ポストソビエトミュージックの魅力(考察)①
ソビエトミュージックと聞いて何をイメージするだろうか? 日本の某アニメで話題になった「カチューシャ」や、あの特徴的な始まり方をする国歌の「デュエエエエン」か? もちろん、ロシアの音楽はそれだけではない。
鉄のカーテンで西側と遮断されていたとはいえ、旧ソ連にはクラシックはもちろん、ジャズ、ディスコ、ロック、ポップなど、様々なジャンルの音楽が演奏されていた。
旧ソ連の音楽の雰囲気は、その歴史的・事件的な背景によって左右されていることがある。アフガン戦争やチェチェン戦争で疲弊した兵士の物語、ペレストロイカで現れてくる庶民の不満。あるいは、ペレストロイカで解放された表現の自由を最大限に活かしたパフォーマンスや政治に対する皮肉。もちろん純粋なラブロマンスや、”Never gonna give you up”のような踊り出したくなる曲だってたくさんある。
今回はソビエト時代&ポストソビエト時代のいくつかの音楽を紹介し、その魅力などを考察していく。
なお、ここで使われる「ポストソビエト」は、ゴルバチョフのペレストロイカから20世紀終わりまでを指す。
Мой адрес Советский Союз (1973)/僕の住所はソビエト社会主義連邦
ソビエト時代で一番知られているポップソングはおそらくこれだろう。
サビで「僕が住んでいるのはアパートでも家でもなくソビエト連邦だ♪」と歌う、祖国愛に満ちた曲である。
1970年代といえばつかのまのデタント(西側との緊張緩和)期で、ブレジネフの政権のもと、停滞しつつも”比較的”安定していた時代だった。(それも1979年のアフガン侵攻で終わる)純粋なプロパガンダソングではなく、西側諸国を真似た音楽が庶民の間でも流行るようになったことが想像できる。
Не валяй дурака, Америка!(1992)/バカやってんじゃねえよアメリカ!
ナショナリズムで生まれた愛国心というか、アンチアメリカというか。 大きな声で「バカやってんじゃねえよアメリカ!」と叫ぶこの曲は、多くのロシア人を爽快に、スカッとした気分にさせるだろう。
ソ連崩壊後の新生ロシアにできた経済格差、NATOの拡大や西側諸国からの経済制裁は、少なからずの不満を庶民に与えてきた。そうした他国から「疎外」されることへの不満と怒りが、極端なナショナリズムや、「いいさ、俺達は俺達のやり方でやる」のような、慰め言葉として文化に現れているのではないか。
このような”アンチアメリカ”な曲は珍しいわけではなく、腐敗した社会への不満やソ連時代へのノスタルジー、投げ出すような怒りを感じ取ることができる。
おまけ Передайте это Гарри Поттеру, если вдруг его встретите(2020)/ハリーポッターにこの手紙をよろしく
「もしハリーポッターに出会ったらこの手紙を渡してくれ」。腐敗し、暴力と権力に飢えた”マグル”の社会に絶望した主人公が、ハリーポッターにこの世界への救いを求めるストーリーだが、2022年以降ウクライナ戦争でロシア国内で起きた反戦運動という状況を知れば、この曲はより心に響く。国家権力の暴走が、予言されるかのようにこの曲では鮮明に、そして絶望的に描かれる。
安定しつつも、腐敗した政治への不満を持つ多くの若者にとって、この曲は今の現実をはっきり描いているのだろう。
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