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恋だの愛だの、うるさい

恋愛ができるというのは、一つの能力だと思う。
スポーツができる、仕事ができる、料理ができる。
それと同じで、恋愛ができるというのも人の特技に当てはまると思うのだ。

多くの人が当たり前に恋愛をして、付き合って別れてまた付き合って、そしてやがて結婚していくから、わたしのように人生の中で恋愛をそれほど重視できない恋愛下手というものは、なんか変なやつ、という目で見られてしまいがちだ。

「彼氏作らないなんてもったいない」「青春を無駄にしてる」
これまで何度言われれきたことだろう。

だけど、ピーマンが苦手な人がいるのと同様で、わたしは「恋愛」が苦手な人なのだ。

ピーマンに栄養がたくさん含まれているのは理解している。それでも、苦手なものは苦手。ピーマンを食べなくたって死なないし、他にたくさんおいしいものがある。

それとおんなじ。

恋愛すると楽しい。好きな人と会うのがしあわせ。自分磨きにも力が入る。お互いを高めあっていける。頼りになるパートナーがいると安心。

わかったわかった。恋愛がどれほど素晴らしいことなのかは方々で散々耳にしてきている。

だけど、恋愛しなくたってわたしは今そこそこしあわせだ。恋愛に回す時間があるなら、本を読んだり、おいしいものを食べたり、美しい景色を見たりして過ごしたい。そのほうがはるかに確実性高く、自分を満足させられる。

わたしをしあわせにするのは、赤の他人の「彼氏」ではなく、「自分」がいい。

彼氏という不安定な存在に自分の時間や都合、情緒を振り回されることになるのは、リスクがあまりにも高いと感じてしまうのだ。

苦手なものには興味関心を持てないし、なんならできる限り関わりたくないのだから、いくら恋愛たるものが素晴らしいものだろうが、仕方ない。

昔から恋バナに興味が持てず、修学旅行の夜は一人すやすやと眠る子どもだった。恋愛相談などされようものなら、ストレスで熱が出るありさまだった。
根本からして向いてないものは向いてないのだ。もうどうしようもない。

わたしは今年25歳になった。
周りでもちらほらと結婚をする人が出てくる年だ。

久しぶりに友だちと会うと、「○○ちゃんが今度結婚するらしいよ」という情報が出回り、「わたしたちってもうそんな年なのか…」と場がしんみりするという場面に何度も立ち会ってきた。

この数年で、「○○ちゃんと△△くんが付き合ったんだって!」「キャー!」というようなうきうきした恋バナたちは姿を消し始めて、だんだんとどんよりと重たく、ねっとりした、恋愛進捗報告会が台頭してきたように思う。

「出会いがない」と嘆いてマッチングアプリを始める友だちが増えている。
「別れた」と報告する者がいれば、たちまちあたりはお葬式のようなムードが漂う。
「どうせ俺には彼女なんてできないよ」とガラスのハートをこじらせる者もいる。

こういった重たい空気を吸っていると、彼氏・彼女がいないということは、恥ずべき事態で、できるだけ避けるべきだと感じている人が多いのだなということにうっすら気づいてくる。

もしかすると、人の結婚報告を耳にして、心から感服して無邪気に騒げるあほは、わたしのような能天気な恋愛音痴くらいなのかもしれない。

でも、気づいてほしい。
「恋愛」という一つの尺度で物事を眺めてしまうから苦しくなっているだけなのだということに。

世の中にはいろいろな人がいて、たくさんの楽しみがある。
恋愛なんて、その中のたった一つの要素でしかない。

大丈夫。
恋愛しなくたって、人生を彩ることはいくらでもできる。

だって彼氏なんてしばらくずっといないけど、わたしの生活十分楽しいもん。

「恋愛するのがそんなに偉いんか!」という気持ちで書きなぐってみてきたのですが、世の中にはこんな人間もいるんだなと、恋愛に迷える子羊たちの心を少しでも軽くできていたら良いなと願います。



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