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のら庭っこ便り#014 2023 8/20-8/27 壱 それぞれの季節

随分と間が空いてしまい、ひとつ前の季節を振り返るかたちになりました。
写真を撮ることはできても、文字にするまでの腰が重い。リアルタイムで記事にする難しさを感じています。

ただ書けばいいのでしょうが、記録した写真になんらかの意味のまとまりを感じ取れるようになるのには、どうしてもそれなりの時間的距離が必要なのも事実です。

今のインスタグラム的な写真の発表の仕方が当たり前になっている現在からするとピンとこないかもしれませんが、かつて写真を発表するといえば「写真展」か「写真集」でした。

ひとつのテーマで一定期間撮り溜めて、構成を何度も何度も練り直す。

何枚使う? どんな順番? どんなサイズ?

それを試みるなかで、見え方が変わっていくプロセス自体につくるおもしろさを感じていたこともあり、撮ってすぐ見せられるようになった今も、写真を撮ってから見せるまでの「間」を取らずにはいられないようです。

というわけで、2ヶ月ほど寝かせたのら庭の風景を、ふりかえろうと思います。

まず、これはもう畑を去ったモロヘイヤの全盛期です。
背は低く、葉も小さいですが、これでも去年の倍ほどのサイズになりました。

これでも去年より茂っています

今年は自然生えしなかったので、苗を植えたミディトマト。
このサイズを育てるのは初めてですが、病気にならない代わりに割れやすく、なかなかタイミング良く収穫できずにいました。

赤くなる頃には、割れているトマト

今回は植物にフォーカスする回なので、後ろに何かいる程度にとどめますが、今年のピーマン、甘長トウガラシは、カメムシの城と化していました。

葉はくったりと垂れてしまい、実はほとんど大きくなれずにいます。

栄養を吸い取っているのは…(志村うしろ!)

ナスは、小さいながらも徐々に実を結びはじめました。夏が終盤に入ってから勢いづくのは、去年と変わらず。

大きくなってまもないところがまだ白いところを見るの、なんか好きです。

伸びしろのあと、見えちゃった?

接ぎ木苗の台木の脇芽から育ったスズメナス(トルバム・ビガー)は、どんどん育っています。

さて、どこまで大きくなるのか…。果たして実をつけられるのか…?

こういう栽培意図的にも「脇芽」な、先がわからない観察が、1番ワクワクしたりします。

君のポテンシャルが見たい

トウガラシは、フレッシュなものをひとつふたつ摘んで、夏野菜を炒めるときに使っています。

同じピーマンの仲間でも、トウガラシにカメムシは見られませんでした。

前の日記に書きましたが、このトウガラシは、去年植え損ねてポットのままベランダで冬越しした苗。2年目にようやく成し遂げた実り、感慨深いです。

フレッシュなつや

赤オクラは、目でもおいしい野菜。
葉脈と葉色の色のコンビネーション、南国を思わせる花(ここにはないけど)、ふわふわの若い実…。

オクラの仲間、アオイ科の植物は、ここでは2年目以降、大きく育つことがないので、あまり適した状態にないのかもしれません。

コモンマロウなどアオイ科の花、好きなんだけどなあ。

このサイズのオクラ、かわいい

アオイ科とは逆に、どんどん増えるニラたちは、蕾をつけ始めています。

ニラは食べてよし、見てよし、こちらも大好きな花のひとつです。

さあ、今年もニラ花パラダイスの季節が到来ですよ

一方、命の危機に瀕しているのはイチゴです。
元気だった頃は、虫食いなんてなかったイチゴの葉。
暑さで弱ったからか、ほとんど食べ尽くされておりました。

去年は夏にランナーから孫株を取るなどしていた記憶があるのですが…とてもランナーを伸ばせるような状態ではありません。

でも、なんとか、生き延びました。

ナガイモはもう、ムカゴを太らせはじめています。
ムカゴって秋じゃなかったっけ?
もう食べられそうなサイズもありました。

ムカゴは、唐揚げの余った衣をつけてついでに揚げたり、オリーブオイルで炒めるのが好き。

ゴーヤもやっと実り始めたというのに、夏と秋の実りがとなり合わせなのってなんか不思議な感じです。

でも、思えば季節なんて、人間が勝手に線をひいただけ。

国の景気が上向いて「おとなりさん」の経営が良くなろうと、「うちの」の給料が上がるわけではないわけで。

ひとつひとつを見れば、それぞれの「微気象」次第で全然違う。

末端の仕事であればあるほど、景気の山が下り始めた頃にやっと、ベースアップするとか、しないとかみたいに…なんてね。

オイラには夏が終わり始めてやっと夏がきましたよっと。

こちらは、1週間帰省で留守にしたせいで、収穫適期を逃したキュウリ。

株はすっかり弱っていて、こんな細い苗からよくぞこんな大きな実を、と驚きました。

このひとつに命を託したようにも見えます。

タネを繋いであげる道もあったかもしれない。

でも、なんか動物的本能で気がついたらもうカットしてしまっていて。
というわけで、おいしくいただきました。

写真すら切る前に撮るの忘れたので、なんかそれっぽく置いて撮ってみました

去年は栽培に失敗したシカクマメ。
スロースターターながら、天高くツルを伸ばしていました。

今年は、収穫まで行けるかもしれません。

それゆけシカクマメ

取り除かないと、あっという間にどんどん増えるキクイモ。
北側のムクナ豆とウチュウイモのエリアの補助支柱として、何本か残しているのですが、花をつけました。

支柱として残しているキクイモ

その、日陰になるだろうことを期待して北の隅に植えたミョウガとフキ、日本の宿根草エリア。

1日の半分は日陰になるにもかかわらず、地上部はボロボロ。
根は生きていると思うのですが、痛ましいです。

復活を願っています

お盆は雨が降ったものの、水に飢えた様相ののら庭。
8月後半、雨は降るのでしょうか。

手前にボケて写っているフェンネルは元気です

8/27。子どもたちの夏休みが終わり、親は勝手に秋の気分ですが、のら庭には知ったことではございません。

でも、今週も雨が降ったからか、7月のような暴力的な感じは和らいだように感じます。

右下のツヤのある葉はウチュウイモのもの。

先週ふわふわだったオクラはこんなに立派に…!

なりすぎて、もう包丁が入りませんでした。

茹でたけどムダでした。でも諦めきれず、吸いました。

ニラは細いけど、しっかりした硬い茎を真っ直ぐに伸ばして肩を並べています。蕾も綻びはじめ、いよいよ開花準備OKのご様子。

さあ、準備はいいかな?

花のついた茎を避ければ、葉っぱは普通に食べられます。
収穫しようと近づくと、虫が食べた穴を通すように葉っぱが生えていたりして、ちょっとおもしろい。

オヤ?はまっちまった!

さつまいものツルは、途中から根が出てきて土に入ってしまうと、身が太りにくくなるため、ひっくり返して畝にかけます。

ここ数年、この辺りではあんまりサツマイモの出来はよくないのですが、土室なのか、気候なのか…。

今年は乾燥気味なので、どうっているのか、土の中が気になります。

森は根っこで会話してるらしいけど、君たちはどう?

ゴーヤはあまり長くはならないものの、しっかり太ってくれました。
この細いツルで重い実をぶら下げる姿…!

そして、どこにもう一個あったのよと茂みから突然現れる驚き…!

ゴーヤはいつもワクワクさせてくれる野菜です。

先週1個しかないと思ってたんだけども!?

雨が降るようになってきたせいか、きのこが発生しています。
専門家ではないので、手は触れませんがきのこってみつけるとやっぱりうれしい。

なんでだろう、形かな?

ハロー!きのこ!

ラッカセイも花をつけはじめました。

「この花が落ちて実になるんだよ〜!だから落花生!」

書いて字の如くの「無花果」と双璧をなす、「落花生」は日本の食べられる植物で最高のネーミングだと思います。

ピーナッツって英語にしてもかわいいし、葉っぱもキュート!

(どこぞのクサギとかヘクソカズラとはえらい違いだ…ボソ)

よく言えば人間の食べ物への感謝の気持ち、有体に言えば、食べられるものへの人間のエコ贔屓なのかもしれない。

そんな、人間との深いつながりが感じられる落花生です。

落花生は動物たちも、大好きだけどね!

アスパラガスは、柳のように繊細な葉を靡かせています。
頭を突っ込んで、ほっぺをふぁさふぁさしてもらいたい。

アスパラガスといえば春の芽の頭の部分のイメージが強いけど、この葉っぱの繊細さも魅力的。

ホームセンターで、繊細な葉っぱのポット苗を見て、「かわいい!」と観賞用に買おうとしたら、アスパラガスだったってことは一度じゃありません。

癒されるうう

暑すぎる時期を過ぎて、草がまた増えてきたので、刈って敷く作業がメインの、のら庭時間。

刈って余ったら積んでおきます

何をするかとか、何が採れるかとかはあんまり関係なくて、

「え!もうこんな時間!?」と我に帰るまでの時間に身を浸せるのが、週に一度のごちそうです。

次回「弐」は、虫に目を向けた写真を載せます。
苦手な方も、少しずつ嫌悪感が和らぐような撮り方を心がけています。

何を好むかは、遺伝子だったり環境だったり、いろんな要素である程度スタート地点は決まっていると思います。わたしも、金属音がどうしても苦手です。

好きだな、と感じるものが増えると、それだけ歩ける世界が広がり、ひとつのものから受け取れる豊かさも大きくなると感じています。

もし、少し行ける気がしたら、「弐」も覗いてみてください。

自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。