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【歴史小説】第15話 広い世界②─宋の人─(『ひとへに風の前の塵に同じ・起』)


   1


 市場巡りが終わったあと、一行は港へと戻った。

「父上、これから帰るのですか?」

 家盛は聞いた。

 忠盛は首を横に振って、

「伝えたいことは、まだある」

 意味深な言葉を残した。

「伝えたいこととは?」

「まあ、待っていればわかる」

「はい」

 何がなんだかわからないまま、一行はしばらく待ち続ける。

 蒼い空と海の境目を、カモメは優雅に飛び回り、餌を探している。

 そこへ、大きなジャンク船がこちらへ向かってくるのが見えた。

 大型ジャンク船は港へ止まる。

 中からは白い唐服を着、頭に冠をつけたでっぷり太った男が、数人の召使いと共に忠盛の前へとやってきた。

 清盛は通憲の耳に手を当てて、囁く。

「通憲殿」

「どうしましたかな?」

「あれが噂に聞く宋人というものでしょうか?」
「左様」

 通憲はうなずく。

「俺が考えていたものとは、だいぶ違うように感じるのだが?」

「宋人と我ら本朝の者たちは、見た目はさして大差はないが、服装は違う。それも、唐の時代から大きく間が空いているから、なおさらだ」

「ふむふむ。よく知ってるな」

「これでも私は学者のはしくれだ。これぐらい知っていて、当然のこと」

 通憲は胸を張り、堂々とした口調で言った。


   2


『ようこそ、日本国へ』

 忠盛は中国語でそう言い、おじぎをする。

『こちらこそお初にお目にかかります』

 宋人はおじぎをする。

 そこから忠盛と宋人の間で、中国語でのやり取りが始まった。

 日本の言葉と違ううえ、甲高い声で話すので何を言っているのかはっきりわからない。ただ、宋人の表情がほころんでいることから、不快な思いをしていないことは確かだ。

「宋国の者は、みんなあのような話し方をするでしょうか?」

 清盛はまた通憲に聞いた。

 通憲は清盛の持った疑問に対し、丁寧に答える。

「そのとおり。文字も違えば話す言葉も違う。君は子供のころに、漢文を読んだことはあるだろう?」

「まあ、一通りは」

「あと、『万葉集』を読んだこともあるかね?」

「まあ」

 清盛は軽く首を上下に動かす。

 平家のような上級武士の子弟ともなれば、漢文は確実にやっている。漢字が読め、詩を作ることができるだけでも、大きなステータスだからだ。

「それで、違和感に気づくことはなかったかね?」

「いや、特に」

 清盛は首を横に振る。大学(貴族の子弟の教育施設)で教育を受けていたとき、いつも居眠りしていた身だ。そのため、『万葉集』や『漢文』と聞かれても、名前だけは知っているだけで、よく読んでいないので、詳しい内容はよくわからない。そのため、話についていけない。

「うーん。では、何かがおかしいと思ったことはあるだろう?」

「〈何か〉かぁ。強いて言うなら、『万葉集』は和歌集なのに全部漢字で読みづらかったことか」

「なんだ、わかってるじゃないか」

 通憲は笑顔で、清盛の肩を軽く叩く。

「それがどうかしたのかな?」

「うむ。私は思うのだ」

 通憲は懐から扇を取り出し、パチンと音を鳴らして説明を続ける。

「我々日本人が、仮名文字を作ったのは、漢字だけではわかりづらかったのではないかと」

「なるほどな」

 言われてみれば、と清盛は感じた。

「しのぶれど……」と普通ひらがなで表記されるはずの和歌が、「支之分礼度」と表記されていたら、一瞬、あれ、と思うだろう? 加えて字の意味から「隠しても」という意味が推測できない。それゆえに、通常より読むことや意味を推察する時間をたくさん労することになる。それではかなり非効率的だ。

「そうであろう? 漢字だけでは意味の推測ができない。だから、漢字から文字を作り出したのだよ」

「なるほどな」

「ちなみに宋人と我々日本人で文化がこうも違うのは、気候風土に違いがあるからだ。坂東(現在の関東地方)や俘囚の地(現在の東北地方)から来た者たちと会話をしたことがあるかい?」

「ないな」

 清盛は首を横に振る。

「彼らと話してみるとわかるのだが、私たち都人と同じ言葉を話していても、どこか発音が違う。同じ日本でもこうも話し方が違うということは、海を越えたら話す言葉が違うのも当然。わからないのも必然。それが普通なのだよ」

「わかった」

 清盛は先ほどの興味津々な態度から一転、無気力な声で答える。

「どうした? さっきまで興味津々に聞いていたのに?」

 通憲は首をかしげる? 自分の話はそこまでつまらなかったのだろうか。

「話を聞きながら考えていたのだけど、俺、あんまりこの国のことは、あまり興味はないらしい。それよりも、海の向こう側にある国のことを知りたい。だから、決めた」

 清盛は通憲の耳元に手を当て、ささやく。

 それを聞いた通憲は、興奮気味の声で言う。

「おぉ、実は私もそうしようと思っていたのだよ。古の日本では行われていたが、菅公が辞めてしまった遣唐使の復活が私の夢なんだ! だから、良かったら一緒に学ぼうじゃないか!」

「うん、学ぼう!」

「こら、そこの二人うるさい、静かに!」

 商談中の忠盛から注意された。

「すいません」

 清盛と通憲の二人は謝り、忠盛と宋人のやりとりを大人しく眺めていた。


   3


 帰りの船の中で、清盛は、宋人の言葉を教えてもらえないか? と忠盛に頼み込んだ。

 忠盛は楽しそうな表情を浮かべ、答える。

「何を今さら。教えるに決まっているだろう。お前が宋国の人間を知りたいというのだから、教えないわけにはいかない」

「ありがとうございます!」

 清盛は深く頭を下げる。

 忠盛は通憲の方を向いて、

「というわけで、頼んだぞ、通憲」

 と通憲の肩を叩いた。

「任せておけ! この通憲」

 腕をまくり、通憲は自信満々に言うと、清盛は、

「やっぱり辞めとく」

 と言った。

「おい、さっきの本気の瞳は何だったんだよ!」

 通憲は清盛を追い回した。

「やべー」

 船の中を逃げ回る清盛。

「こら、騒ぐな!」

 騒ぎ回る清盛と通憲に、忠盛は注意する。

 こうして、忠盛親子と通憲の西国アジア市場漫遊は終わったのだった。


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