

 まだかなり時間があるし、外にいても暑いだけ。熱中症で倒れても迷惑なので、先に会場のあるビルへ行って、中にある施設を巡ることにした。書店や展望台もあって、2、3時間というそこそこ長い暇はすぐに潰せた。

 お昼はビルの中にあったレストランで、パスタを食べた。少し高かったけれども、麺にほどよいコシがあって、食べごたえがあった。やはり値段が少しでも高いと、こうも違うものなのか。

 会計を済ませたあと、待ち合わせのため、会場前のロビーへ向かった。

 ガラス張りの壁からは、ゆったり海へと流れる川とビル、そしてコバルトブルーの夏空が見えた。

(きれいだな……)

 と思いながら窓の外を眺めていると、ポケットにしまっていたスマホから通知音が鳴った。友達の三浦くんからだった。彼のチャットには、

「今ビルの目の前にいる」

 とあった。

「あ、行かないと」

 通知を見た私は、三浦くんのチャットに、今行くから、というメッセージを送った。そして急ぎ足で三浦くんの元へ向かう。


 三浦くんと合流した。会場まで私は案内した。

 即売会の会場は、ホールのような場所だった。ホールと言っても、コンサートをするそれではなく、公民館にあるものを大きくした感じ。もっとわかりやすく言えば、かなり大きめの体育館みたいな空間だろうか。

 三浦くんと一緒に、私は会場内を回った。

 そのときに、悪魔召喚の魔術や地獄についての同人誌を書いていたオジサンのブースに立ち寄った。このオジサンの仮名を、魔術オジサンとしておこう。宗教オジサンとか民俗学オジサンと呼ぶのが正確なのだろうが。

 ここで少しの間、私と三浦くんは魔術オジサンと数十分ほど話した。

 スペースに置いてあった冊子を手に取って読んでみる。地獄に関してのものだった。仏教の八大地獄からキリスト教における煉獄まで、図解入りでわかりやすく説明されている。

「あ、八大地獄って聞いたことがありますね。確か、等活地獄、黒縄地獄、焦熱地獄、無間地獄みたいにあるそうで」

 話題づくりがてら、私は質問してみた。

「君よく知ってるね。ちなみに小さい地獄の種類は知ってるかな?」

「確か、136、だっけな?」

「正解」

 満足げに魔術オジサンは答えてくれた。同じ興味似たような知識を持った同志が来てくれたことがうれしかったのだろう。正直私もうれしい。

 私が嬉しさに浸っているとき、三浦くんは、

「どこから来てますか?」

 と聞いた。

 魔術オジサンは、山梨、と答えた。意外と近くに住んでいるようだ。

「ほうほう」

「魔術や宗教については趣味で調べていてね、こういう同人誌頒布会で売っているんだよ」

「へぇ」

 感慨深そうに魔術オジサンの話を聞く三浦くん。

 魔術オジサンの話を聞きながら財布を取り出した私は、

「買います」

 と言った。

「じゃあ、300円ね」

「はい」

 財布から300円を取り出し、私は魔術オジサンの売っている冊子を買った。買ったのは地獄の方だった。悪魔召喚の方は、またいつか魔術オジサンのブースへ遊びに買うことにした。

 ちなみにこの即売会以来、魔術オジサンとは会っていない。今ごろ、どこで何をしているのだろうか。


 魔術オジサンのブースを去ったあと、2人は別行動をすることにした。

 別行動中、私は18禁の漫画を描いている人のブースへ立ち寄った。やっぱり同人誌即売会と言えば、18禁の漫画が目玉だ。ちなみにその人が描いていたジャンルが、エロかグロかと言われたら前者だ。

 棚を眺めていると、

「お、かわいい子が来た」

 と話しかけられた。

 話しかけてきたのは、私と同じか、少し上の20代前半ぐらいの女性だった。ショートカットが、小さく白い顔とオレンジのTシャツを着た小柄な身体によく似合う人だった。仮称を鞆さん、いや、可愛らしい美少年のような出で立ちだから鞆くんと呼ぶことにしよう。

「あ、どうもです」

 そう言って、私は頭をぺこりと下げた。

「君いくつ?」

「あ、17です」

 サバを読むことなく、正直に年齢を答えた。本音を言えば、18です、と言って薄い本を買いたかった。これでも思春期真っ盛りの立派な男子。こういうものに関心がないわけではない。けれども、嘘をついてはこちらの信用に関わるという良心の呵責から、正直に年齢を答えることにした感じ。

「若いねぇ。もしかして高校生?」

「ええ」

「ボク、いや、わたしは鞆という24歳のメンヘラ、いや、鞆いう者でございやす」

 照れくさそうに鞆くんは答えた。少したどたどしい感じが可愛らしくて好感が持てた。

 同時におもしろい人だな、と私は思った。

 個性的な人とは、なぜか縁がある。

 この時点で、私も「個性的な人」だった。なので、そうした人が端から見て、

(あ、こいつ仲間だな)

 とわかるオーラを無意識のうちに出しているのだろう。スタンド使いが惹かれ合うように、ワノ国が大物海賊を引き付けるように。

「あ、そういえば君は17歳か。じゃあ、買えないねー」

 残念そうな目つきで、鞆くんは言った。

 必死になって作った自分が作った冊子が売れなかったときは、辛い。

「誕生日まであと、5ヶ月と少しなんですけどね」

「そうなのかー。残念だ」

「はい」

 そう私が答えたときに、鞆くんは私の手を握り、

「今度縁があったときは買っておくれよ。それと、親には見つからないように、うまい具合に隠しておくんだぞー」

 と訓話じみた口調で言った。

 私が、は、はい、と答えようとしたところへ、

「やあ、佐竹くん」

 三浦くんがやってきた。

 同伴者に恥ずかしいところを見られた鞆くんは、

「この子、ツレ?」

 とおそるおそる聞いてきた。

 鞆くんの質問に、私は、ええ、とうなずくと、

「変なところ見せてしまってごめんなさーい!」

 と白い顔を紅潮させながら自分の席へ着いてしまった。

 始めから終わりまで、鞆くんは面白い人だった。魔術オジサン同様、彼女ともずっと会っていない。


 その後は三浦くんと即売会の会場を巡った。多田くんへのお土産として、ショップで漫画の原稿用紙を買って、会場を出た。

 三浦くんとは会場前で別れ、駐輪場に停めた自転車に乗って帰った。

 川沿いの道を走っているとき、ふいにむなしさを感じた私は、

「こんなに初対面の人と話したの、久しぶりだな」

 と小さな声でつぶやいた。

 初めて出会う人たちと話して、楽しい、と感じたのは久しぶりだった。

 普段私は、リアルで自分と関係ない人とは話さない。仮に話したとしても、挨拶や聞かれたことについて返すといった、最低限の意志疎通しかしない。

 自分から何か話しかけて、相手から、

(何この人?)

 と思われるのが怖いからだ。

 同時に、明日学校か、と考えると、物凄い憂鬱な感じになって、心と体が重くなる。疲労と心労が重なり、ペダルを漕ぐ足取りもかなり鈍くなってゆく。

 学校は嫌だ。好奇心で私に話しかけてくる人や、仲のいい知り合いがいても、心の中ではひとりぼっち。おまけに担任は、私に対して高圧的な態度を取ってくる。正直行きたくないし、辞めてしまいたい。

「明日から学校か。しにたいな」

 そうつぶやいて、自転車のペダルを踏んだ。

 夕日の橙色の光が、堤防の向こう側にある小さな街を照らす。夕焼けに照らされた町並みは、オレンジと黒の切ないコントラストに彩られていた。

 最高の日曜日が終わって、また最悪な月曜日が始まる。もう厭だ。発狂してしまいそうになる。

 泣き出したい、発狂したいという気持ちを抑えつつ、私はペダルを漕いで家に帰った。

 家路の途中で私は気づいた。私の居場所は、家でも学校でもないどこかだったと。そして、楽しいと思えたのなら、そこが自分の心の拠り所になるのだと。


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