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不自然な努力がやめられない

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こちらは、風が少し強く湿度が高いですが、雨も暑い日差しもなくて、
比較的過ごしやすです。皆さまは、いかがお過ごしでしょうか。
今回書くのは、個人的に忘れそうなので、書き残しておきたいと思ったことです。

私は、この病気、線維筋痛症という激痛の病を経験して、
奇妙な認知力の低下を感じていました。
そのことは、前にもいろいろ書きました。

それと、どうにも奇妙だったのが、痛みで脳が興奮する
という要因以外でも休めない・眠れないということが起こっているのではないかと感じたのです。

それと、心と体のつなぎ目が捻じれることによって起きる、
「強烈な不安から来る、やめることができない不自然な努力について」
自分なりに書いてみたいと思いました。

リハビリをやり過ぎたり、
人と何かをやる時でも、
どうにも無理なことをやってしまうのが、
やめられなかったのです。
具合が悪いのにもかかわらず。

一番、酷い時は、体の感覚までおかしくて、ベッドに横になっているのに、体が揺れているように感じたり、ずぶずぶ、水の底に沈んでいくような、
凄く変な感じがありました。

それと、何度も書いていることですが、
心の地面がぐずぐずになるというか、
心の体系、枠組みみたいなのが、
歪むというか、潰れるというか、
それが、起きかけていたのではないかと感じました。

ここからは、私は専門家ではないので、
使っている言葉の定義が医学的に正確かどうかはわかりませんが、自分の感覚で書いてみます。

認知症の人は、極度な不安を感じることが多いと聞きます。

それは、枠組みが壊れたり潰れたりしてきているので、
日々の生活で、自分の理解力を越えたもの
自分の心の枠組みからはみ出したものばかりに出会うからではないかと思いました。
そのはみ出し方が、凄く大きいから、とんでもなく不安になる。

赤ん坊は、心の枠組み自体が、まだ未発達だから、
新しいものを見ても、ただ、そのままを見て感じて、
取り込み枠組みを作っていくのだと思います。

しかし、
いったん枠組みが出来上がった大人が、
何らかの問題で、枠組みをあまりに超える苦痛なものに出会ったら、
それは辛いに決まっています。
場合によっては、枠組みというか繋がりがおかしくなります。
潰れる人もいるかもしれない。

認知症の人は、皮膚感覚や身体感覚もおかしくなっているという話を聞くので、
何か通じる所があるのかもしれません。

例えば、悲惨な交通事故を経験した人がいたとします。
その人は、車を見ただけで、パニックになるようになってしまって、
家から出られないし、車の写真や画像も見れなくなったとします。

車に結び付くものは、便利さや移動という、いろいろな広がりが普通はあるはずなのに、
車=悲惨な事故
という繋がりが心に焼き付いてしまって、
ほかの繋がりを凌駕してしまうと、
受け止め方が、変わってしまいます。

私の痛みは、普通ではありませんでした。
繰り返し書いてきたことですが、
立っていれば、足の裏が痛い。
座っていれば、椅子との接触面が痛い。
寝ていても、布団と体が触れている部分が体重で痛い。
物が持てない。
何かを見ているのも辛い
何の音を聞いていてもつんざくように聞こえて頭がガンガンする。
かといって、
目を閉じたら、内面の感覚だけ内面のだけを感じてしまい、目からの刺激で紛らわせないので、強烈な痛みをもろに感じます。
痛みが爆発するような感じで気が変になりそうになる。

体のダメージと心の枠組みのねじれ。
どっちが先かといわれれば、それはわかりません。
相互作用で歪みを増幅させていったのかもしれません。

そういふうにして、心の枠組みも、この病気の中で、歪んでいったように思います。
何をどうしても、自分の理解を超えた苦痛が勝手に起こるし、
対処がわからない。
休んでいても、回復どころか悪化していくし、筋力が低下する。
「人生を諦める」ということをしないのであれば、
もうとにかく、デタラメでもなんでもいいから、
何かをするしかない。

休むというのは、体の状態と心の枠組みが、ある程度一致している状態で、
心と体の繋がりに、強いねじれを生じさせたら、
「休んで回復する」
ということすらできなくなり、心と体ねじれをさらに悪化させるのだと思います。
いくら疲労していても、強い睡眠薬がないと、意識が途切れませんでした。

そういう状態の場合は、
認知行動療法で使う
「良いことに、目を向けましょう」とか、
医療機関やワークブックで用意されたプログラムでは、
私の場合はダメで、
物凄く試行錯誤が必要でいした。
体を動かしたり、主体的に何かをやって、それを心で感じる、ということをする必要があったように思います。

私の場合は、ラジオを聞いたり、投稿したり、音声作品を作ったり
ということが、大きく回復に繋がっていったのは、前にも述べました。

今、ようやく、夜に睡眠薬で眠るのではなく、疲れた時に少し横になって休むというのが、できるようになってきました。

そのときの心と体の状態を観察していると、
心の枠組みが、相当、全体にわたって歪んでしまっていたんだと感じます。

それを客観視することもできないくらいになっていると、不自然な興奮と不安を抱えて、努力に依存してしまう。加減ができないやめられない努力になる。

心と体の繋がりの捻じれ、不安と不自然な努力。

体の状態と心の枠組みが、ある程度一致するから、落ち着き、休むということができるという事。

当たり前といえば、当たり前なのですが、

この部分は、非常に気になっていたことで、整理して文章にしてみたかったことでした。



最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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