令和と天皇陛下とおきのえらぶ島
今になって思い出したが、ベトナムに戻る日程を5月に合わせた理由は令和を日本で迎えたいということだった。ベトナムに移った2011年から、新年を日本で過ごした回数は何度だろうか。移動費だって高くなるし、多くて2回というところだろう。だからこそ新年号くらいはこのタイミングで、と思ったんだ。GW明けに開業届を出しに行くけど、そうか、令和になる訳か…。
今日、同時に天皇陛下が退位される訳だけど、ちょうど先日「行幸に沸いた島~陛下と沖永良部島~」という記事をデイリーポータルZに書いた。母方の実家が奄美諸島の沖永良部島(おきのえらぶじま)にあり、そこに2017年秋、天皇皇后両陛下がご来島されたのだ。その報道を知って「陛下がいらっしゃる!」となってからは、それからなにかこそばがゆいというか、不思議な感覚を抱いていた。たとえるなら、妄想の落書きノートを紳士淑女に見られたような。うーん、相当間接的とはいえ、両陛下と接点を持つことなんてこれまでもなかったしこれからもないだろうから比喩の仕方が分からない。
えらぶでの思い出
小2の頃、ふたつ上の兄とここで夏休みを丸々過ごした。花火を見に行ったり、自衛隊(米兵だったか?)の行進を目撃したり、曽祖母のお見舞いに行ったり、浅瀬で取りまくったウニを祖母が味噌汁にしてそれを食べたり。まさに「ザ・日本の小学生の夏休み」を満喫。ふたりの間ではそれが少年時代の原風景として記憶に深く根を張っていて、思い出話がときどき花咲く。
最近もその話題になったのだけど、どうも当時は当初一ヶ月もいる予定はなく、台風の直撃によって滞在日数が削られ、「これじゃ子どもが不憫だ」(そしてたぶん祖父母も)と思った親が子どもだけ残して帰ったとのこと。数日の予定が一ヶ月に。それまで幼稚園のお泊まりを除いて親と一日も離れることもなかったはずだし、そんな非日常感も記憶の根を太くしているのだろう。でも、そんな偶然が、おじさんになった今も鮮明な思い出をつくる。先日珍しく家族全員が集まったとき、兄は子どもにそんな環境づくりをする重要性を母に説いていた。そんな兄も、弟も、いまだに独り身なんだけど。
記事で苦労したこと
なにしろ「天皇皇后両陛下」なので、表現に難儀した。テレビで報道されるように「おっしゃり…」「いらして…」と敬語、いやなんでも、ただしくは使用するべき言葉を最高敬語と呼ぶらしい。これは外国の国王や王族に対しても使う。逆に言えば、そのほかの立場に使われることはない。とはいいつつも、記事は読み物で報道じゃない。その敬語と読みやすさのバランスがむずかしかった。だから公開後そこにつっこみが入らなかったことについては正直ホッとした。あまりガヤを意識したくないけど、未体験のことは怖い。
タイミング的に読んでもらえるかな~と思ってたけど、これは思ったほどでもなかった。これ以上ないと思ったんだけどな、狙って当てようとするといつも結果はよろしくない。教訓含みの童話を繰り返しているかのようだ。友人は「タイトルに『天皇』と入ってなけりゃ気づかないでしょ」と話していたが、なんとなくそこはちょっとダイレクトに言いたくなかったんだよな。狙いすぎな気がして。でも、SEO対策って明らかに狙ってる感が出てしまうから、いつも表現との間で悩むところではある。それでもその友人は、「あの記事はデイリーかジモコロじゃないと書けない(らしくない)でしょ」と言ってくれたので、そう感じる人がひとりでもいてくれたのならば、書いた甲斐があったと思う。それに、ずっとえらぶ(島)の話は書きたかったし。
ケイビング(洞窟探検)が新しいアクティビティとして注目されてるから、次は三週間くらい時間を取って洞窟を巡りたいと思ってる。いつかなぁ…。