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ホリーとハリー:オーソン・ウェルズ「第三の男」

最近クラシック映画にハマっているので続いてその紹介を。

 今回紹介するのは1949年に制作された、オーソン・ウェルズの名演技とアントン・カラスによるBGM「ハリー・ライムのテーマ」で有名な「第三の男」。クラシック映画の中では私の一番のお気に入りです。


 監督はキャロル・リード。後にミュージカル映画「オリバー」の監督も勤め、映画監督として初めてナイトの称号を授かったことでも有名です。

 ハリー・ライム役のオーソン・ウェルズ自身も有名な監督であり、「市民ケーン」「上海から来た女」などで監督を勤めながら自ら出演を勤めています。他にも闇深いニュース風ラジオドラマ「宇宙戦争」の作者でもある…
 そしてホリー・マーチンス役のジョセフ・コットン。過去にも「市民ケーン」などでウェルズと共演したことがあり、個人的にはヒッチコックの「疑惑の影」(こちらもいつかご紹介できれば)の出演が印象深い。


 時は戦後間もない頃、連合国の政策で分割統治されたウィーン。しがない三流作家であるホリー・マーチンスは友人ハリー・ライムの招待でウィーンにやってくる。とこらがいざ友人のもとにくると管理人は下手な英語で彼は昨日自動車事故で死んだと伝える。あまりの呆気なさに疑いを隠さないホリー。ハリーの葬式に出ると、彼はそこでキャロウェイ少佐とハリーの恋人だったアンナに出会う。警察で取り調べをしていたキャロウェイ少佐は酒場でハリーのことを死んで当然な奴だと罵り、怒ったホリーは真相究明を誓う。ホリーはハリーの友人や管理人から事故の様子の証言を得るが、証言に食い違いがあることに気づく…



 何よりもこの映画の雰囲気を作っているのがアントン・カラスによる「ハリー・ライムのテーマ」。日本でも恵比寿駅の駅メロやCMにも使われていて馴染みがある人もいるでしょうか。
 このテーマの曲調である少し悲しげな陽気さ。オープニング、追ってくる民衆からの逃走、墓を掘り起こす時…様々な場面で使用されていますが、これが驚くほどマッチ。今どきの映画ではなかなか見られない素晴らしいセンスです。



有名なハリーのセリフ。

ボルジア家支配のイタリアでの30年間は戦争、テロ、殺人、流血に満ちていたが、結局はミケランジェロ、ダヴィンチ、ルネサンスを生んだ。スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義はいったい何をもたらした? 鳩時計だよ

wikipediaより

と言うと直ぐに消え去ってしまうハリー。このセリフ自体も一瞬のことで、よく見ていなければ気づけない。内容のボリュームが多いが、改めて読むとセリフの意味に気づける。人間の暴力性は平和や安泰より価値のある物を生み出す。そんなところでしょうか。
 ハリー・ライムという男の物の考え方を表しているのか、現実社会への皮肉なのか。考えさせられるところであります。


ホリーとハリーについて。
 ハリーの恋人だったアンナがホリーのことを思わずハリーと言ってしまう場面がある。ホリーとハリーは古くからの友人で作中では元々犯罪仲間だったとか。似たもの同士なのでしょう。
 アメリカ人であるホリーを、スラブ系のアンナがホリーを思わずハリーと発音してしまう感じ。なにか共感できるようなものを感じました。

それにしてもこの時代の女優は本当に美があるからこそ起用されているので本当に綺麗ですね。個性や能力を重視する現代とは違い、ノスタルジックなものがあります。


映像について。
 最後のラストシーン。ホリーがアンナに駆け寄るも無視されてしまいそのまま終わるところ。これって最初の葬式から帰る時の映像と対比させてますよね。素晴らしいです。
 この映画の映像美である(少なくとも私はそう思う)影の演出。路地裏を駆けていくシーンなどで特に強調され、フィルム・ノワールの雰囲気を演出していて印象深いです。


 最後にもう一つ。キャロウェイ少佐の部下であるペイン軍曹(役:バーナード・リー)。ホリー・マーチンスのファンと自ら名乗るが、どうもわざとらしさを感じる。作中にはそのような描写はないが、 もしかしたらホリーを煽てているだけかもしれない。

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