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​#18【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮

■前回のあらすじ■



​五天布(ごてんふ)の1人、秋の守護者である白秋(はくしゅう)と急な別れをした蒲公英(ほくよう)。

​目上と思っていた神の領域と言われる人物に「主」と言われ、蒲公英を救うために一人動くと宣言された。

​嵐のような展開に着いて行けずにいると、入れ違いに現れたのは、冬の地維摩(ゆいま)を治める、夜鏡城の主にして、冬の四季の姫であるうつ田姫の父、颪王(おろしおう)だった。

​彼とたわいない話しをしつつも、次第に内容は白秋から今の騒動の話しになっていく。

​多くの者の命を道具のように使おうとし、大規模な戦争を起こそうとしている大地の女神である安寧。
​それに対し、颪王は反旗を翻した。

​しかし未だ、安寧は各四季の守護者である五天布と蒲公英を招集しようと動いている。

​蒲公英は今、その狭間に居る事を颪王はハッキリと言う。
​そして更に、蒲公英を一当事者としてこれからどうしたいかを颪王は尋ねてきた。

​選択肢を与えられた事が初めてだった蒲公英は嬉しさもあったというのに、それと同時に、今まで感じた事の無い種類の恐怖を感じる。その事に慄き、蒲公英が困惑していると颪王は蒲公英の思考を手助けしようと、

​「どれが今より希望に満ち溢れているか?その光を追えばよい」
​「親を問うのもまた子の役目」

​と、助け船を出す。
​後の事は共に考えるが、まずは1人で答えを出してみろと言われ、蒲公英は思考の迷宮に足を踏み入れる事となった。

​一方、安寧が突然不在となった母子山(ぼしざん)白天社は…。

​続きまして天の章、第十八話。
​お楽しみください。


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​#18【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮




​金雲立ち込める母子山。
​他国の異常気象をよそにここの空は青く澄み渡り、真っ白な雲が手を伸ばせば届きそうなほど近くに浮かんでいた。
​朝の金色の光を一身に浴びながら、白天社の一室には黙々とした時間が流れていた。


​安寧が白天社から姿を消して早十四日。


​それと同時に蒲公英も姿を消した。
​安寧が姿を晦ましたというのは上層部のみ知るところで、未だ弟子達には伝えられていなかった。


​さやぐ笹の葉。
​そこから漏れる木漏れ日の輝き。
​伊草の香り立つ畳に正座をしたまま机に向かい、書を書き記し続ける弟子達。


​半紙と文鎮(ぶんちん)が木漏れ日に明るくなったり、 暗くなったりし、時折、墨の新しい書きかけの文字が、陽の光に照らされては白く輝いた。


​恐ろしいほど静かで、余りにも日常的だった。
​床の間あたりに足を崩して書を読んでいるこの部屋の監督をしている臥待(ふしまち)は、長い睫毛の影を瞳や頬に落として、 華頭窓(かとうまど)からの風にも動じず同じ姿勢を保っていた。


​蓮華はその師の姿を見ながら内心、葛藤していた。


​蓮華には特異な力がある。
​例えば、集中すればここにいながらにして、佐保姫の屋敷をまるでその場にいるかのように知ることも出来てしまう。それも一つの能力だった。他にも他人だったら便利と思ったり、羨むような特異な力が多々ある。ただ蓮華自身、その力を忌み嫌い、これまで使おうとなどしてこなかった。夢で先を見たのなら仕方の無い話だが。


​しかし、今回。
​蓮華は初めて自分の力を自分の意志で使った。
​何故なら、蒲公英が心配だったからだ。


​ところが…。蒲公英の行方を追うごとに、深淵な闇と情報があふれ出てきてしまい、更に、蒲公英を追うごとに安寧との関連は絡まる一方で謎が謎を呼び、その坩堝の中で蓮華は体調を崩し、一週間ほど寝込んでしまった。あまりの情報量と事実に蓮華は呑まれてしまったのだった。蓮華は己の未熟さを痛感した。


​蓮華は今、復帰したまでは良いが、頭の整理は追いついておらず集中を欠いている。


​春が佳境となる匂いが、風に運ばれて鼻先をくすぐる。
​だというのに、蓮華の心にはえも言えぬ悲しみが渦巻いていて、自然と呆けた顔で外を眺め、動かなくなってしまっていた。


​蒲公英をあれだけ慕っていた女たちも、授業中まで考えることは無い。このまま戻らなければ彼女らの心の中の蒲公英はいずれ風化し、どうでもよくなるに違いない。年中言霊の部屋に取り付けられている風鈴が、チリィ…ンと鳴った。



​「蓮華?」



​臥待がそう呟くと、数人の生徒が顔を上げた。
​しかし、 自分たちに関係ないと分かるや否や、すぐ半紙と向き合った。
​臥待は反応の鈍い蓮華を見ると本を閉じて徐に立ち上 がり、蓮華の前に腰を下ろした。



​「どうしたのだ?おや、珍しい。全然進んでいないね?」


​「師…。私…」




​それきり俯く蓮華に、臥待は目を細めた。


​「…。おいで、蓮華。少し頼みたい事がある」



​蓮華は、訝しむが、臥待はさっさと言霊の教室を出る。
​そして、しっと小声で蓮華の声も押えさせると、自らも声を小さくし、




​「おいで、蓮華」


​一拍か二拍程度空けて、再度臥待はそう静かに言って蓮華の手を引いた。
​師である臥待は、何かを悟ったようだった。それに気が付き蓮華も黙ってついて行った。


​白天社の門を出ると、目の前は小さなお祭りが出来るぐらい開けた平地があり、その広場をぐるりと竹林が囲んでいた。真っ白な雲達は青い空に抱かれて、悠々と一定の場 所へ向かい、行進してゆく。金雲と桜海の花びらがその間と、竹林の隙間を流れては蓮華たちを取り巻いて彼方へ消えていった。


​蓮華は下に下りる石段を見つめ、前方にいる臥待を見る。
​師・臥待は蓮華とは真逆の白天社を見詰めながら、紫陽花色の衣を風に揺らされながらもしっかり歩んでいく。


​白天社の壁のぐるりを囲む灯篭の列は、夜の威厳に比べれば実にひっそりと息を殺している。 しかし、 それは息を潜め、時を待っているかのようにも見える。



​「おいで、蓮華。…おいで」


​臥待はいつの間にか、更に竹林の奥へ行くべく、爪先を右に向け大きく動いていた。


​歩くこと数分。
​藪(やぶ)を潜るとそこに小さな岩と小さな湧き水があり、やっと臥待は女性にしては長身なその身を休ませた。

​臥待は蓮華に隣に座るよう言うが、蓮華は動かなかった。
​風が通り抜ける中、臥待の漆色の額の後れ毛と、蓮華のしっかり詰った髪の房が揺れる。



​「臥待師。お分かりの事と思いますが、私、今悩んでおります。 ええ、蒲公英のこともあります。それも含め」



​臥待はその長い睫毛を瞬(またた)かせて、色素の薄い唇を少しだけ開いた。
​その瞳には、しっかり蓮華の言うことも理解しようという意志ある光が垣間見える。
​その事に蓮華は改めて深く感激した。


​そのあまり、感情の起伏を上手く抑えられなくなり、薄っすら涙した。
​一人で悩んで、考えていた日々を思い出す。
​しかし、自分が視た蒲公英を取り巻く、そして千蘇我と地上の事など…。それらを考えた時に泣いている場合ではないと、直ぐに自分への憐(あわ)れを捨て去り、気を取り直した。


​「蓮華、取り敢えずお掛けよ」


​「いえ、言い切るまではこのままでいさせてください」



​蓮華はそう言うと、すっと息を吸い、深く吐き出した。
​呼吸を整え、胸に手を当てると暫く目も伏せて地面を見ていたかと思ったら、顔を上げた。



​「臥待師。私の能力の色々は…ご存じなのですよね?」


​「…そうだね。全てではないけれど。安心しなさい。上層でも安寧様と長、私ぐらいしかこの事は知らないよ」


​臥待と蓮華は見つめ合う。



​「今、千蘇我で起きている天変地異。それから…安寧様ご不在の件。勝手ながら私は、この心の眼(まなこ)で多くを視てきました」


​「…。そうだろうと、思ったよ」


​臥待はそう少し寂しそうに微笑んだ。
​その力が蓮華にとって毒にもなっている事を、実は臥待は昔から知っていた。最初に聞いたのは安寧からであった。蓮華のクラスの担当になると決まった時、直ぐに蓮華の未知で大いなる力について聞いていたのだ。しかし、安寧からは見守るようにとしか言われず、力を使いすぎて蓮華が倒れた時には、同室の千代が臥待を呼んで対処をした事など幾度もある。その過程で蓮華も臥待が多少は自分の力の事について知っているのだろうと感づいた。


​臥待は蓮華の能力を聞いてずっと不審に思っていた。
​蓮華のその能力の数々は、到底一般人ではない。また、精霊とも、自分たちとも違う。
​神の領域、もしくは神そのものではないのか?と。安寧も蓮華だけは大目に見ている節があった。


​今、臥待は蓮華の目を見て確信めいたものを感じている。
​表層上の理性がある状態では勧めない道を、今、臥待は蓮華に導こうとしている。



​「今、安寧様は多くの命と引き換えに自らの力を開放し、この千蘇我と下界で大きな戦を起こそうとしているのが視えました。蒲公英もその渦中にいるようです。

私も詳しい所は過去視と未来視では分かりかねるところもありますが、このままではいけないと思っております。この状況を打破するには、蒲公英の力になりえる強力な後ろ盾がまず必要です。

そしてそれは、四季の地を護る守護者様方。五天布様方と見ています。しかし、彼らは今力を発揮できない状況なのです」


​そこまで一気に蓮華は言うと、もう一度息を整えて言う。


​「私は、五天布様方の魂の呪詛を、滅しに行きたいと思います。この身に代えても」


​臥待の瞳は揺れずに、ずっと蓮華を見据えている。
​蓮華も、覚悟を決めての事。意志の強さを瞳に燃え上がらせていた。
​その考えが突拍子の無いことでも、感情のままに口にしたことでない事は彼女の言葉の中に窺(うかが)える。


​臥待は、蓮華からそのような言葉が出てくるとは心得ていたものの…。
​自分のやろうとしている事も含め、慎重になる。



​「力は、必ずしも年月ではないという。友を助けようとする力が、お前に一体何を見せたのだ?」



​臥待にも、蓮華が何を言っているのかは良く分からない。しかしきっと、彼女の視た過去視と未来視が彼女にそのような結論を導きださせたのだろう。


​臥待は至極優しい口調で言い、眉尻を下げた。
​苔の匂いと、水の湧き出る音に段々と蓮華の心も静まりを見せ、小さくもはっきりと答えた。


​「細部までは分かりません。人の心の中は言葉や動きだけでは図りきれぬもの。けれど、今やるべきことは、龍と十二支により大地の女神、安寧様の力を呪として力を封印されている五天布様方の解放と見ております」


​「…如何にして?」


​「…一か八かですが、心当たりがございます。良ければ呪を減せましょう。悪ければ彼の方らは死に、安寧様は元のお力を得るでしょう…」


​臥待は眉根を寄せて視線をずらした。


​酷なことだ。

​こんな少女に未来や 過去を見せ、先見の明を与え、行動するだけの勇気を与えられている、なんと酷な事か。
​頭も悪くなければ、器量も良い。性格にややほつれは見えるがそのようなことはさして問題ではなかった。


​蓮華は尚も臥待に語った。それは、以下のような話しであった。


​龍により三種の神器と、五天布に分散され封印された大地の女神の力。
​三種の神器は戦争時代の置き土産で、女神の力を増大させるのに一役勝っていたという話だが、元の力が戻れば ほぼ誰も安寧を止める事はできない。 神器よりもまず先にそちらをどうにかせねばならない。


​安寧はすでに方々の神や精霊に文を出し召集を呼びかけ、身の回りを固めつつある。
​力があるだけでは今回はまるで役に立ちはしない。 力というよりは、鍵となる者たちがこれらの事件を解決に向かわせる事が大切になる。


​淡々と語る蓮華を前に、臥待は歯痒い気持ちのまま傾聴した。


​「お前がそう言ってくると、私は睨んでいた。 いや、白秋殿が…と言った方がいいだろうね」


​「え? どういうことですか?」


​実は臥待は、安寧が居なくなった翌日にふらりと来た白秋と会い、その日から綿密に話し合いをしてきた。この日の為にと秘密裏に白秋と会い続け、準備を進めてきたのだ。臥待は、白秋がふらりと来たと思っていたが、実は計画的に臥待に会いに来ていたのだと後から気が付く。

​それにしても…。白秋との成り行きを話しながら臥待は思う。


​こうして蓮華の旅立ちを前にすると、恐怖と勇気の狭間で手が震える。
​臥待は再度、蓮華に隣に座るように瞳を覘きながら岩に手を置いた。


​渋々と蓮華がそこに腰掛けると臥待の声は一層落ちて、これだけ近くに居るのに聞き取りにくいほどだった。


​「安寧様は力を蓄え、いずれ下界の者達と戦うつもりでいらっしゃる。 安寧様派と颪王派とに分かれた神々もいれば、下界に身を潜めたものもいるとか。お前が五天布様方の命を救うということは、安寧様派の神と戦うということ…。お前のことだから理解しているね?」



​蓮華はぎこちなく頷いた。


​「それから、蒲公英のことだが・・・」


​臥待は細心の注意を払い、口ごもるように呟いた。
​衣の裾が湧き水に入ることも最早気にも留めず、蓮華は弾かれるように臥待を正面から見た。


​「彼女のことは、秋の七草や姫達に任せるのだ。関わってはいけない」


​「どうしてですか!?蒲公英は…今頃一人で苦しい思いをしている筈ですよ!」


​臥待は首を振って拳を握った。



​「蓮華。あの子の周りは次元が違いすぎる。蘿蔔(すずしろ)という古代の武力の神と、世界を滅することも創造することも自在の犬御神。古代からの力ある高精霊や四大地を守護する五天布様方…。才あるお前でも叶わぬ相手。まして、私達など、束になっても足元にも及ばない。

だから私は神の領域と呼ばれる白秋殿と手を組んで陰ながら動こうとしているのだ。蒲公英の周りでは、神の領域の者、古い精霊達が微妙なクモの糸の上を渡るかの如く、繊細で慎重な兼ね合いを計りながら事を進めておられる。手を出せば彼らの邪魔をし兼ねない。

我らは、安寧様が巨船をその目で追っている間に、 小船で灯台の足元へ行くしかないのだ」



​臥待が声を落としながら話す最中。蓮華はふと、映像が見えた。


​それはこれから起こることに違いないのだが、余りに残酷で、無慈悲な未来だった。
​しかし、どうにもならない。仕方の無いことだった。今から自分はここから離れてしまう。


​ここで臥待に絶対にこの戦いに参加しないでくださいと言っても、その未来は絶対に起こりうることだった。お互いが違う次元での思念をその胸中で渦巻かせ、自然とその口数は減り、沈黙してしまった。


​どうしようもない虚の合間に、草木が風に擦られるずれの音と、鳥の声が遠くからした。
​ところが、 声は唐突に二人の世界に滑り込ん出来た。



​「その小船、まさか一人乗りってわけじゃないだろうね?お二人さん」



​その声は白天社からこちらにやってくる方向の茂みから聞こえてきた。
​顔面蒼白で二人は振り返るが、その姿を見るや臥待は真顔になり、蓮華は心底驚いて首を傾げた。


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​…#19へ続く▶▶▶

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桜賀和 愛美
ご興味頂きましてありがとうございます。書き始めたきっかけは、自分のように海の底、深海のような場所で一筋の光も見えない方のために何かしたいと、一房の藁になりたいと書き始めたのがきっかけでした。これからもそんな一筋の光、一房の藁であり続けたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。