見出し画像

コーヒーは嗅ぎもの

「カレーは飲み物」

という、破壊力を持ったフレーズがある。

誰が言ったんだろ?と気になって調べてみたら、元ビジーフォーのウガンダ・トラさんだった。知りませんでした、ごめんなさい。

元ビジーフォーのメンバーで、デブキャラタレントの先駆けとして知られるウガンダ・トラさんが5月31日午前5時30分、東京都内の病院で亡くなった。
(中略)
カレーライスを食べるスピードが速いことを指摘されると「カレーライスは飲み物」と答えて笑いを取り、デブキャラに伝わる名言とされている。

カレーは飲み物…ウガンダ・トラさん死去[2008年6月1日7時20分 日刊スポーツ]

冒頭で出典があやふやな内容を書いてしまったことで、早速3分ロスしてしまい、もはや「5分日記」というよりは「5分で書きたかった日記」になっている感が否めないが、本題に戻る。

今日書きたいのは「食べ物であるはずのカレーが飲み物だっていう言葉があるけど、わたしはコーヒーは飲み物だけど飲み物じゃないと思う」という話だ。

わたしは毎朝コーヒーを飲む。

コーヒーを淹れるのは、朝の家事が終わってPCの前に座る前に行う、一番ワクワクする「いつもの作業」だ。

お湯を沸かして挽いた豆に注ぎ、立ち上る湯気のなかに、顔を突っ込む。

目を瞑り、コーヒーの香りを嗅ぐことだけに集中する。

ああ…、何て美味しいんだろう。

それはコーヒーの香りに鼻腔の感受点がコーヒーに染まり切るまでの、ほんの1分にも満たない、尊い時間だ。

その至福を存分に堪能してから、デスクに向かう。

わたしにとって、コーヒーは飲み物ではない。

実はネットで購入できると知って以来、コーヒー豆は生で買っている。

まとめて買えば、仕上げられた上質な豆に比べても、それほど高くない。

これをホットサンドメーカーで炒るのだが、この工程を行うことで、至福の時間が一粒で二度味わえる。

機械よりムラになるので、味で言うなら買った方がおいしいだろう。それでも、わたしが自家焙煎に価値を見出すのは、コーヒーは飲み物ではないからだ。

コーヒーは飲み物ではないならなんなのか。アロマって表現するのは何か違う気がする。

嗅ぎもの。コーヒーは嗅ぎものだ。

まったくシャレてないけど、別にコーヒー豆の産地にこだわっているわけでもない、いい加減な価値観にはこのくらいのダサさが似合う気がする。

だいたい今日嗅いだのは、そもそも生の豆じゃなくて、挽いてパックしてある豆だし。

そのこだわりのなさも、「カレーは飲み物」と似ていて、いいじゃないかって思う。

※今日の5分で書きたかった記録: 9:33-51 18分 1095字

この記事が参加している募集

自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。