『コンピューター』
一体いつから人間は、虫やヒト以外の動物を
「下等」だと見誤っていたか。
これから、歴史上ではじめて、人間の能力を遥かに凌駕する存在としての「コンピューター」を私たちは認識する。
そのとき、はじめて人類の生命の「価値」が相対化されて見えるのではないだろうか。
それは、知恵を授かった人間が、
ほかの動物に無意識に向けていた「差別意識」のようなものが、自分たちに対してはっきりと認知される、
いわゆるパラダイムシフトのひとつになるだろう。
つまり、現代は農業革命、産業革命に次ぐ、
有史でたった3度目の、
パラダイムシフトの、その中心に位置しているという状態を指している。
私たちはその台風の目から、日々、世界の構造の変化を観測しているのだと考える。
また、このような世界構造の変化は、AIの台頭に限らず、
地球資源の限界感、
「科学が全てを解決してくれる」というのがどうやら幻想であったと分かってきたこと、
グローバル化に伴い「国境」が少しずつなくなってきていることなど、
様々な観点から観測される。
◯デジタルアーティストの落合陽一は、彼の著書において「デジタルネイチャー」ということばを用い、かつてなく人間の職域がAIに代替される世界を予測する。
◯受験生のバイブル『思考の整理学』で有名な
外山滋比古も同様に、
「人間はコンピューターに席を譲らなければならない。(中略)これは産業革命をみても、まず覆ることはあるまい。」
と述べている。
それも、約40年前からである。
◯昨今はyoutubeにおける「ジブリ解説」でも有名な
岡田斗司夫は『評価経済社会』において、
後期資本主義社会にあって「貨幣」の価値に取って代わるように「評価」の時代が訪れる。
また、人工知能の発達により、人間の生き方は、歴史上の過去に逆戻りするのではないかと予測する。
◯宮崎駿監督『風の谷のナウシカ』においては、
「巨大産業文明が崩壊してから1000年
錆とセラミック片におおわれた荒れた
大地に、くさった海・臨海(ふかい)と
呼ばれる有毒の瘴気を発する菌類の森がひろがり衰退した人間の生存をおびやかしていた」
という序文から物語が展開される。
これは人間の生活と文明が、ある特異点を迎えることで、むしろ逆行する、そのメタファーではないか。
これら個々の、未来予測の補助線は、一点の分かち難い強固な軸で繋がっていると考える。
波が迫っている。
私たちに準備できることは何だろうか。
かなりつたない言語化となってしまいました。
ぜひ皆さんのご意見を聞きたいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?