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“大きな自分”に触れる体験

新型コロナウィルス感染症の出現により、人と人との距離が物理的に離れ、心も離れてしまうのではないかと懸念があります。
その一方では、人の意識がより自然を求めているようにも感じています。

米国土安全保障省の発表では、新型コロナウィルスは太陽光によって不活性化するとあります。
これを知ってか知らずか、巷ではキャンプブームになりました。コロナ禍という緊張感のある社会の中で、自然が人を癒してくれているように感じ、コロナ禍であるということすら忘れてしまう感覚になるようです。
そして、人は自然の中で過ごすことが心と身体に心地よいと、本能的に感じているのです。

こうした強い感染力を持つウィルスが発生するという可能性は、これまでにも指摘をされてきました。
そして、これから先も続くと言われています。
その原因の一つとして、必要以上に家畜を増やしてきた人間の欲が挙げられます。
家畜の増加に伴う牧草地の開拓のための森林伐採によって、森林火災が起き、このことが気候危機の元凶になっています。
家畜が増えることで家畜の伝染病が人にうつる可能性が増え、そのウィルスは人にうつることによって強い感染力へと変異していく・・このような構図があるようです。
“食肉家畜を増やす”という人間中心の考えの結果、人類全体が危機に陥る気候変動や新型ウィルスまで作り出したとも言えます。

この新型コロナウィルス感染症の対策や意見が、インターネット記事やSNSの中で飛び交っています。
私自身もまだまだ探究中ですが、これは一人ひとりが自分の意見・価値観を見つめ直す時なのかもしれないと思っています。
いつも仲良くしている人とも、このコロナに関しての考えは微妙に違い、すれ違いを起こすこともあるようです。
このような時に大切なのは、「自分の中に答えを持つ」ということです。そして、その答えにいつまでも固執しているのではなく、色々な意見に耳を傾けながら、柔軟に変化していくことも必要です。
「自分の考え=私」になっていると、その答えを手放したり、変化させることは難しいものです。「私は自分の考えを持っている」になると、手のひらの上に乗せて、吟味ができます。
このようにして、客観的に“考え”や“意見”を検討することで、人の意見に耳を傾けられるようになります。
様々な意見を受け入れることができる人が増えることによって、多様な意見が融合する社会になると思います。

先日、森の中にいる時、『この自然の多様な命の営みの中に、人間も動物も融合され循環していくような社会になって欲しい』という想いが沸々と湧き出てきました。
そういう大きな視点でいる時、個としての私の小ささを感じ、「“私が”これをやりたい・欲しい」という欲求や「”私が”認められたい」という考えなどもあっという間に消えてしまいます。
“大きなわたし”で在る時、自分を守る利己的な考えよりも、利他的なあり方で存在する私が顕れ始めます。

自然の中へ出かけ、大きな自然に触れ、“大きなわたし”に触れる体験を人は求めているのです。


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