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【歴史小説】第16話 九尾の狐①─三条通りの変死体─(『ひとへに風の前の塵に同じ・起』)


   1


 深夜2時半ごろの八条通り。

 夜空に浮かんだ真っ赤な満月は、草木も寝静まった平安京を不気味に照らしている。

 妻の家に足を踏み入れていた肥満体の男は、よろよろとした足取りで護衛と召使いを連れ、屋敷を出た。どうやら酔っているようだ。

 酔った男は牛車に乗り、召使いに牛を引かせる。

 牛車に乗っている最中、

「きゅうぅ~ん」

 鳴き声が聞こえた。

 その鳴き声は、小動物のような可愛らしいものではなく、甲高くてよく響く、不気味なものだった。

「これはもしや、噂に聞く百鬼夜行というものか? 武者たちよ、構え! 麻呂を守るでおじゃる!」

 男は牛車の前の簾を開け、でっぷりと顎についた贅肉を揺らし、付き添っていた武者たちに指示する。

 だが、目の前には誰もいない。

 おかしいなと思った男は下を見てみる。

 そこには、胸に風穴を空けられた亡骸、鋭い爪で引っ掛かれて苦悶する召使い。

 くちゃくちゃ……。どこからか肉片を食べる咀嚼音が聞こえる。

 男は前にあった簾を開けてみると、下には武者たちの死体。そしてその向こう側には、暗闇に紛れてよくわからないが、大きな犬や狼によく似た九本の尻尾を持った化け物が、人の肉片を食べながらこちらを見つめているのがわかった。

 正体不明の獣は闇夜に牙をきらめかせ、男に襲いかかる。


   2


 少し肌寒いが、穏やかな陽ざしが街の中に差し込む秋の日。

「若様、若様!」

 廊下を走って、家貞は清盛の部屋へと向かう。その表情は、とても楽しそうだ。

「どうした家貞。こんなに浮かれて?」

 清盛は畳の上で寝転がり、片手には宋国の本を持ちながら、めんどくさそうな表情で聞く。

「知ってますか? 内裏に、とてもかわいい女官が入ってきていたこと?」

「まあ、聞いてはいるが、見たいとまでは思わないな」

「そんなこと言わずに、今から見に行きましょうよ、3000年に一度の美女を」

「せっかくの休みぐらいは勉強させてくれよ」

「若、たまには息抜きも必要です。それに、いつも家貞は一人で寂しゅうございます。夕食驕りますから、どうです?」

「しゃーないな。そこまで言うなら行くよ」

 清盛はめんどくさそうに立ち上がり、出かける支度をする。


 鳥羽殿。

 御殿の前にある庭には、鳥羽院と源頼政(みなもとのよりまさ)、そして2人の目の前には、同じ格好をした女官3人がいた。いずれも鳥羽院に仕える女官たちの中でも、指折りの美女たちだ。

「頼政よ、そなたは菖蒲(あやめ)という女官が好きであると風の噂で聞いておる。そこで、この中から、菖蒲がどれかを選んでもらいたいのだ」

「そ、そんな、宮中の警護をするだけの武者に、女房を下賜するなど、あまりに畏れ多い」

 日本人離れした彫りの深い顔と、背の高い武骨そうな見た目とは裏腹の、丁重な態度に小さな声で、頼政は鳥羽院の申し出を断る。

「遠慮はしなくてもよい。菖蒲もそなたを好いておる」

「そうですか。ならば、お言葉に甘えて」

 頼政は美女三人と向き合う。


「若、見ておりますかな?」

 家貞は鼻の下を伸ばしながら、頼政の目の前にいる美女を眺める。

「見てるよ。それより、頼政がちゃんと当てるかが楽しみだな」

「玉藻ちゃんがどこにいるか当ててみてくださいな」

「だから何だって言うんだよ」

「当たったら夕食おごるのですよ」

「ほう」

 清盛は再び生け垣を覗く。

 生け垣の向こうでは、頼政は美人女房3人の前で頭を抱え込んでいた。悩んだ頼政は、

五月雨に沼の石垣水こえて何かあやめ引きぞわづらふ

 和歌を一首詠みあげた。「夏の雨で沼の水が石垣を越えて溢れているように、菖蒲への思いがあふれ出ております。そのため、心が乱れて、選べと言われてもわかりません」という意味だ。

「それで良い。ここには菖蒲はいない。というわけで、菖蒲、出て来よ」

 鳥羽院は菖蒲を呼んだ。

 菖蒲はしずしずとした足取りで、頼政の前へと現れる。小柄で華奢な、生糸のように艶やかな黒髪が美しい、小顔の色白美人だ。

「おめでとうございます。殿」

 菖蒲はゆっくりと頭を下げる。


   3


「菖蒲殿もなかなか良きものよのう」

 家貞は鼻の下を伸ばしながら、宮中の様子を垣間見ている。

「そんなことのために俺を誘ったのかよ、バカバカし」

 清盛は不潔なものを見るような目つきで、家貞の顔を見る。

「若何ですか、その顔は?」

「別に、何もねーよ」

「話は変わりますが、玉藻ちゃんの正体はわかりましたか?」

「うん。真ん中にいた背が低くて、赤茶色い髪をした女だろ?」

「さすがは若!」

 家貞は過剰と言っていいほどに清盛をほめそやす。

「なんとなく、だけどな」

 清盛は得意げな顔で言う。

「なんとなく、って、今すぐ玉藻ちゃんに謝れ!」

 家貞は腰に帯びていた太刀に手をかけた。

 清盛は大声で反論する。

「何を言ってる家貞。勘も実力のうちだ」

「何だと! お前は万死に値する!」

「嫌なこーった!」

 言い争っている途中、清盛は目の前に義清がいることに気がついた。

 義清は垣根から院(上皇の住む御所)の様子を眺めている。

「義清のやつ、何を見てんだろな?」

 いぶかしげな表情で、清盛は院の中を見る義清の様子を見る。

「きっと、彼には宮中に思いを寄せる誰かがいるのですよ。恋の味も解せぬ幼稚な誰かさんと違ってね」

「もう一度言ってみろ」

 再びバトルが勃発した。

 二人の間に白い稲妻が走る。

 その途中、こんな噂が耳に入った。

「昨日藤原忠隆殿の亡骸が三条通りで見つかったそうじゃ」

「見たものの話によれば、一人残らず喰い殺されたそうな」

「くわばらくわばら」

「先ほど、物騒な話が耳に入りましたな」

 先ほどまで鼻の下を伸ばしていた家貞は、真剣な顔に戻る。

「あぁ。藤原忠隆が鬼に喰われたってな」

「行ってみましょうか、三条通りへ」

「うん」

 清盛と家貞は、事件現場のある三条通りへと走る。


   4


 噂を聞いた清盛と家貞は三条通りへと向かった。

 道の真ん中では人だかりができている。変死体が路傍にあるということを口伝えに聞きつけ、怖いもの見たさで飛んできた。

 二人は人垣をかき分け、前の方に来る。

 目の前には、頭から首元がない武者と、直衣を着た貴族の死体が転がっていた。死体には総じて獣の爪で引っかかれたり、噛まれたりした跡がある。また、胸に穴が空いているものも。

「あな恐ろしや、あな恐ろしや」

「きっと、羅城門の鬼が人の肉を求めてやってきたのじゃ」

「これが噂に聞く百鬼夜行というものか」

 野次馬たちは、死体を見ながら好き勝手に言い合っている。

「全く、酷いものだ」

「そのとおりですな。怖い怖い。夜は迂闊に外に出歩けませんな」

「清盛も来ていたのか」

 いつの間にか、義清が隣にいた。

「おう、義清どうした?」

「これは人間の成せる業じゃなさそうだ」

「見りゃわかるよ」

「獣といっても、この平安京にいるのはせいぜい猫や犬と言った小動物ぐらいだ。小動物にあんなマネはできない」

「だよな」

「この爪と言い、間違いなく鬼だ。荒れた羅城門か鷹ヶ峰に棲むな」

「おいおい、怖がらせるなよ」

「あそこにある焼死体も見てみろ」

 後ろから誰かに指摘された。

 清盛と義清は後ろから指摘した誰かの言う通り、右側を見てみる。

 視線の先には、炭化した武者の死体が転がっていた。

 二人は振り返る。

 声の持ち主は、縦長の黒い烏帽子を被り、日本人離れした赤茶色の髪と瞳、白い狩衣をまとい、藍色の袴を履いた青年だった。

「見たところ、お前らは武者と見える」

 少年は言った。

「ああ、その通りだ」

 義清は答えた。

「右にいる方は賢くて強い。が、左にいるのはバカで弱いと」

「誰が弱いだって? おれは瀬戸内海の海賊たちと互角に戦ったんだ」

 清盛は得意げな表情で言った。

「嘘つけ、大けがしてたくせに」

 義清は事実に基づいたツッコミを入れる。

「まあいい。雑用程度には使えるだろう」

「雑用程度とはなんだ! この俺は従四位の位を持つ貴族だぞ、膝ざま付け!」

 清盛は偉そうに少年に謝罪を求めるが、義清と少年はそれを無視して続ける。

「名乗り遅れて申し訳ない。私は安倍泰親(あべのやすちか)。陰陽師(おんみょうじ)だ」

「陰陽師って、あの」

 義清は聞くと、泰親はうなずく。

「あの、安倍晴明のだ」

「なぜ、場末の武士に話しかけたのだ? 妖怪退治であれば、僧侶や神官、巫女でも良いのでは?」

「正体がわかったうえで、退治のみを目的とするならばそれでもいい。だが、今回は正体がわからない。検非違使に任せたらどうだ? と言われたら、ろくに犯罪者を検挙できない無能ばかりだ。ならば、院に近いお前たちに任せようと思ってな」

「そういうことか」

 義清は泰親の思惑がわかった。

 このような怪事件は証拠がなさすぎるため、調べてもきりがないということで、検非違使は門前払いにする。トップの一人があの為義だから、その傾向はなおのこと強い。

「私は佐藤義清。そしてさっきから騒いでいるのは平清盛だ」

「わかった。平清盛?」

 泰親はどこかで知っているような顔つきで清盛の方を見る。

「何だよ?」

「いや、何もない。ここで私が話しかけたのも何かの縁だ。お前たちに、妖怪退治を手伝ってもらいたい」

「妖怪退治?」

 清盛は騒ぐのをやめ、泰親の方を見る。

「ああ、そうだ」

「俺は御免だね」

「もちろん、ただ働きではないから安心しろ。その代わり、しっかり働け」

 泰親は狩衣の袖に手を入れ、偉そうな口調で命令した。


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