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無理な努力がやめられない

※闘病の話です。

実際に経験している事が辛過ぎると、感覚や感情が切り離されたり、潜り込んだりすることがある。
例えば、あまりにショックな出来事をすっかり忘れてしまったりする場合などだ。

事故や事件などの強烈で短期間の出来事で、そうなる場合もある。

長い期間、延々と苦しい状態・感情が続いていると、それに対して慣れていかないと生きていられないので、その感覚、感情を切り離すようになる場合もある。

ただ、自分が、そうなっているかもしれないと、あまり思っていなかった。

私は、慢性的な疼痛と、異常な疲労感を常に感じていて、発症当初は、それを気にして、誰かに訴えていた。しかし、うるさがられたり、精神の病と決めつけられたり、親切な方が相手でも、相手が困ってしまっているのを見て、相手に、感情的な何かを求めても、どこかで、仕方がないと思うようになった。
自分の具合の悪さを「痛い!」とか、「辛くてたまらない!」とか「死にたい!」とか、そういう事を言えなくなっていった。

そして、とにかく、廃人にならないためには、なんか対処とかリハビリとか、出来る事を増やす、とか、そういうことを頑張るしかないと思った。

それで、リハビリやら趣味やら、そういうことをやっている時、どうしても、やり過ぎるようになった。

適当な所で休めばいいのに、休めない。体を止めて横になっていても、心身が休まらなくて非常に苦しい。それは、動かしていたほうが、血流が悪くならないということもあるかもしれないが、休みということは、自分以外のことに注意を向けていないので、切り離していた自分の感覚や感情が、戻ってきてしまうので、非常に辛いのだ。
そして、無理な努力をしていると、「死にたい」という気持ちに目を向けなくて済むという、とても大きな効能があったのだと思う。
知人に死なれたことがあるので、それだけはやっちゃいけないと、自分に刻み込んでいた。

そういう大車輪を、ずっと続けてきたが、このごろ限界を感じている。
違う方向を模索するなら、代わりのものを何か考えたり、身に着けたりしなければならない。

前から試していたことではあるが、慢性疼痛のストレスを和らげる方法の一つとして、マインドフルネスストレス軽減法というものがある。
ヨガの方法を応用して、ジョン・カバット・ジンという研究者が開発したものだが、呼吸に意識を向けたり、敢えて痛い場所に注意を向けて、その感覚を自然と受け流す事を繰り返す。
そうすると、痛みによるストレスが緩和したり、実際に痛みの範囲が減ったという研究があった。

学生時代に、この方法は本で読んで知った。もちろん、病気が発症したときに試してみたが、体と脳みそが、こむら返りを起こしているような痛みなので、爆発している所に、チョロチョロ水をかけているようなものだった。

ときどき、思い出してはやっていたが、やっぱりダメだった。
自分に意識が向かうと、感覚と感情が、どっと押し寄せてきて、非常に苦しくて、やめてしまっていた。

でも、幸いなことに、いろいろやっているうちに、取りあえずは、ある程度の時間、座ったり、掃除をしたり、買い物に出かけたりできるようになった。
前は、歩いてたり、立っていたりということに支障が出ていたし、頭が回らな過ぎて買い物をメモしているのにもかかわらず、ちゃんと買いそろえることができないくらいだった。

調理も、まったく何もできず、同居している老母に頼るしかなかった。申し訳なさと、生きている後ろめたさでいっぱいだった。
これに関しては感謝しても、しきれないくらいだ。
今、ようやく、野菜を切ったりを多少できるくらいになった。炊事場に長く立って調理するのは、まだ難しい。自活が難しいのだ。

病気の話だけでは、専門家と苦しい人としか繋がれない。
病気繋がりだけだと、治療や病気の苦痛の話だけになって、世界が閉じていくように感じた。
なんとか、病気以外の世界を広げたかった。聴覚過敏のリハビリのためにラジオを聞き、ラジオ愛好家の方たちとSNSで繋がり、友人が増えた。
リハビリ散歩のモチベーションのために、植物を見ては、調べたりした。植物関係でも、やり取りする人が少しできた。
頭が回らず、声も出にくかったことから、リハビリで朗読をやっていた。
それをさらに、朗読や声劇などをやっているサークルや、そういう人が集まる配信サービスに、参加したりした。本当に幸いなことに、親切な人と多く知り合い、必死に病気という敵と切り結んで耐える、という以外の生き方を考える余裕が出て来たし、このままでは、続かない、という事も考えられるようになった。
それを考えだすと、また、死にたくなっていたのだ。
なんとか、自分の体や感情を平静に感じられるようになりたい。
感覚や感情が、内側に潜り込んだまま走っているのでは、修羅界にいるままだ。そこから切り替えていく時期が来ているような気がする。
瞑想、そして、自分をきちんと感じる時間を持つことを、私が、続けていけますように、と、何かに祈っている。

参考文献

マインドフルネスストレス低減法
ジョン・カバットジン

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