『現代が不安です!この不安を解消するにはどうしたらいい?』
~ 視点が高いとは、抽象度が高いということである ~
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なんかの本で読んだけど、
人の才能ってグラフで描くと階段状に成長するらしくて
例えば3年分の学びが、
あるときふと「わかる」ようになり、
頭の中で下層のレイヤー(基礎)になることで先のステップに進めるという、
人生を通して基礎の盤石な高層タワマンを形成してるのかなって
若いころに出来て大人になったらもう出来ないことは、その、人間としての基礎段階でしか吸収できないからなのかなと
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ここで気づいたのは、「視点が高い」とは何か、についてです。
「視点が高い」とは、「物事を広い視野で捉えることができ、短期的な利益ではなく長期で考えられる状態」ですが、
それは同時に「抽象度が高い」ことを指すのではないでしょうか。
知識はレイヤー(層)になっているので、その層が厚いほど、視点が高くなり、沢山のものを同時に見れるのではないかと考えます。
そうすることで、物事の関係や、それらはすべて繋がっている、という感覚を、
身を以て得ることができるのでしょう。
それは、例えるならば、展望台に上ったときに、普段暮らしている街を、上から見渡すことで全体が見え、
個々の場所を一目で、ひとつの繋がりを持って
把握できるのと似ていると思います。
抽象度が高ければ、物事の因果関係や、未来のことまで鮮明に見れるようになると考えます。
つまり、この「視点の高さ」さえ身につけることができれば、より遠くが見えて、安心感につながるということですね。
また同時に、抽象度が高ければ、
高い視野の反対、日常生活で何気なく見て使っているものの、その背景のレイヤーに気づけるのではないかとも考えられます。
その代表的な例は、ことばです。
普段使っていることば、
例えば「真剣」「油断」「万博」などには、
ことばの成り立ちに歴史的なエピソードがあったり、
あるいは長い時間を経て、ことばに含まれる意味がかなり広く深く、ひとつの「概念」を指している場合があります。
そう、ことばそれ自体が、人間の知能、視点の高さと同じで、
レイヤーを複数持っている、ということがわかります。
外山滋比古は、これを
「第一次的現実と第二次的現実」や
「情報のメタ化」と言いました。
異なる専門分野の人が、用語が同じでも、
それに違う意味合いを持たせて話してしまい、誤解が発生してしまうことがあるのには、
この点が関係していると考えます。
つまり、ことばのひとつひとつとっても、積層されたレイヤーを構成している。
それに対し私たちは、視点が高くなればなるほど、
その差異に目が行き届きやすくなるのではないでしょうか。
今回はこんな仮説を立ててみました。
しかし必定、
普通に、毎日を楽しく生きていれば
そのことについて考え及ぶことすらないでしょう。
世が不況だからこそ、今だからこそ考えを深るべきポイントなのかもしれません。
この「視点の高さ」は、生まれ持った知能により、
ある程度見える階層が決まっているのではないかと考えます。
ですが、世の中には、生まれ持った知能さえも補い、見えにくいレイヤーを「見える化」させる万能ツールがあります。
そのひとつが「読書」です
本には、それを書いた著者の、人生分の厚みがあります。
しかし私たちは本を読むだけで、
他者の人生すべてを捧げて得た教訓の上に、
一気に立つことができる。
本の上に乗ることで、文字通り「視点が高く」なるのです。
読書が「最もコスパの良い自己投資である」と、成功者の多くが言うのには、その背景に
この辺りの共通認識があるのではないか、と最近考えています。
ちなみに、私の主観にはなってしまいますが、
もとの生まれ持った知能が凡庸であればあれほど、読書の効用が大きいのではないかと、わりと身を以て感じています。
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