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DVの女

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YouTubeに朗読をアップしました。
https://youtu.be/K4hPsU6Y6lc
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私はサチ、27才。
専業主婦をしている。
私の夫は大手企業の会社員。
若くして出世街道を進んでいるエリートだ。
結婚前はとても優しくて何をするにもレディーファースト。
記念日には必ず花を買ってきてくれた。

私の実家もそこそこの資産家で、
結婚式はそれはそれは盛大に行った。
友達からは「ご主人もサチもパーフェクトな夫婦だ」と羨まれた。
正直、自分でもパーフェクトな人生だと思う。
生まれてからずっとこんなに幸せでいいんだろうか。

結婚して半年、私は子供を授かった。
つわりもそんなにひどくなく、トラブルもないまま可愛い女の子を出産した。

子供の名前はマイ。
私はマイが可愛くて可愛くて、
すぐ着られなくなるのはわかっていたけど
ブランドの服や高価なおもちゃを買い与えた。

マイは手のかからない子で
外に行っても大勢の人に可愛いと褒められ、
そして必ず「ママにそっくりね」と言われた。
お世辞だとしても悪い気はしなかった。

マイが3才になってすぐの頃に、
よく嘔吐するようになった。
食事をしてもすぐに戻したり、
謎の高熱にうなされたりを繰り返した。
原因がわからずに私はオロオロするばかりだった。

そうだ、夫に連絡をしなきゃ。
と思うけど、何故か連絡先がわからなかった。
パニックを起こしているから電話が出来ないんだ。

私は救急車を呼んで病院に向かった。
マイには胃の洗浄が行われた。
これで2回目だ。
胃の洗浄が必要な病気って何なの?

病院の先生は夫に連絡を取りたいと言うのだが、
本当に連絡先がわからなかった。
会社名を教えてくれとも言われたが、それもわからない。
それよりも私はマイの病名を知りたかった。
でも夫と一緒じゃないと教えられないという。
マイは何か重い病気なんだと確信した。

夫に連絡がつかないまま病室で夜を迎えた。
マイはまだ目が覚めない。
打ちひしがれて泣いていると病室の扉が開いた。
やっと夫が来てくれた!と思ったけど、夫ではなかった。
さっきの先生だ。

「少しは落ち着かれましたか」
と優しい口調で話しかけてきた。
「はい」
私は消え入りそうな声で返事をした。
「主人はどうしてきてくれないんでしょう」
私は先生にそう聞いた。
先生に聞いたところで答えが聞けるわけもない。
私は何を言ってるんだろう。

「ご主人のお名前は?」
私は答えようとして言葉に詰まった。
夫の名前…なんだっけ?
「どのような方ですか」
と聞かれて私は答えた。
「とても優しくて記念日には花をくれて…」
「芸能人だと誰に似ていますか」
私はまた言葉に詰まった。
夫の顔がわからない。

しばらく返事に窮していると先生は続けた。
「私は以前あなたを救急で看てるんですよ」
何を言ってるんだろう。
私は病院なんて無縁の健康的な人生だったのに。
誰かと勘違いしてるんだろう。
そう思い、特に否定もしないまま黙っていると先生は続けた。

「マイちゃんはあの時のお子さんなんですね」
私は怖くなった。
この医者は私の何を知っていると言うのだろう。

「もう遅いからお休みになってください。
ソファーしかありませんが毛布をお持ちしました。
明日詳しい話をしましょう。」
そう言って先生は病室を出て行った。

なんだか色々と頭の中が忙しくて疲れていたようで、
ソファーに横になった途端眠ってしまった。

窓の外から強い風の音がして私は目を覚ました。
するとマイを覗き込むような人影が見えた。
やっと夫がきてくれた。
私は涙を堪えることが出来なかった。

「マイが…また嘔吐して倒れたの…」
夫の影はずっとマイを覗き込んでいる。
「一人で心細かった」
「先生に聞かれてもあなたの連絡先も会社も答えられなかった」
「それどころか…」
私はそこで言い淀んだ。

『あなたの名前も顔も知らない』
そんなことがあるだろうか。
夫と暮らし始めて3年半が経ってる。
自分の夫の名前も顔も知らないなんてある?
この人の形をした黒いシルエットはナニ?
私は恐る恐る聞いた。
「あなたは誰?」

「ママ…」
マイが目を覚ました。
「マイ!」
私はマイに駆け寄ってナースコールをした。
「ああ…マイ!よかった!」
私はマイを抱きしめて泣いた。
「ねえママ」
「なにマイ?」
「誰とお話ししてたの?」

ふと我にかえり私は辺りを見まわすが、
夫はもういなかった。
部屋のライトが点いてマイの姿を見ると、
着ている服も髪もボロボロだった。
いつも着ているブランドの服は?
髪だって毎日私がキレイにセットしてあげてたのに。

看護師さんが病室に入ってきて
マイを手当てしてくれている。
先生は私を見て悲しそうな顔をしている。
何がなんだかわからない。

廊下の椅子に促されて私は先生の隣に座った。
そして先生はゆっくりと話し始めた。

「あなたは昔、救急でこの病院に運ばれてきました」
「治療をしたのは私です」
「あなたは複数の男性にレイプをされました」
「外傷もひどく身体中に傷を負って生死を彷徨いました」

「ご家族にも連絡をしましたが来ていただけませんでした」
「死んだら連絡をくれと言われました」

「心のケアが必要でしたがあなたは頑なに拒否をしました」
「入院している間のあなたはとても幸せそうでした」
「海外にいる彼氏に心配をかけたくないからと言っていました」
「あなたはレイプの事実も認めず被害届も出さないまま退院してしまいました」

「あなたは今、マイちゃんと二人で暮らしています」
「最初あなたとマイちゃんを見た時、ご主人にDVを受けているのではないかと思いました」
「それほどあなたとマイちゃんはボロボロでした」
「しかしあなたはマイちゃんを連れて病院から逃げ出してしまいました」
「でも今日あなたは来てくれた」

「マイちゃんを心配する気持ちは本物なんだと確信しました」
「すみませんがあなたの事を調べました」
「あなたの言うご主人はあなたの妄想です」

「マイちゃんはおそらくあなたがレイプをされた時の子供です」
「そしてあなたはマイちゃんに今回、漂白剤を飲ませました」
「前回と同じです」

「それ以外にも日常的にマイちゃんにDVを行っています」
「そしてあなた自身、自傷行為をしています」
「マイちゃんとご自身を傷つけることで絆を深めようとしています」
「このままだとあなたはマイちゃんを殺してしまいます」

「あなたには治療が必要です」

私は先生の言葉をボーッと聞いていた。
こんなに空っぽな気持ちになったのは生まれて初めてだ。

なんてつまらない人生なんだ。
私に生きる価値なんてあるのだろうか。

しばらくすると警察官がやってきた。
私をどこかに連れて行こうとしている。

この警察官、邪魔だな。

ナースステーション前を通りかかった時にふとハサミが見えた。
私はいつのまにかハサミを警察官の首に刺していた。
そこからは何も覚えていない。

私は白い壁の部屋で編み物をしている。
大きな窓から見える高原の景色と太陽の柔らかい光。
ここはとても居心地がいい。

編み物に夢中になり少し喉が渇いた。
「誰かいる?」

ドアの向こうに呼びかけると執事がやってきた。
「レモンティーをお願いできる?」

執事は微笑みながら頷いた。
私は執事に聞いた。
「私、ここに来る前、何をしてたんだっけ」
「居心地が良すぎて過去のこと忘れちゃった」

執事は微笑みながら
「360番に水を」
と誰かに伝えた。

レモンティーが来るまでの間、
執事に話し相手になってもらった。
といっても私が一方的に話すだけだったけど。

重い金属音がして扉が開いた。
薄味のレモンティーを飲みながら
私はまた編み物を始めた。

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