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【詩人の読書記録日記】栞の代わりに 8月29日~9月4日

はじめに

こんにちは、長尾早苗です。もう8月も終わりますね。秋になると夜に読書する機会も増える方も多いと思いますので、ぜひ参考にしていただければ幸いです。気圧や気温の変化など、みなさんも乗り切っていきましょうね。

8月29日

くどうれいん『うたうおばけ』、野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』回送中。朝吹亮二『明るい箱』予約。友人たちや寄稿させていただいた文芸誌の編集メンバーが作ったクラウドファンディング、もう少しで40万円!応援してください。リターン冊子にはわたしの140字小説も載っています。コロナ禍中、オンラインワークショップ・公募で集まった小説を1冊の本にしたい! 

用事があって西荻窪のFALLさん、西国分寺でいつも愛飲しているコーヒーのTakaiTOCoffeeさんに伺いました。一緒にごあいさつ。引き続きよろしくお願いします。

・イ・ラン 中村友紀・廣川毅訳『私が30代になった』タバブックス

FALLさんにて購入。イ・ランさんは韓国のアーティスト。かなり破天荒だというエピソードも多々……そんな彼女のコミックエッセイです。30代って、女性にとってはすごく大きなことなんですよね。20代後半から30代になるにつれて、どんどん変わっていく。恋人との関係、フリーランサーとしての仕事への考え方。20代は日々動揺したり泣いたり情緒不安定で大変だったけれど、30代になって落ち着いた、というのを見て安心しました。わたしも生きていくうえで動揺したりするとつい焦ってしまうので、30代になってそういうものが減るといいなと思います。

8月30日

今日は地域のセンターまで本を借りに行った後、いつものコーヒー屋のマスターと久しぶりに会って涼みました。朝吹亮二『明るい箱』回送中。

・吉田篤弘『月とコーヒー』徳間書店

「食」にまつわる短編。だいたい5ページくらいで終わってしまうのでショートショートの分類に入ると思うのですが、寝る前にぼうっと読んで、物語にぼうっと空想を広げて眠れたら最高な一冊です。この後どうなるのだろう、と結末を書かないところも魅力。あとがきも読みましたが、確かにひとに必要なのは太陽とパン。でも、月とコーヒーがなくなったらさみしいですよね。そういったある種「余分」「余暇」とされているものこそがひとを救うのだと思います。

・三品輝起『雑貨の終わり』新潮社

FALLにて、FALLの店主である三品さんから購入。一行目を読んで彼の世界に引き込まれました。確かに、雑貨は「不要不急」のものであるかもしれないけれど、その「モノ」に彼がどれだけの思いを感じ取ったかが痛いほどわかります。三品さん自身はすごく気さくな方で、実は7年前わたしが学生だった頃一回訪れたFALL。そのこともレジでお話しすると喜ばれました。彼の家族、友人、そして大きなカギを握る彼の「祖父」との関係、彫刻刀。戦争に行って帰ってきてから戦友たちを思い出して仏像を彫り始めた様子が淡々と描かれていました。モノを、雑貨を「作る」こと、すべての「雑貨化」について思いを馳せます。

8月31日

睡眠不足と、回送中になっている本が多いので、体に負担をかけたくなく朝いちばんでスーパーへ買い出し。移動図書館は6冊にとどめました。さあ、待っていた本たちがずらりと勢ぞろいする週になりそうですよ!瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』予約。何度でも読みたい。

9月1日

フリーランサー2年目の新学期です。よくがんばってきたなあと自分をほめたい。昨日移動図書館で読書家の方と移動図書館を待ちながらお話ししていたのだけど、その公園でラジオ体操を毎朝しているそう。お誘いされたのだけどその時間は仕事をしているんだよなあ、とちょっとしんみり。とにもかくにも新学期。がんばります。

・初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』書肆侃侃房

すごく生きることに真っ直ぐなまなざしを向けている詩のかたちとしての短歌だと思いました。サブスク、SNS、スマホのリアルではない社会でリアルを生きていくこと。一人の若者の女性としてカテゴライズされることへの反感と恋すること、何かを壊されたいという若さから来る自己破壊欲求から自分を変異させることがこの歌集のなかでは容易です。ハートマークが使われている歌集に久々に出会いました。そういう詩の中で、あなたはどう生きてる? と尋ねられた気がしています。

・川島結佳子『感傷ストーブ』短歌研究社

衝撃を受けました。アラサーの「わたくし」を描き出すために、どうしても使いたかったことばがあって、それが何か孤独と深淵に結びついている気がします。わたしもラジオが好きで、「感傷ストーブ」というのもハガキ職人のラジオネームなのですね。この歌集に出てくるラジオは「孤独なわたくし」と世界を唯一つなぐものだと思います。他にもWi-FiやTwitterといった新しいことばが出てくるのも結構衝撃でした。応援したいと思います。書き続けていってほしい。アラサーの「女子」としてそう思います。

・瀬戸内寂聴『句集 ひとり』深夜叢書社

寂聴さんが瀬戸内晴美だったことから、彼女が恋をして「女性」という問題提起を数多くしてきたこともあり、今彼女が書く「句」という詩型はいいと思います。若いころの彼女に絶対書けなかったものが今になって「俳句」というかたちができるということ。同世代の文人たち、友人たちが次々と寿命を迎えたり、そういったひとが生きること死ぬことを改めて達観してまなざしを向けながら書いていると思いました。

9月2日

雨時々曇り。そこそこ緊張することがこれから詩人として続くけれど、詩集を出したことにより先輩方と同じ場に立てたというだけで安心します。どんどん成長して行け、わたし。

・岸本葉子『「そこそこ」でいきましょう』中央公論新社

最近は句集や歌集、そういったものに携わる方のエッセイや小説を読むことが増えました。岸本さんがこの本の中で言っているとおり、何か時間には流れていく速さが人それぞれ年代にもよって違うな、と感じます。わたしも大人になったのか、昔のように焦らなくなりました。違う意味でのスローペース、スローな日々。緊張感に包まれた創作の日々は大変だけれど、ふとパソコンを閉じて窓の外に思いを馳せたり、美味しいものを作ったりするそれだけで気がまぎれる、そんなことを思います。脱力とはまた違うのですが、「ちょうどいい」頑張り方を身に着けていこうと思っています。

・佐藤清美『句集 宙ノ音』六花書林

どこかしらに郷愁というか、本当に「宙に思いを馳せる」句集でした。自分の日常を切り取ったものでもあり、そしてダイナミズムを感じるものでもあり。句や詩は、どこかしらから響いてきてそれの調べに乗せて書くところはあるのかもしれません。震災の記憶。そして「本」というものはいつになっても古びないので、今に続くたいへんさももしかしたら感じ取れるのかもしれません。だからこそ、ことばを消費する社会にしてはいけないと思うし、紙媒体の句集・歌集・詩集・小説は古びないものを次々書くことが表現者として重要だと思っています。もしこの状況が100年続いたとしても、そうしたら家で100年後に残る仕事として固有名詞を使わずに「残るもの」を紡いでいけばいいと思いました。今は時代の思考や価値観が本当に多様化していますが、そういった流動的なものはすぐにながされてしまいます。だからこそ、100年後、200年後に残るものを書き続けていきたいと思いました。

・川上弘美『機嫌のいい犬』集英社

どうしてだか、川上弘美さんの小説を読んでいると何度でもこの句集にたどり着いてしまいます。ある種、詩人の本能的なものなのかもしれません。歌人や俳人も兼ねている詩人がいうことには、何か切羽詰まった時、表現者は短歌や俳句という詩の形に憧れる要素が強いのかなと思います。切羽詰まった、とはいえ小説家や詩人が切羽詰まるのはたいてい締め切り前か賞の結果待ちの時。あとは子どものワンオペ育児だとか、本当に生きていると大変で。そう言ったときに、長い時間をかける文章を新たに作りたくなるのですが、そうは時間が許しません。だからこそ、川上弘美さんは「俳句」という詩の形を選んだのだなあと思います。独自の目線から切り取る日常というものを短くまとめることにより、立派な句になっているのはさすが川上弘美さん。なかなかできないですが、そういった緊張感の中では本当に本業の詩作ができないので真似をしてみたいです。

9月3日

雨。パソコンのログイン時の不調が直り一安心。これでストレスなく書けます! やった! 野村喜和夫『稲妻狩』、小池昌代『野笑 詩集』、大橋崇行『中高生のための本の読み方 読書案内・ブックトーク・PISA型読解』予約。

・くどうれいん『うたうおばけ』書肆侃侃房

くどうさんはわたしの恩師の詩人の方から紹介されて、彼女のキレキレの文体にハマりました。彼女とわたしは同年代というのもあって、やっぱり昔はネットジャンキーだったよね、と少し懐かしくなります。はてなダイアリーはやっていなかったけど、わたしはとにかくくどうさんのように「ハッとしたこと」を日記にして書いて発表して誰かに読んでもらわないと自分がいなくなるような気がしていました。まあ、だからこそブログをやっていた時期もあり、noteに変えたのですが。このエッセイのような小説のような不思議な一冊は、本当に彼女が「ハッと」したことから生まれているんだろうなという気がします。そしてリアルタイムで紡がれていくんだろうな、とも。小説の形態、エッセイの形態も現代作家さんと近代の文学者ではとてもことばの使い方が変わっています。わたしたちの世代が最もよく親しんでいるものをリアルタイムで文章にすること。それは彼女の日記だったり、さらけ出す場所だったのかもしれないなと思います。インターネットの世界がいつまで続くのかはわからないけれど、そういった世界でわたしたちは対峙しなければいけない「何か」があるのだと思います。

・野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』思潮社

なんだか哲学を読み込まないと本当の意味で「詩」とは呼べないのではないか、という意味でもとても勉強になった詩論でした。詩論を語るうえで、膨大な著籍を読んできたからこそ、野村さんの詩は出来上がっているのだと思います。あの朗らかな笑顔が宿る顔に、ものすごい量の知識があるのだと思うとぼうっとします。いかに自分が不勉強であったのか反省もします。わたしは本当に「感覚的につかみ取って」いるだけで詩を書いてきたのですが、「哲学」という視点で谷川俊太郎さんの詩を読むと、なるほどこういう系譜でつながっているのか、と思います。彼がそれを20代のうちからしていたことは偉大な功績であり、それが自然にできてしまうのは天性のものかもしれません。わたしも頑張らなくては。

・朝吹亮二『明るい箱』思潮社

朝吹さんの詩はいつもレイアウトや編集過程での実験のような詩だと思っていて、やはりご自身が詩をレイアウトしていることもあり、すごく実験的な詩集を出されている印象を受けます。よくメールやチャットなどでお話しさせていただいても、知的好奇心にあふれる活動的な大先輩で、大恩人です。だからこそ、朝吹さんの詩が好きですし、やっぱり「一人の詩人」という目で見ても、呼吸と改行のレイアウトの余白実験から始まり、また散文詩という新たな境地に行きつくというのはすごいことだと思いました。今彼は若手の詩人を育てつつ、そうして詩や詩的言語に対するまなざしの変化を痛いほど感じているのだろうなと思います。詩集には詩集にしかできないことがあって、紙媒体には紙媒体にしかできないことがある。それだけ膨大な資料という名のものを読み込んできていらっしゃるんだなあと思いました。

9月4日

野村喜和夫『稲妻狩』、小池昌代『野笑 詩集』回送中。気温差に体がついていけず、昼前まで寝込んでいたけれど午後復活。仕事をした一日。たまには午後仕事をしてもいいのかも。『和樂』という雑誌の白洲正子特集を読みました。ずっと、書き続けていけますように。


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