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【歴史小説】第38話 鵺退治①─光る雲の獣─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』


   1


 真っ赤な夕焼け空。夕日が放つ、まぶしい紅色の光で翳る京都の街を、ツクツクボウシの鳴き声がこだまする。

 洛中の東、山科に近いところにある鬱蒼とした森の中に、小さな屋敷があった。

 そこにいた道満は、式神たちに命じ、庭に大きな穴を掘らせていた。

 穴の側には、数百匹の毒蛇が入った壺、籠に入った狸や猿数十匹、そして、金あるいは宋から仕入れたのだろう大きな虎が、3匹ほどいる。

「道満、来たぞ」

 頼長がやってきた。

「あら左府殿いいところにいらしわ。見てごらんなさい、あの穴を」

 道満は目の前にある大きな穴を指差した。

「こんなに大きな穴を掘ってどうするつもりだ?」

「貴方が依頼していた、呪詛をするのよ。重仁殿下を皇位に就かせるためにね」

「そうか」

「ええ」

 穴、そして周辺に動物がいるのを見た頼長は、

「蟲毒(こどく)を作るのか」

 と答えた。

 蟲毒とは、壺に蛇や蛙などの爬虫類や両生類、ムカデなどの毒虫を入れて作る、究極の呪であり毒。容器の中で毒虫を戦わせる。最後に生き残った一匹を、呪いたい相手に飲ませたり、呪術に使ったりして、相手を殺す。

「ご名答。さすがは物知りだわね」

「だが、蟲毒は大罪になるぞ?」

「貴方は『悪左府』と呼ばれているだけ、法律には厳しいわね。だけど、今の時勢、律令を守る遵法意識なんて、必要かしら? 本来であれば、荘園や自力救済も大罪よ。だけど、今のような乱れた治世では、誰も律令なんて守ろうとしない。『やったもの勝ち』の世の中だもの。こんな世の中で生きてる貴方は、真面目で頑固過ぎるのよ。だから、一院や平家、絶縁した兄に先を越される」

 黒い狩衣の懐から鍵を取り出した道満は、鍵を取り出し、取り付けていた南京錠を開ける。

 猿が籠から勢いよく飛び出してきた。

 出てきた猿の尻尾を道満は掴み、穴の中へと放り投げた。

 落とされた猿は、這い上がろうと必死になっているが、式神に棒で突かれるので、登ることができない。

 道満は南京錠の鍵を頼長に渡し、

「さあ、あなたもやるのよ」

 と命じた。

「なぜ左大臣である私がやらねばならぬ」

 頼長は不満げに言う。

「あら、言い出したのはあなたじゃない」

「それを言われたら──」

 何も言い返せない。

「手伝ったら、呪詛の対価を安くしてあげるから」

「仕方ない」

 渋々ながらも、頼長は蟲毒づくりを手伝う。全ては重仁親王即位のために。


   2


 深夜2時ごろ。草木も眠る丑三つ時という言葉があるように、月と星の明りに照らされた平安京は、不気味なほどに静まり返っている。

 蚊帳の奥で眠っていた近衛帝は、目を覚ました。

 尿意を感じたので、厠へと向かい、用を済ませる。

 用を済ませ、再び寝床へと着こうとしたとき、

「ひぃ、ひょお」

 という人のうめき声にも似た鳴き声が聞こえた。

(何だ、あの鳴き声は。鳥のそれにしては、あまりにも不気味過ぎる)

 近衛帝は戸を開けて、鳴き声の主がどのようなものなのか確かめようとする。

 戸を開けてみたが、近衛帝の視線の先には、葉を青々と茂らせた右近の桜と左近の橘、そして漆黒の空に浮かぶ満点の星空が広がっていた。

(良かった。ただの鳥の鳴き声か)

 近衛帝は吐息を漏らし、寝所へ行こうとしたとき、
「ひぃ、ひょお……。ひぃ、ひょお……」

 黒い靄の中に光る目を持った何者かがこちらを見つめていた。

「ぎゃあぁあぁあぁッ!!」

 近衛帝はこの場で倒れ込み、泡を吹いて気絶してしまった。


    3


 この一件以来、近衛帝は毎夜聞こえる人のうめき声にも似た、不気味な物の怪の鳴き声に悩まされることになった。そのストレスや睡眠不足も相まってか、風邪をこじらせ、寝所に臥せりがちに。

 近衛帝の従者である源政頼からこのことを聞いた鳥羽院は、大勢の神官や高僧たちを内裏に呼び、病気平癒の祈祷を行った。だが、効果はなく、病状は日に日に悪化していく一方。

 そこで以前、鳥羽院に近づいた玉藻前という美しい女官が、九尾の狐であることを暴いた陰陽師安倍泰親を招き、近衛帝を苦しめる鳴き声の正体を暴こうとした。

「まずは、帝のお話をお聞きしたいと思います。夜中に鳴き声が聞こえると仰っていましたね?」

 泰親は簾越しに近衛帝のカウンセリングを始める。

「はい」

「何時ぐらいにその鳴き声は聞こえるのですか?」

 今にも泣きそうな声色で近衛帝は答える。

「大体丑の刻(今の午前二時~四時ぐらい)に聞こえます」

「ふむふむ」

 相槌を打ちながら、泰親は調書を書く。

「どのような鳴き声ですか?」

「ひぃ、ひょぉ、と人のうめき声のように聞こえます」

「なるほど。他に何かございましたら、どうぞ」

「その鳴き声が聞こえる時間帯になると、いつも目が覚めるんです。鳴き声が止んで、再び布団の中に入ろうとするのですが、またあの鳴き声がしたら、と考えると──」

 眠れなくなるんです、と近衛帝は言おうとしたところで、咳が出た。咳というよりは、息切れと言った方が近いかもしれない。

「なるほど。帝のお体の調子がよろしくないので、今日はここまでにします」

 泰親は近衛帝の御前を去る。


 この前中断した話の続きをするため、泰親は日を改めて近衛帝の御所を訪れた。

 物の怪の鳴き声で眠れないせいなのだろう。近衛帝の顔色は以前よりもやつれ、顔色も死人のように青白くなっているのが簾越しにわかる。

「話を聞くことが遅れてしまい、申し訳ございません」

 泰親は頭を下げた。

「気にするでない。僕は子供のころから体が弱いから」

 生気のない顔に、近衛帝は健気な笑顔を浮かべる。

「そうなのですね」

「はい」

「帝、お願いがあります」

「何だ。言うてみよ」

「今日、御所に泊めてもらえることはできませんでしょうか?」

 泰親は宿直を申し出た。

「陰陽師の分際で、何を厚かましいことを言う!」

 近衛帝の近くにいた頼長は猛反対する。

「構わない。泰親は僕の病気をよくするために、ここまで僕の苦しみを聞いてくれているんだ。だからお願い、宿直を許してあげて」

「そうか」

(さあ、どうする)

 地位と呪詛の成功。頼長はこの2つを天秤にかけた。

 ここで近衛帝の頼みを断れば、怪しまれると同時に、自分の地位が危うくなる。だが、ここで受け入れてしまえば呪詛は確実に失敗する。

(どちらを取っても、究極の選択であることには変わりはないか。仕方がない。呪詛の成功を捨てるか)

 頼長は地位を優先した。帝に近い地位だからこそ、こうして話すことができる。地位を失ってしまえば、帝を殺すことは叶わなくなってしまう。

「仕方ない」

 泰親の宿直を認めた頼長は、近衛帝のいる部屋を退出した。


   4


 丑三つ時。

 真夜中の京の街は、人々と共に寝床についたかのように静かで、風の音一つすら聞こえない。

 泰親は眠気に耐え、近衛帝を苦しめる物怪がどんなものなのかを確かめるため、徹夜で御所の廊下から見える夜空を見張っていた。

 紺色の空にたくさんの星々が煌々と光り、闇夜を照らす。

 まだ物の怪が現れなかったため、泰親は星空を眺めていた。

「今日の星空も美しい」

 ひとりごとをつぶやき、大きなあくびをしたときに、東三条の方角から、光る雲が出てくるのが見えた。

「何だ。あれは?」

 雲は御所の方へ向かってくる。

「ほう。あれが物怪の正体か。狐か? それとも、狸の類いかよくわからない。少し確かめてみるか」

 泰親は懐から、丸や線が描かれ、真ん中に「急急如律令」と書かれた呪符を取り出し、右手で刀印を結んで呪文を唱える。呪文を唱え終わると、呪符はまたたく間に白いミミズクの形へと変化した。

「式神(しき)よ、行って来!」

 ミミズクの式神は闇の中を飛び立ち、光る雲を追いかける。

 しばらくした後、式神は鋭い爪で引っかかれた傷を作り、主人泰親の元へ帰ってきた。

 ミミズクの姿から、式神は本来の姿である呪符へ戻る。

「ほほう。やつは、鋭い爪を持っているようだな」

 近衛帝を苦しめる物の怪の正体が、少しわかってきた。


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