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【読書感想文】河邑厚徳『エンデの遺言 根源からお金を問うこと』講談社+α文庫について エンデの著作から経済を問う

こんばんは、長尾早苗です。

外がもうね、雨なんですよ!雷雨なんですよ!

なんだか寝つきも悪いので、夜にnote書いてみます。
夫も帰ってきたことだし、今日はゆっくり夜に書いてみよう。


ユートピアは存在するのか?

エンデの小説が「ファンタジー」という形をとりながら、エンデならではの経済価値・時間感覚を書いていることに、いまさらながら思うところがあります。

『モモ』を読んだときは10歳。登場人物の観光案内のジジに憧れて、一時期「歌謡時々(うたうたいじじ)」という名前で活動していた時期もありました。

中高では「ユートピア」はないと聖書学の先生に教わって、大学で日本近現代文学を学んでいくうちに、どうやら小林多喜二のプロレタリア文学や井上ひさしの文学論には「今ここにない」ユートピアが書かれているらしいことに気がつきました。

井上ひさしさんは特に顕著で、著作『吉里吉里人』『ひょっこりひょうたん島』でユートピアを語っていらっしゃるけど、その理想は「経済」を「政治・国家」に結び付けて書いている。

なんとなく違和感がありました。

マルクスの資本論や資本主義にのっとって今の経済は悪化しているようにも思う。でも、それに異を唱えた人はいなかった。

エンデのことを理解したくて、ドイツ語もエンデの著作も読んでいたけれど、ずっと違和感を持っていたのが「どうやったらよりよい生き方ができるのか」でした。

ゲゼルの自由貨幣の論考と経済学から見た『モモ』

わたしは経済学についてほんとに初歩のことも知りません!!

父が経済学を国立大学で学んでいたことは知っていましたが、文系と理系が合わさった学問は理系が苦手なわたしにとっては無理かもしれない……と半ばあきらめかけていました。

でも、この本を読んで、どうして父が今になって週末菜園で農業にいそしんでいるのかがわかったような気がしています。

農業は人が生きるということに直結した職業だと思っています。
植物の取れ高で地域と関り、農業がないとわたしたちは生きていけません。

マルクスの資本論ではなく、ゲゼルが提唱した「商売人」としての経済学は、人間が人間らしく生きることをほめたたえているように思いました。

そして、それが『モモ』につながってくることも。

『モモ』の作品内では、貧しくとも豊かな生活を送っていた人々が、だんだん時間どろぼうに時間を奪われ、いそがしくなり、人間らしくよりよい生活を送ることを「貯蓄」するためにあきらめてしまいます。

今の世の中がおかしいと思うのは、貯蓄すればするほど富んでいる人は豊かになり、貧しい人々は貧しいまま人生を終えてしまうことにあります。

実践的な解決策として、自由貨幣、地域通貨が挙げられます。

「労働」に対してもっともな「報酬」を受け取り、その「お金」は汚いものではなく、ある人にとっては神さまのようなもの、ある人にとっては無価値です。

詩人としてイベントで詩集を売っているのに、はじめは抵抗がありました。

詩人は商売をしない。清貧こそが美学。お金の話をするなんて詩人には許されない。

そんな風潮があるように思いますが、生活においてお金や経済はとても重要だとわたしは考えています。

お金は「血液」のようなもので、循環していないといずれその価値は古くなります。そして、どこかで排出しないといけない。

そもそもお金や資本が「貨幣」という紙に置き換えられることで、今の社会や世の中の仕組みがおかしくなっているのではないだろうか、と思います。

質問したいことをまとめます

今週末は遅めの夏休みを取って、黒姫童話館でキャンプをしてきます。

エンデキャンプは初参加なので、星々文芸博で誘ってくださった影山知明さんにとても感謝しています。

そちらのキャンプ内で座学の時間はこの本の著者の方に直接質問ができるらしいので、わたしなりに質問したいことをまとめておきます。

・エンデはなぜ「日本」「東京」を選んだのでしょう?

エンデの晩年をみとった婚姻関係にあったパートナーは日本人の女性です。エンデは結婚式にドイツ人でありながら和服で結婚式を挙げました。
戒名も日本人としてあるんです。熱のいれよう……。

ドイツは親日国だという前情報は知っていましたが、なぜここまで「日本」という国、「東京」で国際会議を開きたかったのか、興味があったのかはわかりません。

日本には四季があり、独自の文明があり、わび・さびというものがあり、「物心つく」という味わい深いことばがあります。

一般的に「隠す」ことや「書かない」こと、「影」でさえも文学作品にしてしまえる。

多分、それが日本という国の美徳なのかもしれないと思っていました。

しかし、なぜ「東京」に各国の主要人物を集めて通貨や経済について議論と建設的な話し合いを求めたのか、わたしにはしっくりきません。エンデはなぜ「日本」にこだわったのでしょうか?

どうしてエンデには「日本」だったのか、エンデが生涯追い求めていたテーマはなんだったのか。

長野の信濃町、黒姫童話館に行ってきます。

エンデの遺した資料を見つつ、地域通貨や貨幣価値について、エンデの考える「経済」について、根本的な質問から学んでいきたいと思っています。

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